浦島太郎のお願い 5 

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月28日(水)12時07分17秒
  前回の関ヒマさんの質問について:
ただ町の名前が違ってただけで、私達にとっては全商店がクネクネと曲がりつながった同じ商店街でした。
町が別なのでアーケードも違う形にしたのでしょうか?

下最初は貫通道路から県庁を撮ったもので、左に見える道路は県庁通りです。

二番目は県庁の西側から北東を向いてます。
白いビルは商工会議所と呼ばれていたと思い、確かめることにしました。

三番目は東京海上の地図の切り抜きで、白いビルの所に「商工会議所」と書いてありません。
グーグルの地図を見たら、画像で赤い枠の中は塀で囲まれ、元のビルは完全に壊されてます。
グーグル地図には「佐賀商工会」などと書かれてましたので、恐らく今(グーグル地図の年)は建て直しみたいです。

右上に赤線を引いてある「微古舘」は公益財団法人・鍋島報效会というのがあり、鍋島藩の歴史博物館みたいです。
http://www.nabeshima.or.jp/main/ こういうのが「公益財団法人」ですか?政府の負債が増えるのも無理ありません。
 

楽しき哉さま

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月28日(水)09時25分52秒
  情報提供有難うございました。
報道を注意して見ることにします。
 

スペインより

 投稿者:楽しき哉  投稿日:2015年10月28日(水)08時43分40秒
  まだ日本では報道されていないと思いますが、以前からお話ししておりました、バルセロナを中心とした
カタルーニア地方政府がスペインから独立を宣言しました。

つまり、ガウディのサグラダファミリアやメッシーで有名なサッカーチームであるバルサはスペインでは
なくなるということです。

全くカタルーニア政府の一方的な独立宣言のため、今後どうなるか全く予断が許せません。

ご注目を!!
 

鷲田清一氏の折々の言葉から

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月28日(水)07時23分12秒
  囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたしはまだ盛りにある一つの命を絶つことの深い意味・・・・・に気がついたのだった。  ジョージ・オーウエル

囚人が広場の絞首台に連れて行かれる。衛兵に肩を掴まれながらも、途中水たまりのところでさっと脇によける。彼とわれわれは同じ世界を見、感じているのに、彼一人がふっと消える。これを目撃した作家は、人としての品位を自然に備えた一つの生命を抹消することの決定的な誤りを知る。
随筆「絞首刑」(小野寺健訳)から。

私は死刑廃止論者ではないけれど、この文章には説得力がありました。
 

浦島太郎

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月27日(火)20時20分34秒
  写真の上と下ではアーケードの形状が違っていますね。
別の商店街でしょうか?
 

浦島太郎のお願い 4 

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月27日(火)11時01分39秒
  この時は、前と同じように「白山銀座」から未だ小さな歩道で「呉服町」へ繋がってました。
前に引用した東京海上の地図を見ると、「中央大通り」が突き抜けて「白山郵便局」「ハローワーク」「玉屋」などあり
昔の小さな店の商店街(白山銀座)がなくなってます。

白山という地域(町)はありますが「白山銀座」がありません。

質問:
1. 白山銀座が除かれ、中央大通りが貫通道路まで出来たのは何年前でしょうか?
 

海と月の迷路

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月27日(火)07時48分10秒
  大沢在昌氏の「海と月の迷路」を図書館から借りて読みました。

彼の代表作「新宿鮫」と同様警察ものです。
長崎県の軍艦島が舞台になっています。
端島(通称:軍艦島)は昭和49年に廃鉱していますが、この小説は最盛期の34,5年ごろが舞台となっています。
この小説は2年前に書かれたものですが、当時の炭鉱の様子がかなり詳しく描かれています。大沢氏は以前行った記憶を辿りながら書いたのか、それとも、文献を詳しく調べて書いたのかは分かりません。

大沢氏は警察ものではやはりNO1ではないでしょうか。
前半は軍艦島の様子をかなり長めに読者に紹介することから始まりますが、ある事件が起きてからは物語はスピーディな展開を見せ、読者をその中にぐいぐいと引き込んでいきます。
久しぶりに胸がスカッとする本に出会えました。

 

冴えわたる月

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月26日(月)18時08分58秒
  いま外に出て空を見上げたら美しい月が出ていました。

