朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月15日(土)06時01分16秒
  ①議論より風で決まるの?解散は「選挙好き首相」
②隠すベきトコロは隠す「山東昭子氏のご見識」
 

作品集掲載

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年10月14日(金)22時34分31秒
  Steve Todaさんの“California as I saw ”「カリフォルニア見たまま(11)」を作品集のエッセイのジャンルに
掲載させていただきました。

     謝々。

 

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月14日(金)20時16分40秒
  十三夜から一日遅れの月  

オスプレイ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月14日(金)16時24分18秒
  作日の国会中継で安倍首相は「訓練飛行を佐賀で行うことを進めている。」と答弁した、「オヤ」と思っていたら山口県知事が稲田防衛相に電話で要請したと今朝の朝刊で報道された、明治維新後の薩長土肥の2の舞いのような気がする。よくよく熟慮して決めてもらいたい。  

カリフォルニア見たままを読んでの感想

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月14日(金)14時26分5秒
  ①米国は訴訟の国であるとともに公平な取引が行われている国ということが書かれていますが大変面白いと思いました、
②シリコンバレーが産業、學術、軍の三者が密接な関係があるというのもそうだろうなと思いました。
「カリフォルニア見たまま」を読みますと大変示唆されることが沢山あります。うまく感想として表現できませんが自分なりに解釈しています、これからもお願いいたします。
 

カリフォルニア見たまま(11)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月14日(金)09時38分52秒
  スティーブさんの仕事の話。実体験に基づいているので分かりやすく、自分の体験と比較して読んでいます。

弁護士への相談は事務系の仕事に就いたら、多かれ少なかれ経験すると思います。
私もスティーブさんと同様、多い時は毎日相談に行ったものでした。彼らの論理的な思考力は学ぶ点が多かったですね。

トップがいてそれを支える有能な実務者集団がいるという構図は日本の官僚体制のようですね。
日本の官僚は優秀で良いんですが、日本の場合、国の行政を担う政府のトップが仰っているアメリカ企業のトップの様に優れた人達かどうかなんです。無能で官僚の思うままになっていれば進歩は望めません。

ヴァケーションは最近だいぶ改善されてきているようですが、まだ盆暮れに集中しているようですね。私の勤めていた職場では夏季休暇は7~9月の間で好きな時に7日間とれるようなシステムでした。私の場合は勤めの後半、率先してまとめてとっていましたね。

 

ノーベル文学賞

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月14日(金)08時34分53秒
  今年のノーベル文学賞はボブ・ディラン氏に決まりましたね。
音楽の世界からの受賞は初めてでは?
私は村上春樹氏の受賞を密かに期待していましたが残念でした。
氏の作品「1Q84」に月が出てきますが、晴れて良く見えている月でした。
昨日の雲間の月を見てもしやと思いましたが、その通りになりました。
来年に期待します。
いま、彼の短編を再度読んでいます。
 

California as I saw

 投稿者:Steve Todaメール  投稿日:2016年10月14日(金)07時57分32秒
  カリフォルニア見たまま(11)

仕事についての話しを続けますが、先に述べたようにこの国は訴訟社会である為、弁護費用と時間がかかるというマイナス部分もあります。 法務担当をしていたときは毎日弁護士に電話をして、次々に起る様々な相談をしていました。 この頃には弁護士と1時間も法律の専門用語を使って議論して、自分でも英語の力は随分ついたなあと思ったものです。しかし、 その電話相談は1分いくらで弁護費用となっており、月末には莫大とも言える費用になっていました。 無論、それ以外にも訴訟になれば、法廷に出廷せねばならなくなるし、相手方との直接協議にも出かけていきます。

ただ、逆に言えば、法律に反する商行為は出来ないし、不条理な詐欺まがいの取り引きは横行しにくいという、公平な取引の国であるとも言えます。 そして、それは労使間の労働条件の面でも言えることで、同じ労働に対しては同じ報酬を払い、不当な労働や残業を強制してはいけないという社会です。

一方、企業と個人の関係は日本に較べて弱く、いわば個人はその専門分野で職人的に仕事をするような傾向があります。 ですから、それが思ったように力が発揮出来ないと感じたらさっと会社を移ったりします。  会社を変わらない人はいないといっていい程でむしろ、変わらない人はよほど能力のない人かと思われてしまう位です。

