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よく「国際人の育成・養成」「グローバル人材育成」とかの表現が政府・学校などの文書・ウェブに使われてます。
国際人を育成するために、政府は英語教育を小学校から始めるとかですが、その国際人とは一体何でしょう?
英語に直訳すると「international man」ですか?そのような英語表現は無いし、誰も理解出来ない、
このように言葉表現など些細なことは考える・話すにも値しないかもしれませんが、この言葉には嫌悪感さえあり、
まして使うなどは浅薄であるとも思える・・・どうしてか説明します。
敢えて定義すると「国際的に有名な人」でしょうか?「有名な人」が国際人と呼べるかどうかも分かりません。
テロ団体・アルカーイダの中心人物だったウサーマ・ビン・ラーディンは著名でしたが、秘密の邸宅に隠れて暮らしていた
人を「国際人」と呼ぶのは疑問です。
アメリカのメイジャーリーグでプレイしている鈴木選手は、打撃が驚異的だった頃はアメリカでも有名でしたが、
今はそうでもありません。つまり一時は国際人だったけど今はそうでもない?いやイチロー選手は国際人でなく、
ただ「アメリカと日本で知られた野球選手」であり、ヨーロッパでは無名、「著名度と国際人とは関係ない」と言う方が
正しいみたいです。
それとも「世界諸国で働いている人又は活躍している人」ですか?
ウェブの辞書・大辞泉には「国際的に活躍している人」「世界的に有名な人」「世界に通用する人」とかですが、
いずれも曖昧で基準などありません。
厳密に言えば基準がないので、国際人なるものは存在しない、飾り言葉でしかないので嫌悪感さえあります。
その理由は、定義が曖昧なのに政府の教育方針に用いられている、つまり「目的・行く場所が明確でないのに
行く方向を決めている」、政府の教育の方針の一つならば、話す・考えるに値します。
但し偏見に捕らわれなく、「国際人」という言葉を使っている人達の意見を聞いてみましょう。
「真の国際人とは何か」と外務省参与関西担当大使・天江 喜七郎氏による一橋大学入学記念講演会の
記事が http://jfn.josuikai.net/josuikai/kaiho/0704amae/main.html にあります。
外務省の外交官だった人なので「国際人」と言えるでしょうか?講演の内容を抜粋しましょう。
私の考える国際人の第一の条件は“To be international, be national”即ち、「国際人になるなら、
先ず日本人たれ」ということです。世界に立ち向かう時、我々はその拠って立つ基盤、即ち「日本人とは何か、
日本文明とは何か」を知ることが大切です。
正直言って”To be international, be national"の意味さえ分かりません。International Trade(国際貿易)
International Law(国際法)、International Agreement (国際同意書)などなら具体的ですが・・
国際人としての第二の条件は、自己の立場を主張すると同時に相手方の立場に配慮することです
国際人としての第三の条件は、コミュニケーションの道具としての高い語学力を身につけることです。その中でも
英語は世界の唯一の共通語です。一橋大学の入試に合格した諸君の英語力は今最高の状態にあります。
中国語は諸君にとって英語に次いで必要な外国語となるでしょう。今世紀の中ごろには空路日帰りで
中国の会社に通ったり、週末に中国のリゾートに泊まりに行ったりするようになるでしょう。
英国の名門校イートン校では、最近ラテン語の授業を減らして、その分中国語とインド語を選択させるようにした
といいます。その先見の明を我々も大いに参考にすべきです。
これらに反論する点は何もありません。新入生への入学記念講演なので大先輩として助言しているに過ぎない、
長年外務省の外交官だったので、国際事情にも精通し言語も問題ない自分を国際人と自認しての言葉です。
この人の定義は A 日本文明を知る、B 外国人・相手を理解する、C 語学力を身につける、となります。
これらは概要であり「日本文化を知る」など曖昧です。語学力を身につけるにも、外国語は母国語以上にならない
という点から「日本語表現がおろそかだと外国語も怪しい」という意味なら分かりますが・・・
国際人とは国の外交官になることでしょうか?どうも抵抗感があります。別の観点を次回から続けましょう。
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