調べたら昨日が13夜の名月だったようです。
今日の月も十分美しいです。
 

風鈴様へ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月26日(月)15時17分42秒
  修復はcookieを有効にしたのだと思います。そのやり方はウエブサイトで検索すれば出て来ると思います。  

記事の訂正・削除

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月26日(月)14時54分45秒
  沼南ボーイさん、関ヒマさんの情報は有難うございます。問題はどうやら私のコンピューター設定にあるようです。

新しくログインした時のブラウザー情報と、前に投稿した時にティーカップに入れられたブラウザー情報が違うので、
ティーカップは他人からの要請と受取り、「この記事に返信する」だけになってるみたいです。
では何をどうして元のようにするか?色々と試みるより他に手がなさそう・・・深い溜息。

管理人様
どうか前の質問を無視なさって下さい。その内に解決方法を見つけることにしましょう。
 

記事の訂正削除

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月26日(月)14時42分22秒
  今私のは正常ですが、2~3年前、風鈴さんと同じことを体験しました、どのようにして正常にしたかは覚えていません。管理人様、風鈴様正常になりましたらそのやり方を教えてください。  

記事の訂正・削除

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月26日(月)14時26分10秒
  私の場合も沼南ボーイさんと同様以前と変わりません。  

記事の訂正。削除

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月26日(月)14時09分8秒
  私の場合は以前と同じです。自分が投稿した記事をクリックし下げていくと「この記事を編集すると出ますので、訂正その他出来ます。  

記事の訂正・削除

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月26日(月)13時31分51秒
  管理人様

以前は自分が投稿したのを訂正・編集したい時は題目をクリックして「この記事を編集する」から出来ました。

何時からか知りませんが、今は「この記事に返信する」だけがあり、「この記事を編集する」がなくなりました。

一番下に「自分の記事の削除・編集」をクリックしたら
「このブラウザはCookieの設定が無効になっています。ログインするにはCookieを有効にする必要があります。」
と出て来ました。Cookieの設定などしたことありません。

どうしたら、以前みたいに訂正・削除ができますか?
 

木枯らし1号

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月26日(月)13時20分39秒
  東京都心で24日夜」に「木枯らし1号」が吹いたと気象庁が25日、発表した、東京都千代田区では24日午後11時54分頃13.3mの北北西お風を観測された。朝日新聞10月26日の記事より。  

浦島太郎

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月26日(月)12時37分40秒
  3枚の写真を眺めたら、電信柱がありませんね。
1986年当時から地下埋設になっていたのでしょうか。
 

浦島太郎のお願い 3

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月26日(月)12時24分31秒
  関ヒマさんの疑問符についてですが、北校は昔から線路の南側で鍋島駅が校舎の西北西にありました。

グーグルの地図に紡績通りは、楠公通り-貫通道路まで未だあり、北の方は佐賀バイパス-貫通道路(与賀町)を
つなぐ堀江通りの一部になったらしく、どんどんの森の東は堀江通り(元の紡績通り?)になってます。

最初は駅前から南の「唐人町通り」-北へ動いたので新しい通りは今もそう呼んでるのか分かりません。

2番目で左にある看板は「大信販」「全日空」「東急観光」、右には「ニチユー」とあり多分唐人町でしょう。
考えると面白いですね。「唐人」だから昔は中国人が沢山住んでいたらしい、佐賀ばかりでなく日本中に
外国人が沢山住んでいた、そこで日本人皆が今言う「混血児」・・・この言葉自体が怪しいのです。

3番目の真ん中にある看板は「三洋信販」です。

質問:
1. 3番目も唐人町の一角ですか?写真は1986年、看板など直ぐ変わるので無謀な質問ですが。
 

木枯らし

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月26日(月)07時23分22秒
  昨日大阪では木枯らし1号が吹いたと朝日新聞(大阪版)が報じていました。
神戸も強い風が吹いたので、同様でしょう。
〝木枯らし〝という言葉から受ける語感は詩的な良い響きがしますが、漢字から受ける印象は殺伐として厳しいですね。
季節の変わり目で、これから寒さにむかっていきます。
時は目まぐるしく容赦なく過ぎて行きます。

新聞では木枯らし1号のことと同時に、大阪マラソンのことも書いていました。
京大の山中教授は今年も参加して、約4時間で完走したようです。すごいですね。
画家のジミー大西君もマラソン初挑戦で完走したようです。