ではここの企業ではどのような人が組織を引っ張っているのか。 これは私だけの印象ですが、この国には非常に限られたとてつもなく出来る人物がいて、それらの云わば天才達がアメリカの明日を切り拓いて国を引っ張っているように見えます。 彼らは頭がきれて、スポーツ万能で女にもてるナイスガイなのです。 ジョン・F・ケネデイーがその一人だと思います。 その特徴はガリ勉ではないことです。 ステイーブ・ジョブスもその一人だったと思います。

そういうトップの下にはどのような人物がいるかといえば、日本と同じ実務の出来る連中です。 で、意外なのは日本にしかないと思っていたグループ集団がその仕事の出来る者を囲んでいるのです。 シリコン・バレーで時々起こるのは、その実務の出来る人物の引き抜きです。  抜かれた会社からはあるデイビジョン全部がその人について行ってしまうことも起こったとか。 ですから、ここでは企業の中ですべての者が自分だけで仕事をしている訳ではなくグループリーダーの下にチームがいるような形で仕事をしているところもあるようです。

一方、最近の企業の中ではある部分を社外のコンサルタント会社に丸投げするということが出てきています。 もともとはコンピュータシステムの導入とか経理部門とか専門技術にからんだ部門で始まったもので、自分では出来ないので専門家に依頼したものですが、それが経費的負担も軽く従業員を抱える必要がないことなどからどんどん広がって人事部門や会社の吸収・合併プロジェクトなどから最近はあらゆる部門に広がりつつあります。 人事部や経理部をなくし、それらをコンサルタント会社にやってもらい、その費用だけを払うというちょっと不思議な会社経営ですが、かなりの企業でこれを採用し始めています。 私の息子はこのコンサルタント業界にいます。

一方、この国では、産、学、軍が密接な連携をしており、シリコン・バレーの発展はこのベイ・エリアに沢山ある大学の存在が重要な役割を果たしています。 軍と企業は大学に対して新技術の開発を依頼し、その潤沢な資金をつぎ込みます。 そして、その成果を使って軍と企業は新製品や新兵器を世に送り出します。 中心となる大学はU C バークレーとスタンフォードの有名校です。 私立のスタンフォードは第二次大戦中はもと大統領のフーバーの指示で日本の市民生活をつぶさに調査しており戦時中の新聞から雑誌などあらゆる出版物などを集め、大学の中にあるフーバー・タワーの中に保管していたと聞きました。 当時のいわば情報戦争の一部を大学が担って、軍の戦略作成に寄与していたそうです。

インターネット等のコンピュータの先端技術やGPSの人工衛星技術は元々軍事目的から始まった技術でそれを民生用にも広げていったものでそれらはこの産、学、軍共同路線から生み出されたものの一つです。

ここの企業で働く人々が大事にしていることは、ネット・ワーキング 、即ち知り合い作りだそうで、これは日本と同じと私には思えます。 ビジネス界で沢山の知り合いを持っておくことが重要といいます。 それは、学校時代の同期生から始まり、関連企業の人やその他仕事で出会う色んな人を知り合いにしておくと、いつかどこかでビジネスの相手になることが出てくるというのです。 その為に、人との交流の場所が色々提供されているので、そういうところに積極的に出かけることが重要といいます。業界が行っている、フォーラムと呼ばれる発表会や展示会、見本市(オートショーやエレクトロニックスショーなども含む)に出て行くことを言っています。 ビジネスはここでも人と人との間の取引であることだということでしょう。

ここでの勤労者の最大の楽しみはバケーションに行くことです。 一年も前から次はどこに行こうかとプランしています。 家族単位で子供のいる人は学校が夏休みの間に、旅行やキャンプや色んなバケーションに出かけます。 皆はこの年に一度の休みの為に働いているといって過言ではないほどです。 何かのアンケートでバケーションに行けないと会社が言ったらどうするという質問をしたら、会社を辞めるとの答えだったそうです。 そうです、ここでは仕事よりバケーションが大事と思える位なのです。 実際にはバケーションの直前に会社がそれを止めることは決してありません。 それをしようとしたら、訴えられて会社は罰金などの罰を受けるのでどの会社もしません。