安倍氏が提唱する「一億総活躍社会」は例によりイメージがわきません。
〝総〝という字からは皆同じという印象を受けます。
誤解を受けやすい言葉ですね。

社会に迷惑をかけてはいけないけど、それぞれがそれぞれのことをしても良いと思っています。
 

歌壇

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月26日(月)05時10分28秒
  パウロ様投稿の「一億総括約筋社会」。安倍さんの唱える、「一億総活躍社会」を強烈に皮肉り批判し溜飲が下がる。これは川柳部門ですか?「カツヤクキン」の字面は余り上品とは思わないが。  

関西のヒマ人さんへ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月25日(日)18時58分26秒
  1976年に佐賀駅は高架化に伴い北へ100m移動してます。線路もそれに伴い移動してます。佐賀鍋島間の線路はかなり北側へ移動したものと想像されます。  

大和紡績

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月25日(日)18時21分15秒
  風鈴さんの地図にどんどんの森はありました。
線路の南側ですね。
おぼろげな記憶では線路の北側だったように思っていました。
自分の記憶を正当化しているわけではないのですが、駅の移転により線路が北に付け替えられたということは無いでしょうか。
 

大和紡績

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月25日(日)16時58分35秒
  大和紡績。地図では切れてますね。もう少し南側です。現在の天神3丁目付近どんどんの森、やアバンセ、県立女子センター、生涯学習センターなどになっています。  

浦島太郎

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月25日(日)13時42分35秒
  風鈴さん提供の地図を楽しみながら眺めました。
地図を見る度に疑問符が付くのですが、小生が通っていた佐賀北高校が線路の南側に位置しています。線路を越えて北側にあったように思ったけど、記憶違いでしょうね。
それから、大和紡績がどこかにあったように思ったんですが、地図に載っていませんね。
紡績通りという通りもあったように思うんですが、おぼろげです。
 

歌壇

 投稿者:パウロ  投稿日:2015年10月25日(日)13時23分44秒
  今日の日経の記事です。

粗相なき老後のために鍛えます一億総括約筋社会。

選者評、岡本さんの括約筋は肛門や尿道などの働きを調整する筋肉。それを鍛えて老後に備えようと健気な覚悟を示しているわけだが、

真意は安倍首相が突然提唱した一億総活躍社会への批判。ユーモアに包んでチクリと刺す風刺の見事な力、政府は庶民の眼力を侮らないほうがいい。
 

太極拳フェスティバル

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月25日(日)13時17分32秒
  兵庫県武術太極拳のフェスティバルが県立文化体育館で今日開かれました。
ジムで一緒にレッスンを受けている人達も出場するというので行って来ました。

日頃ジムなどで練習している太極拳愛好者110組が県の各地から集まって成果を披露していました。
出場者は老若男女といいたいところですが、若い人はいなかったですね。
さしずめ、中高年の学芸会の発表会といったところでしょうか。
皆さん、今日のために練習を積み重ねていらっしゃることが演技に現れていて、良く動きが揃っていました。
団体演技は動きが揃っていると美しいですね。

それから、ごった返す会場でジムの太極拳の先生とばったり出くわしました。
「来年は出場してください」とチャーミングな顔で言われたので、来年出られるように頑張ってみたいと思っています。(まだまだ未熟なのでちょっと無理かな)

画像上段がジムでご一緒している人たちです。〝美女と野獣〝の曲に乗って演じられました。
 

「ず」と「づ」の使い分け

 投稿者:とと  投稿日:2015年10月25日(日)09時09分17秒
  「ず」と「づ」はきちんと使い分けしないと、ワードで正しい漢字に変換してくれません。そこで、物識りの我が家のひまじんに聞いたら、2語連続の場合とかやはり法則があって、使い分けが決まっているらしい。

然しいろいろ場合を分けて聴いていると、なかなか原則通りにはいかないらしい。其処でひまじんが検索をしてみると、戦後占領した連合軍が表記が面倒なので統一するように言われて、その時原則が崩れたものもあるらしい。
こんなところにも、敗戦の影響があるらしいのです。

ところで私は、伊万里湾沿岸にあった旧海軍の造船所で使われていた『安全はあなたを守る、国守る』という安全標語について話すことが多いのですが、この標語で使われている「国」という字は、囲いの中に「玉」の字になっています。これが旧海軍の標語では『玉』でなく、「王」という字になっていて、点がないのです。

此れは旧簡略字として、大正時代に決められていたそうですが、これが戦後の昭和25年に文部省が「点」を入れて王から玉に変えたという事になっています。考え方として国は「王を囲む」という字から「大切なもの・・玉を囲む」という意味に替えられたとすれば、此れも連合軍の指示なのか、あるいは戦後民主主義を取り入れた文部官僚の考え方だったのか、どうも不明ですが、なかなか良い変化だとも思えるし、敗戦の影響なのか、とも言えますし、興味深いものがあります。
 

浦島太郎のお願い 2

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月25日(日)08時11分24秒
  下最初に止まってる電車は「普通」「タウンシャトル」というサインが付いてます。

二番目は駅の南側の正面。

三番目は駅の北側らしく「大東京火災」「タイヨー」「宝ビル」「佐賀ニューロイヤルホテル」などの看板があります。
佐賀の「大東京火災」ビルが何処にあるか探したら、「東京海上日動火災保険株式会社」というのがあり、
商店などはグーグルより詳しい地図がありました。
http://www.mapion.co.jp/m2/33.26219571,130.29779743,16/poi=0952231311-001

この地図では「東京海上日動火災」は駅の南側、しかし写真は山が見えるので北側のはず・・・
多分「大東京火災」など現存しない、「東京海上日動火災」とは違う会社らしい。

三番目の写真は長崎から着いた「上り」のフォームから撮れるわけない・・・何処から撮ったか分かりませんが、
駅近くで、このくらい高い位置はホームしかないので奇々怪々な写真。

質問:
1. 最初の電車は神崎(?)-鳥栖方面へ行く普通(ディーゼル)電車?それが「タウンシャトル」と呼ばれてますか?
 

佐賀駅

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月25日(日)08時06分55秒
  沼南ボーイさん、参考の佐賀駅情報は有難うございます。
これに「運転扱い上は、1番が機回し線、2番が1番のりば・・・」とかあり、電車運転などしないので混乱したり・・・
3番目の写真に「ようこそ肥前山口(?)へ」らしいサインもあるので唐津線への乗り換えホーム、との憶測になりました。

駅には南・北口があるので3番目のホームの下にも地下(路面?)道があり階段もあるはず、
「では、どうしてホームの上から陸橋があるのか?」の質問になり、答は「分からん!」の自問自答です。

1976年に元の位置から100メートル北へ移ったとも知りませんでした。
1986年に行った時、何だか大きく変り「何が何処かさっぱり分からなかった」はずです。

このウィキペディアに「構内にはえきマチ1丁目(旧:デイトス)などの商業施設・・・」とありますが、この「デイスト」の
ストはstore(ストアー)から?デイは何からでしょう?「2枚キップ」とか「4枚キップ」とか訳の分からん言葉もあります。

良いことは1日平均乗車人員が2000年から2013年まで2千人(約20%)増加、老化社会で電車に乗る人が
増えている、何を意味するのか?安倍政権の地方創生など宣伝文句に過ぎなく、お金の浪費、この費用は
地方自民党支持者へのばら撒きに過ぎません。佐賀駅の話が安倍政権非難となる?これも怪しいですね。
 

佐賀駅

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月24日(土)19時09分10秒
  参考までに貼り付けておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E9%A7%85
 

今も昔も浦島太郎。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月24日(土)15時10分1秒
  懐かしい佐賀駅の写真、です。3番目の写真跨線橋と一番ホームが写っていますね。1番ホームの南側と跨線橋の間に昔ゼロ番ホームがあり廃線となった佐賀線が発着していたのはこの駅ではなく移転前の古い駅だったか、記憶はオボロです。調べたら佐賀線は昭和51年に廃止、駅が移動したのは昭和62年でした。  

関ヒマさんへ

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月24日(土)13時50分17秒
  この写真は全部同時に撮ったものです。

3ホームがある様子、最初のが南側(恐らく下り線)、2番目が真ん中にあり、3番目が北にありますが、
駅の路面(入り口)から最初と2番目のホームには階段を上がる、北側のホームにホームからの階段があるので
何か不思議で、駅正面から直接の地下道がないのか?の質問です。

北側のホームの線路はサビがあり、あまり使われてない様子、後の「佐賀相互銀行」の看板の下にあるサインは
小さくて読めませんが「そうこそ肥前山口(??)へ」と書いてあるみたいです。
 

浦島さん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月24日(土)12時29分47秒
  風鈴さんの写真は今からざっと30年前のものですね。
小生は東京にいた頃です。
真ん中の写真の小学生はもう40代のオジサン、オバサンですね。
全く分からないですが、3枚の写真の内一番下は同じときに写した写真ですか?
真ん中の写真は子供たちが地下道を潜ろうとしていますが、下の写真は陸橋になっていますね。地下道と陸橋が両方あるということでしょうか?
 