そういえば、ここへきてすぐに日本からの派遣のエンジニアが驚いていたのは夏の間あちこちの会社に電話すると担当者はバケーションで留守ですから2週間してからまた電話下さいと言われたことです。 いまでは、一つの仕事を複数の人でカバーするようにしていますからこんなことは起こりませんが、非常に専門的な部門では今でもこれが起こります。 そして、それに対して電話した方も自分もバケーションに行くので納得するのです。

仕事を毎日続けていると、肉体的だけでなく我々は精神的に疲労するものだと私は思います。 ですから、年に一度出来れば二週間程仕事から完全に離れて気分を転換して、疲労から回復しておかないと仕事を続けていけなくなると、精神科医が述べていたと思います。  別のケースですが、日本からの駐在員で全く休みを取らないで働いている人がいて、ものすごく疲れた顔をしているのです。 で、一週間でいいからバケーションに行った方がいいですよと言いました。 そしたら、家族旅行に行って、すごく晴れ晴れした顔で戻ってきました。

日本でも最近はバケーションを取るようになったようですが、それでも仕事が急に出てきて旅行を断念したりするというテレビドラマを見たりするとまだまだのようですね。

ただ、私が思ったのは日本では盆と正月といういわば与えられた休みがあって、車が込んでも飛行機の切符が取れなくても皆が故郷へ帰っていくのがこの気分転換になっているのではないかと思います。 特に年末は年忘れといって、要するにあれはその年の積もり積もった疲れを振り払って、心をリフレッシュして新年を迎えましょうという、いわば強制的気分転換の儀式なのではないでしょうか。

つづく
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月14日(金)05時08分28秒
  ①黒煙が老原発とダブり見え。「東京大停電」
②合併で社名「トヨス」になるのを避け。「イメージ悪ッ」
 

十三夜の月

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月13日(木)21時44分43秒
  関ヒマ様、写真ありがとうございます。  

雲間の名月

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月13日(木)21時01分17秒
  2016・10・13
雲間の十三夜の月
 

生命観の新潮流 祝ノーベル賞!

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月13日(木)09時38分27秒
  朝日新聞掲載福岡伸一氏の動的平衡から引用

(前文省略)シェーンハイマー(ナチスドイツから亡命、米国で研究した科学者)は同位体を使って生体物質の動きを可視化し、私たち生物が食べ物を摂取するのは、単に燃料を補給するためではなく、自分自身の身体を日々、作りなおすためだということを鮮やかに示した。生命は絶え間のない分子と原子の流れの中に危ういバランスとしてある。それがこのコラムのタイトルにもある動的平衡だ。生命観の革命的転換だった。
流れを作り出すには、作る以上に壊すことが必要だ。それゆえ細胞は一心不乱に物質を分解している。チカノバー(2004年ノーベル化学賞受賞者)は、シェーンハイマーの遺志を継いで、壊すことの重要性を示した。
このパラダイムシフトに新しい潮流が加わった。細胞にはさらに巧妙で大規模な分解システムが備わっていた。それが大隅良典(2016年ノーベル医学・生理学賞受賞)のオートファジー研究である。
 

十三夜の名月

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月13日(木)09時12分22秒
  関西も曇りです。
夕方に晴れ間の予想ですので期待します。
 

栗名月

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月13日(木)05時20分17秒
  今日は旧9月13日、 後の名月です。関東は曇りで見るのは難しいと報道されています、
http://sk-imedia.com/jyusanya-2754.html
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月13日(木)04時46分27秒
  ①戦争を事変と言った蒸し返し。「南スーダン」
②九条の危機の国から師を偲ぶ。「ワイダ監督」
 

国会中継

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月12日(水)13時59分17秒
  衆議院の予算委員会の中継をやっている。安倍首相が言い訳に終始してしていたが最後に発言を取消した。「民進党の玉木議員に対する発言に対してカン違いを認め取消した」 一国の首相としてはずかしくないのだろうか?  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月12日(水)05時33分0秒
  ①オバマ氏に三期やらせてみたくなり。「下劣極まる討論」

②三本の矢ではかすらぬノーベル賞「日本に縁無き経済学賞」
 

プロテスタント

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月11日(火)15時52分29秒
  米国人の8割はキリスト教徒であり、その6割がプロテスタントと言われている、。ドナナルド・トランプ氏はプロテスタントの長老派であり、ヒラリー・クリントン氏はプロテスタントのメソジスト派だそうだ。  