浦島太郎のお願い 1

 投稿者:風鈴  投稿日:2015年10月24日(土)11時49分43秒
  これまで所有物の大整理の仕事で沢山のものを捨てたり、人に上げたり、寄付したりで処分してました。
皆さんの中には、それが終った方もいらっしゃるようですが私は未だ終ってません。
生まれた時と同じように「何の所有物もない」のが理想なので、そこまでは行けなくても出来るだけ努力するつもりです。

処分に困ったのは写真のアルバム、他人が見ても何の意味もない、とは言ってもポイと捨てられない、
そこで考えたのは、写真全部をスキャンしてCDに入れることにしました。今はディジカメが殆んどとなり、
昔の写真をディジタルにする逆操作、スキャンに時間がかかりましたが、やっと完了し多くのアルバム・写真も捨てました。

写真の中にあったのは、前回に佐賀へ行った時の写真、1986年の秋9月頃ですので29年前の話、
その前に佐賀へ行ったのは1967年、ここにも19年間の空間があります。母が1970年代に茅ヶ崎へ引越し、
その後佐賀とは益々疎遠になり、1986年は長崎に仕事で行ったついでに休暇をとり3日間佐賀市で過ごしました。

驚いたことに、当時の行動、例えば「何処のホテルに泊まったのか」「どうして佐賀北校へ行ったのか」など全く
思い出せません。行動を記録するなどの習慣が無く、刹那を楽しむ性質(タチ)とは言え、記憶喪失には唖然としました。
もともと小さい脳が縮んだので記憶が消えてしまったのか?その可能性が大きいとしか言えません。

そこで、ここにある撮った写真についての質問に答えて頂けたら・・・が皆さんへのお願いです。
関ヒマさん旅行にあったような美しい紀州の写真ではなく申し訳ありませんが。

30年前の写真なので昔々の話、もう現在は変わっているし、佐賀に住んでいても用事がないと行かないので
知らない所も多いのが当前であり、消えた記憶が戻るわけでもないので、お答えが無くても結構です。
佐賀をご存知ない方は「つまらん所の観光写真だが仕方ない」とお付き合いを願います。

最初の写真は、佐賀駅のプラットフォーム、南側を向いてるみたい。

二番目は長崎から着いたフォーム、子供達が路上へ降りてます。
フォームのサインは「今度の電車は10:26鳥栖 10:36博多」です。

三番目は北側にある次のフォームへ行く階段です。

質問:
1. 三番目には階段がある、子供達が降りて行った路面上の道は北側のフォームまで繋がってませんか?
 

魚のおろし方

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月23日(金)10時22分9秒
  魚は普通3枚におろしますよね。
マグロは身が柔らかいから5枚におろすと解体ショーの板前さんが言っていました。鮭も身は柔らかいですよね。
他にも理由があるのでしょう。
それにしても、ひまじんさんは何でも出来ますね。立派です!
 

秋鮭&ゆう吉

 投稿者:ひまじん  投稿日:2015年10月23日(金)09時41分48秒
  関西のヒマジンさん、実に行動的ですね。
先日は北海道からの旅だよりと思ったら、今回は和歌山の旅、身体が元気な証拠ですね。

和歌山は、小学生のころ毎年家族で夏休みに白浜へ泳ぎに行っていました。

第3砲台跡、友ヶ島灯台、孝助松海岸、不老橋、和歌浦八幡宮楼門、養翠園等、色々とみるところが
沢山あるのですね。

マグロの解体ショーを見て、一昨日60cmぐらいの子持ち秋鮭を戴き、悪戦苦闘しながらすじこを取り出し
3枚卸にしました。
パソコンに「秋鮭のおろし方」と入れると動画があり、それを参考にしました。
イクラの作り方も載っていたので、しょうゆ漬けにしました。
とても大きなすじこが2腹で、「薄皮を取り除くのが結構大変だった」と言うと、トトシカーナさんは「そのまま
塩漬けにすればよかったのに」と、苦労も知らず言ったのです。