メイフラワー号

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月11日(火)15時42分53秒
  近代米国史は17世紀のメイフラワー号を始めとするプロテスタント移民に始まる、しかし古来アメリカには先住民が約1000万人いたといわれている。米国の東海岸に陣取った移民は西に勢力を拡大させていく過程で、先住民の土地を奪い、虐殺し、強制移住させた。独立宣言の中で「全ての人は平等に作られ、、、」と書いてある。全ての人の中に先住民が含まれなかったのは歴史が明確にしめしている。19世紀おジョン・オサリバンの「マニフェストデステニー」である。「米国人は神から選ばれた存在であり、この大陸全体にわたり、劣等な民族を教科するのは神から与えれた使命である」という選民思想である。山口敬之元tbs ワシントン支局長の著作より。  

作品集掲載

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年10月11日(火)13時09分56秒
  Steve Todaさんの“California as I saw ”「カリフォルニア見たまま(10)」を作品集のエッセイのジャンルに
掲載させていただきました。

     謝々。
 

キリンの子 

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月11日(火)09時54分42秒
  鳥居歌集「キリンの子」から抜粋

くちあけてごはんいれてものみこまず死を知らぬ子は死にゆくひとに
目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
コロッケがこんがり揚がる夕暮れの母に呼ばれるまでのうたた寝
灰色の死体の母の枕にはまだ鮮やかな血の跡がある(小学5年の時目の前で母の自殺)
いつまでも時間は止まる母の死は巡る私を置き去りにして
町角のポストのなかに隣り合うかなしい手紙やさしい手紙
帰る家失くして歩く通学路 絵の具セットはカタカタ揺れて
つつかれてゆっくり睡るオジギソウ祖母の畑の傍らにあり
雑草の葉の部分だけむしりつつ祖母の畑に見上げるトマト
ランドセルはじめて背負った日のようにタンポポの咲く空地を渡る
手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた
 

カリフォルニア見たまま(10)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月11日(火)09時33分40秒
  いつも興味ある話題を提供していただき有難うございます。

(日本食の輸入卸の会社)
味噌、醤油、タクワンなどは、書かれている通り最初は日系人のためだけに提供されていたものが、40年を経るうちに(全米の支店・事業所網も25店位に増え)日系人以外のアメリカ人へも浸透していったことがうかがい知れます。
25の支店・事情所網を整備するのは大変だったと思います。資産も膨大になったと思いますし、書いておられる資産管理も苦労されたと思います。
(アメリカ合衆国)
肌で感じたことがないだけに今一つ良くわかりませんが、別の国のようでそうでもないということなのでしょうか。ナショナルホリディが週によってはホリディではないというところなんか驚きです。
(訴訟の国)
アメリカが訴訟の国ということは、雑誌や新聞やテレビである程度知っていました。
日本も最近はアメリカナイズされてきているのか、訴訟も盛んですが、そこは、ピューリタンの国とやおよろずの国とでは本質的に違うようですね。

スティーブさんが書いておられるように、「武士の情けという言葉も考え方もありません。相手を叩くときは、徹底的に完膚なきまでやるようなところがあります」というのは、日本人とアメリカ人の基本的な違いというように感じます。

 

The Unnown Truth

 投稿者:kikiメール  投稿日:2016年10月11日(火)09時20分3秒
  ヒューマンドラマ!
       ”ハドソン川の奇跡”
155人の命を救い 容疑者になった男 サレンバーガー機長の決断の物語でした。久しぶりに感動しました。Steve  Toda 氏のCalifornia  as I saw と重ねながら 観てきました。

監督・・ クリント・イーストウッド 主演・・トム・ハンクス
 

カリフォルニア見たまま10,を読んで

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月11日(火)05時25分26秒
  米国の事を率直に、経験を基に、述べておられます。
項目的には米は合衆国であると言うこと。安全基準が厳しい事、トラッウドライバーに対しての運転時間の規制が厳しいこと、訴訟の国であること、「武士の情け」は通じないこと,相手を叩くときは完膚なきにまでやる、などなど、です。成程と思いました、。
ご苦労された事と思います。お互いに理解することが平和を保って行くことに必要不可欠だとあらためて思いました。
 

California as I saw

 投稿者:Steve Todaメール  投稿日:2016年10月10日(月)23時51分55秒
  カリフォルニア見たまま(10)

銀行員として働いて14年ほどが経った頃、ずっとこのままでいいのかなという疑問が湧いてきました。  それは、第一には銀行員は座って客が入ってきたら相手をし、デスクに座って貸付に必要な書類を作ってローンを出すのが仕事と思っていたのが実際には外へ出て行ってビジネスを取ってくるセールスもしなければならないことが分かった為。 それは自分の性格からして向いていないと思ったのです。 もう一つの直接的理由は最後に勤務した支店の支店長の仕事の仕方が余りにひどかったからです。 そして、そのような人を平気で支店長にしておく銀行そのものに失望して、別の会社に移ることにしました。

そして、その別の会社というのが銀行の顧客で日本食品の輸入・卸の会社でその社長が大学の先輩だったのです。 会社の名前は JFC International といい、キッコーマンの子会社です。 丁度、Export Manager を捜していてそのポストにつきました。

この会社は元々タクワン貿易と呼ばれ、アメリカに住んでいる日本人、日系人の為に味噌、醤油、タクワン等の日本食を輸入して全米に卸しており、最初はアメリカ生まれの日系人によって始められたものをキッコーマンが買収したものです。

日本食の輸入はここ40年程の間に急速に増えて JFC もどんどん売上を伸ばし年商500億になり、全米の支店・事業所網も25店位に増えました。 その近年の急成長はアメリカでの寿司、日本食ブームそして食品の冷凍技術の向上に支えられています。

入社して暫くして、別の総務部に移り、具体的には人事、法務、危機管理、不動産・建物管理等多岐にわたる仕事をしました。  そして、全米に広がった支店や事業所を駆け回りました。 お陰でシカゴやニューヨークそしてロスアンジェルス等の大都市からサンディエゴやシアトル、デンバー、フィニックス、マイアミ、ヒューストン、アトランタ、ボストン、ダラス、ボルテイモアなどの中都市にも出かけ、オハイオ州のトレドという小都市にも出張しました。

アトランタ支店の倉庫を新設するためのプロジェクトが出てきて、建物の建設をゼロから竣工まで担当したりもしました。 最後の年には新く購入したロスアンジェルス支店の倉庫の内装工事の担当をして、毎週飛行機でロスまでの日帰り出張もしました。

これらの部門は私にとって未経験だったのですが、日本からの進出企業は数少ない日本人従業員に沢山の部分の仕事をやらせる形を取っていました。 その理由は日本語が完璧で日系人やアメリカ人より日本の会社のやり方を理解出来るからです。  この会社は役員とほとんどのマネジャーと支店長は日本生まれの日本人で固めて、役員会と支店長会議は日本語で行われていました。

これには、最初私も少し疑問をいだきました。 しかし、しばらくしてその理由が分かりました。  この会社は日本の食品を売っているのです。 ということは、日本の文化を売っているのです。 サンフランシスコ支店に日本生まれで日本語の喋れる中国系の人がいて、昆布とワカメの違いは分かるかと聞いたら、いや分からないというのです。 彼は中国系のスーパーマーケットとかレストランにセールスに行ってるのでそういう知識は要らないのです。 しかし、日系の顧客は彼には扱えないのです。 商品知識だけでなく、商売の仕方とか考え方に関して日本を熟知してなくては務まらないのです。

この会社で色々の事に出会い、色々の事を学びました。

その一つはアメリカは合衆国だということです。 全米に支店網をめぐらしていて困ったのは州によって色々の事が異なり全国一律の会社運営をするのが難しいのです。 例えば、年間の休日の設定をするのに州によって休まない所があるのです。 そこでの昔からの慣習で他社がほとんど休まないから休日にすると苦情が出るというのです。 我々に分からないのはその休日はナショナル・ホリデイーなのにです。 テキサス州は特に自分達はアメリカ人ではなくテキサス人だと言い、法律なども他州と異なり、会社の損害保険はテキサス州にある事業所のみを別保険にして残りの州をまとめた保険の2本建てにしなくてはなりません。 車の運転や飲酒の出来る年齢も州によって異なります。 そう、ここでは州の方が強く、この国の名前はユナイテッド・ステイツであって、州の集まったものなのです。