一昨日はお刺身で食べました。昨日は握り寿司にして食べました。
イクラも温かいご飯にまぶして食べました。
量が多いので漬け汁を切って冷凍しようと思います。

昨日午前中にトトシカーナさんと出かける用事があり11時過ぎに帰ってきました。洗濯をしながら昼食の用意を
していたのですが、トトシカーナさんが「ゆう吉は?」と聞くので探すといつもの処にはいません。
出窓のカーテンの向こう側、ピアノのカバーの向こう側の蓋の上等、いつも隠れるようにして寝ている処も
探したのですがいません。娘が私達より後に出たので電話をしたのですが留守電になっていてメールを出し
万が一外に出たのではないかと探しに行ったのですがいません。

出かける前時間が無くてお布団をそのままにしていたので、私が寝ていた掛け布団を開けてみるとぐっすりと
その中で寝ていました。隙間が全くなく、ふくらみもなかったので最初は見もしなかったのです。
ホッとしました。
娘は仕事が終わってからメールを見て吃驚したようですが、2通目のメールで安心したようです。




 

安倍首相

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月23日(金)08時39分28秒
  安倍自民党では迂闊なことが言えなくなっていますね。
ーー物言えば唇寒し秋の風ーー
これでは、国会議員の役目は果たせません。
河野太郎大臣の動向に注目しています。
 

舟田氏、馘首へ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月23日(金)07時01分55秒
  今朝の新聞によると船田元自民党憲法改正推進部長が更迭されると報道されているその理由が船田氏が選んだ参考人が「安全保障関連法案を「憲法違反」と批判したのが理由だそうだ、。
以下を参照してください。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6178354
安倍首相、現政権が憲法改正へ動き出し具体的に邪魔者は排除の行動に出たものだ。一強多弱の奢りと思う。
 

寅さん

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月22日(木)16時54分49秒
  あの映画の寅さんのマドンナは秋吉久美子さんでした。、五月みどりさん,河内桃子さん、すまけいさんが出てました。  

友ヶ島、紀淡海峡

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月22日(木)16時15分19秒
  地図を引っ張りだし、見て確認しました。瀬戸内国立公園にもなっていますね。興味のある投稿が連続し、とても全てにはフォロー出来ませんが、「和歌山旅行記1」について感想を言うと自然と戦争、相反するようですが、永遠のテーマですね。  

和歌浦(画像の続き)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月22日(木)15時58分57秒
  (画像の説明)
上段 新和歌浦からの和歌浦を望む
下段 養翠園
 

和歌山旅行記2(和歌浦)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月22日(木)15時55分26秒
  和歌山マリーナシティホテルで1泊したんですが、翌朝の食事の際レストランでマグロの解体ショーを見ることができました。
和歌山はご存知の通り、内陸部は高野山など紀伊山地の深い山々がありますが、紀伊山地を包み込んだお椀の底のような形で周囲は海に面しています。
マグロは遠洋漁業ではなくて、紀伊勝浦を中心とした近海で取れた生マグロを食べることができます。
この日はマリーナシティにある黒潮市場からマグロを捌く板前さんがホテルに出張して大きなマグロを捌いてくれました。
さすがに専門家だけあってマグロが見る見るうちに5枚に下ろされました。
下ろしたマグロは寿司にして朝のバイキングに出してくれましたね。
下ろしたての新鮮なマグロは一味違います。

本日は和歌浦周辺を廻ります。

和歌浦は奈良時代以来の景勝地であり、天皇はじめ貴人たちが海のない平城京から海を見に当地にやってきました。和歌浦の景勝が好まれたようです。
聖武天皇も和歌浦の景勝を愛でた方で、聖武天皇の行幸に随行した山部赤人が名勝和歌浦を詠んだ歌は有名です。
和歌浦にある由緒ある玉津島神社に山部赤人の万葉歌の石碑が立っていました。
◇若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る

和歌浦周辺廻りは我々一行の中で和歌浦にお住いの方に案内していただきました。
地元で顔が広い方だけあって、我々が訪問した玉津島神社の巫女さん(南海電鉄の社長夫人です)と次に訪問した和歌浦天満宮の宮司さんにそれぞれの神社の由来などを丁寧に説明していただくなど、お忙しい中を長く時間を割いていただきました。
(神社の説明は省略いたします)
和歌浦天満宮では宮司さんに梅酒のお神酒を大きめの盃に並々と2杯も頂戴しましたが、この梅酒が年代物でトロッとして、かつ、まったりしていて実に美味しかったです。