次に思ったのは、当局の安全基準等に関する監視、立入検査などが非常に厳しく罰則も重いことです。 食品会社ですから商品に有害物質等が混入していると即商品リコール、即ち市場からの回収を命じられ係官立ち会いのもと廃棄となります。  最近は漂白のためとか保存料として微量の化学物質が入った食品があり、その量がわずかでも基準値を越していればリコールとなり全国の顧客からその品物を回収しなくてはなりません。

それから、運輸省のトラックドライバーの運転時間の規制は厳しく一日何時間、週に何時間以上は運転出来ません。そして運転手は日誌をつけて走行記録を提出せねばなりません。  これらを運輸省は細かにチェックし違反があれば、即罰金となります。

それから、日本との大きな違いはこの国は訴訟の国だということです。 何でも訴えるのです。それは時には莫大な賠償金が支払われるからです。 マクドナルドのコーヒーで火傷をした人が百万ドル受け取ったりして。 しばらく前にはやったのがセクハラ事件。 法務担当の頃、会社内でも起こりました。 困るのは本当に起こったかが分かりにくく、訴えられた側は莫大な弁護費用がかかるので真相究明努力をせずに示談にして金を支払うことがあったことです。

それと、契約社会でもあり例えば企業間の建物の賃貸は50ページもの長い契約書を交わしてからのことになり、その度弁護士に高い弁護料を払い中味をチェックしてからになり、20軒以上の支店の契約を扱うのは大変でした。

又、従業員は法律で保護されていて不当に酷使されたり、手当なしで残業をさせられたりということはあり得ません。 もし、起こればすぐに訴訟になり罰金刑になりますので企業側も最初からそのような事はしません。 ただ、困るのはこれを逆手に取って余り働かず労働基準法と労災法を勉強して法律ギリギリ分しか働かない従業員が出てくることです。 倉庫の担当者で自分のからだの一部分、例えば、足、腰、腕等が痛いと訴え、労災だと言うのです。 医者の所へ行って証明書を貰ってくるので会社は認めるしかないのです。 医者は本当に痛いかどうかは本人が言っている限り否定することはできないのです。 しかも、次から次に痛い部所が変わっていってのべつ働かないのです。

では、アメリカ人は働かないかと聞かれると、必ずしもそうではありません。 日系企業内ではどっちかといえば働かないということが言われますが、それは会社がちゃんと使っていないからで一般的に言って、アメリカ人も良く働きます。 体力的にも内容的にもバリバリと働く人は沢山います。 持久力もあり、ものごとをとことんやるという気構えも持っています。 戦争に勝てなかったのはこれもあるなと私は感じました。 相手を叩くときは、徹底的に完膚なきまでやるようなところがあります。武士の情けという言葉も考え方もありません。

つづく
 

朝刊の俳句から。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月10日(月)20時05分44秒
  10月11日」は新聞休刊日なので10日の朝刊から引用します。
①曼珠沙華ひとつひとつの揚羽かな。「秋の彼岸花一つ一つの野生に夏逞しき揚羽蝶」
②露の世にまだ夫がゐて吾もゐる。「明日何が起こるかわからない露の世。作者が夫も自分も元気でいると意識した背景を想像する。」
 

秋の草花

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月10日(月)11時18分41秒
  ホトトギス
木霊でお馴染みになりました。
 

朝刊の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月10日(月)05時58分43秒
  ①久しぶり針を落とせばこの曲のこの旋律でキズ拾う音 「古いレコードの古いきず。やっぱりあそこでと傷さえも懐かしい。」
②二千回余震の続く熊本の仲秋の月今宵のぼらず「熊本の月、結句の強さが意思あるように痛切」
 

早稲田南町

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 9日(日)09時27分33秒
  矢来町には新潮社もあります、
ドラマでは早稲田南町に転居する様子が放映されていました。この家から「硝子戸の中から」などの名作が生まれました、。旧居は「漱石山房」と言う名前で近々開館の予定だそうです。
 

矢来町

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月 9日(日)08時57分26秒
  NHKの連続ドラマ「夏目漱石の妻」を見ています。
漱石の東京の自宅の場所が矢来町でした。
何処かで聞いたことがある名前だと思っていましたが、神楽坂一家の住む榎町の近くなんですね。
「木霊」のお蔭で漱石が住んでいた家が東京のどのあたりかわかりました。
 

梁(はり)

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 9日(日)07時27分23秒
  上梁(ジョウリョウ)正しからざれば下梁(カリョウ)歪む。

上の梁(ハリ)がまっすぐないと下の梁が歪むの意で、上に立つ指導者よくないとそれつれて下の者が堕落することの喩え。俗諺。悪しきリーダをいただき、国や組織が壊滅した例は古今東西
枚挙に暇がない。
 

朝刊の諧謔

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 9日(日)06時07分14秒
  10月8日に朝刊
かたえくぼ
「高齢者70歳以上」4割
年金支給遅らせせないでねー国民
 

女郎蜘蛛

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月 8日(土)15時37分46秒
  わが家の近くで代表的な蜘蛛といえば女郎蜘蛛です。
けばけばしい色の蜘蛛で立派な蜘蛛の巣をはります。
春先に袋状のものから蜘蛛の子を散らすように夥しい数の蜘蛛が誕生します。
春先には小さかった蜘蛛が今では立派に成長しています。
庭掃除のときなどに半透明の蜘蛛の巣にひっかかり往生するので蜘蛛はあまり好きではなくて、見つけ次第竹ぼうきで捉えて、2軒先の空き家に移動してもらっています。
それでも、また新しい蜘蛛が同じ場所に巣を作ります。
まるで、地表に待機して巣が張れるのを待っているようです。
また、今の時期は大きな雌蜘蛛の蜘蛛の巣に小さな蜘蛛が居候しています。
この蜘蛛は子供ではなくて、雄蜘蛛なんです。
冬を迎える前に交尾する機会を伺っています。
雌蜘蛛は獰猛で交尾した雄蜘蛛を直ちに食べてしまうそうです。
それでも果敢に挑むちっぽけなみすぼらしい雄蜘蛛を見るに忍びないのでわざわざ2軒先の空き家まで移動してもらっています。
 

作品集掲載

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年10月 8日(土)14時04分42秒
  Steve Todaさんの“California as I saw ”「カリフォルニア見たまま(9)」を作品集のエッセイのジャンルに
掲載させていただきました。

     謝々。

 

カリフォルニア見たまま(9)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月 8日(土)09時26分54秒
  今回は職場の話題ですね。
東京銀行の現地法人なので、日本の職場とあまり変わらないように見受けました。
銀行なので現金も扱われたことがあると思います。
私の職場の関連企業に銀行出身の方がいました。
ある方の家族の葬儀の時、参列者が持って来られた香典を数える役目をされたんですが、手際よい数え方に驚いたことを思い出しました。
札束を4枚ずつ数えていましたね。
 

カリフォルニア見たまま9.

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2016年10月 8日(土)08時15分52秒
  興味深く読ませていただきました。昭和40年代、銀座のピアノバーに会社の先輩に連れて行かれたことがあり、その事を思い出しました。現地でのコミュニティとのつながりに関連したお話、想像しながら読んでいます。  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 8日(土)05時52分46秒
  ①雲行きが怪しくなれば、お歳召し。「石原元知事」
②白紙でも及第ですと胸を張り。「不埒な領収書」
 

California as I saw

 投稿者:Steve Todaメール  投稿日:2016年10月 7日(金)23時41分54秒
  カリフォルニア見たまま(9)

ハーパー・ロビンソン社に半年ほど経った頃そこへ引っ張ってくれた彼が ”東京銀行で人を探しているそうだぞ” というので行ってみました。 そしたら驚いたことに出てきた二人が大学の先輩だったのです。 そして、簡単な面接の後 ”明日から来れる?”と言うのです。 むろん、ここでも少くとも1週間前に通告してから会社を辞めるルールがあるので、結局それくらい経ってから銀行に入りました。

東京銀行の現地法人で正式には Bank of Tokyo of California で外国為替銀行としてカリフォルニアに進出して支店網を作りあげていました。 現在はユニオン・バンクになり、三菱・東京UFJの子会社です。

仕事は企業向け融資担当オフィサーで日系企業の貿易金融業務でした。

銀行ですから窓口での客の対応、現金の取り扱い、金庫の開け方から始まって個人向けと企業向けローンの作り方、クレデイット・カードの発行等多岐に渡る銀行業務を学びローン・オフィサーとして働きました。