両神社に参拝した後、新和歌浦に行き山の上から和歌浦を望みました。
一行の中に寅さんの最近のTV放映を見たという方から、車を駐車した場所の目の前のホテルが寅さんの舞台となったことを聞きました。私も寅さんは全部見ているので、マドンナが誰だったか聞いてみたのですが、その方は名前を覚えていませんでした。
そこで、家に帰ってからネットで調べて見たら、秋吉久美子さんでした。
この映画は寅さんシリーズでは印象が薄かったのか、内容はちょっと思い出せませんでしたね。

その後、和歌浦の紀州徳川家の名勝養翠園の庭園と別邸を見学しました。
さすがに紀州徳川藩は御三家の一つだけあって、素晴らしい作りとなっていました。
ここは和歌山市の中心からだいぶ外れたところにあり、平日だったこともあってか、見物人は我々一行だけでした。静寂そのものの約1万坪の庭園を独り占めにしたような贅沢な殿様気分をあじあわせていただきました。

画像の説明
上段 マグロの解体ショー
中段 不老橋(和歌浦玉津島神社の近くにある1851年完成のアーチ型石橋)
下段 重文和歌浦八幡宮楼門  以下次ページに続く
 

友ヶ島(画像の続き)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月22日(木)15時17分20秒
  (画像の説明)
上段 第3砲台跡
中段 友ヶ島灯台
下段 孝助松海岸
 

和歌山旅行記1(友ヶ島)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2015年10月22日(木)15時08分5秒
  旧職場のOBの方々との年2回の小旅行も8年目になりました。
今回は友ヶ島と和歌浦の和歌山の旅です。旅行中は天候に恵まれ旅を満喫しました。

和歌山は近年、三重と並んで観光客の伸び率が高い所だそうです。
その和歌山で伸び率が高い3か所がどこだかわかりますか?
一行6名の中の京都の方から教えていただきました。
それは、友ヶ島、マリーナシティ、高野山だそうです。
初日はその友ヶ島に船で渡りました。

皆さん、友ヶ島の名前はどこかで聞いたことがあっても、島に渡ったことがある人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
今回の旅行を案内していただく一行の中の和歌山の方も30年前に1度訪れたきりだと言っていました。

さて、友ヶ島は紀淡海峡に浮かぶ、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島の総称で、手つかずの自然が残された無人島です。また、沖ノ島には明治から終戦まで大阪湾を防衛する旧陸軍の要塞があった場所で、砲台跡や弾薬庫跡が残っています。
無人島に魅かれるのか、要塞跡に魅かれるのか、或いはその両方なのかよくわかりませんが、近年脚光を浴びている場所だそうです。
加太港から沖ノ島に向かう便は1日4便で週5日の運行です。
我々一行は月曜日に行ったんですが、加太港(小さな港です)に着いた時は乗船を待つ人だかりが出来ていて、定員100人の船は満員になり乗れませんでした。
この日は運よく臨時便が出るということで、40分待って次の船に何とか乗り込むことができました。
航路20分で沖ノ島に到着です。無人島に相応しい小さな船着場に接岸し、島への第1歩を踏み出しました。

我々はパンフレットに載っている島の地図を頼りに5つの砲台跡と旧海軍の聴音所跡や友ヶ島灯台(明治5年建設の洋式灯台で今も稼働中)などを目指しました。
我々一行の中の兵庫三田の方が地図の島に2つある池の名前について疑問を呈しました。この2つの池、1つは〝蛇が池〝そしてもう一つは〝深蛇池〝という名前なんです。
池の名前にいずれも蛇が付いているのです。
島に大昔から蛇が棲むわけがないだろうし、そうなると、内地から海を渡ってきたのだろうか?そもそも蛇は海を渡れるのか?あるいは蛇など名ばかりで実はいないのではないだろうか?と。
皆さんどう思われますか?
ふたつの疑問のうち後者はすぐに解決しました。
砲台跡を目指して歩いてすぐに、「注意。蝮がいますので近づかないでください!」という古い看板が立っていました。
最初は蛇に警戒しながら、舗装されていない、不揃いのゴロタ石の山道を登って行きましたが、登るのに精いっぱいでいつの間にか蛇のことなど吹き飛んでしまっていました。
それくらい歩くのに苦労する道でした。
ただ、排気ガスなどない島の空気は新鮮でしたね。
地図はアバウトで的確な標識もなく、まるで戦争中にタイムスリップしたような気分に襲われましたね。こういう気分になったのは恐らくここが最初で最後でしょう。
そして、ようやく第5砲台跡に到着しました。砲台跡はいずれも煉瓦造りで全部で5つあるんですが、第4砲台跡を除く4つの砲台跡を見ることができました。
砲台跡はいずれも大砲は備え付けられていなくて(終戦後、砲台は取り壊され、大砲は処分されたそうです)大砲を設置した場所とこん跡を残すにとどめていました。
砲台跡は海に面した第1砲台跡と島の中心部分の山の上にある第3砲台跡が圧巻です。
第1砲台跡は米軍により粉砕され、あまつさえ、風化によりかなり危険な状態になっていたので、用心しながらの探索となりました。
一方第3砲台跡は比較的原形をとどめていました。
第3砲台への入口は地下のトンネルを通らなければならないのですが、これが真っ暗でまさしく一寸先は闇の状態で、途中恐ろしくなって何回も引き返そうかと思案しました。
それでもトンネルの片側に手を当てながらゆっくりゆっくり進行し、何とか地上に通じる階段を上って出口に到達することができました。もう二度と行きたくないところですね。また、煉瓦造りの弾薬庫跡はかなり広い空間になっていて防空壕?のような印象を受けました。
旧海軍の聴音所跡は場所が分かりませんでした。
結局、3時間で島を約半周してきました。
その他、この島は手つかずの自然が残っているので、美しい景色があちこちに見られました。

私は現在、大沢在昌氏の「海と月の迷路」という小説を読んでいます。
この小説は長崎県に浮かぶ端島(通称軍艦島)を舞台にしています。
端島はかって石炭採掘がおこなわれたところですが、いまは廃鉱となり住民が住んだ高層建築群は廃墟と化し、無人島となっています。
そして、この島もいまブームとなっているそうです。

私は端島の方は知りませんが、友ヶ島と似通ったものがありそうな気がしています。

(画像の説明)
上段 観光客でごったがえす加太港
中段 弾薬庫跡
下段 第1砲台跡 以下次ページに続く
 

コスモス

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月22日(木)04時19分54秒
  庭に咲いてました。秩序と調和の宇宙を表すそうですが。
 

菱の実

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月22日(木)04時04分29秒
  菱何十年も見てません。わらすぼ四十年近く食べたことはありません。懐かしいですね。  

菱の実

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2015年10月21日(水)16時53分49秒
  近くの八百屋さんでJA全農ふくれんのひしを見つけて買ってみました。
佐賀のひしに比べると大きいですね。味はどうかしら?
 

御殿場線

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月20日(火)21時30分4秒
  小田急の特急あさぎりが、JRの線路施設を(特別なケースで)共用をしているものです。小田急新松田とJR松田間の御殿場連絡線を利用してます。
ドアの開閉を手でやるのは冬場、埼玉以北のJRではよく行われています。
 

JR御殿場線岩波駅

 投稿者:トト  投稿日:2015年10月20日(火)19時07分54秒
  今日は仕事で表記に行ってきました。
ルートは新宿駅から小田急線で御殿場駅へ、其処でJR線に乗り換え岩波駅へ、というのが指定されていました。

指定通り御殿場駅に着き,JRに乗り換えようと駅を出てJRの駅を探しました。どうしても見つからないのです。やむを得ず振り返り、改札口の駅員の人に聞こうと思いました。するとなんと今出てきた改札口がJRの駅なのです。まるで狐に騙されたような気分です。

聞いてみると、小田急線の列車はJRの御殿場駅に到着するのだそうです。しかも乗り換えるJRの列車は同じホームの反対側に停まっていました。

やれやれと乗ろうとすると、ドアは閉まっています。どうしたらいいのだろうと、茫然としていたら、トコトコと来たお婆さんが、ドアを開けて入って行きました。ドアは自分で開けるのです。

実に驚きました。人生にはまだまだいろんな驚きがあるようです。
 

丸紅本社

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2015年10月20日(火)10時43分19秒
  現役のとき竹橋の丸紅本社には仕事の関係で近傍をウロウロしました。大商社にふさわしい威容、佇まいでした。  

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2015年10月19日(月)22時50分6秒
  今日千代田区大手町の丸紅の近くの交差点でいい香りがして 振り返ったところに ヒイラギ木犀があって白い花を咲かせていました。