実は私の日米での会社勤めの中で一番楽しかったのはこの銀行時代です。

というのが、夕方になると支店長が ”一杯いきますか?” と声をかけ、向いの建物の地下のバーにおりていき、グラスを傾ける。 暫くすると ”お腹がすいたから、日本町でも行きますか?” ということになり日本町へ繰り出して食事をして、次はピアノ・バー。  当時はまだカラオケというものがなかったのです。 日本町にピアノを弾いてその伴奏で歌うバーが幾つかあって日本の商社、銀行などの進出企業の社員で一杯でした。

楽しかったのは夜の部ばかりでなく、仕事として特に人間関係が素晴らしかったからだと思います。 日本の会社のいいところばかりを集めたような感じでした。 トップの人は親父の如く、すぐ上の人は兄貴のようで最近の日本の会社で起こっているような変な上下関係のない毎日でした。 その状態は外国にある日本企業で働くという特殊な環境だったためだったかもしれません。 というのは、上の人もこの国でビジネスをするのは初めてで、すべてを熟知している訳ではないので、いわば皆でやり方を試し試し進んでいて、下の者の意見も聞いてくる傾向があったのです。 下の者の中にはここで仕事をした経験のある人もいて、ここでのビジネスのやり方を身につけたのもいて、それを上の人に助言するようなこともありました。

銀行で最初に配属されたのは、サンフランシスコ・メイン・オフィスでダウンタウンの古いビルの一角。 支店長と次長は東銀からの派遣。 その隣は企業向けの融資担当者で皆現地採用。 白人の男性のローンオフィサー、それから私の先輩の現地採用の日本人、 それから白人の女性のローンオフィサーそして私が並んでいました。

向かいは窓口が並びテラーと呼ばれる窓口担当が数名、その後ろにオペレーション・オフィサーと呼ばれるスーパーバイザーが座っている。  奥の方には個人向けローンの担当者やノート・デパートメントと呼ばれる書類の処理班とブック・キーピングと呼ばれる小切手の取扱部門がいました。 この頃はまだコンピュータを使っておらず、ローンの支払い処理や小切手の処理を人間の手で行っており、今から考えると気の遠くなる様な時代でした。

我々の仕事は企業向け融資をすること即ちローンを出すことと顧客の会社へ出かけていわばアフターサービスをすることでした。 企業は生き物ですから中味が少しづつ変わっていきますから、時々出かけていないとある日、とんでもないことになっていることがあります。

先輩のオフィサーに連れられてあちこちの顧客の所へ行きました。 ほとんどが中小の日系企業で相手も日本人がほとんど。日本からの進出企業には信用枠を作っておいて、毎年更新していく形が多く定期的に訪問していました。  この中の一軒が後で働くようになる輸入食品の卸売り業者でした。

変わった客としては目玉を取り扱う人がいました。 それも日本語ぺらぺらのロシア系の白人。 日本に住んでいた人で雑貨の輸入をしていて一時は日本製のシガレットライターで儲けたと言っており、造花やおもちゃの部品、たとえば人形の目玉も扱っていました。 それから、元ジャズシンガーでいわゆる ”呼び屋” をしている客もいました。 日本へ有名歌手を連れて行ったり逆に日本から歌手を連れてきたりしていました。

そういえば、銀行では日本の芸能人などにも出会いました。 日本から来るとドルが必要になるので円からの交換のため来られるのです。まずその年優勝したヤクルトの監督広岡達郎さん、それから大学の先輩中村八大さん。 中村さんはもともとピアニストですから、ピアノバーに行って一曲弾いてくださいよとお願いしたら弾いてくれて素晴らしい演奏をしてくれました。帰り際に ”こんなに楽しい夜は久しぶりだ” と喜んでくれました。

かく、日系コミュニテイーの中小の会社・商店に対して貸し付けをしていてコミュニテイーにどっぷり浸かって仕事をしていました。 その最大のイベントがサンフランシスコの桜祭りで、春に日本人町挙げてお祭りがあり、その手伝いを銀行員としてやりました。 祭りの最後にパレードがありそのパレード実行委員を努めました。 パレードには日本からのクループを含めて沢山のグループが参加し、太鼓や日本舞踊、柔道、剣道、バンジョーバンドや桜の女王のダシ、最後には神輿も出てサンフランシスコでも大きなパレードになります。町からも市長、警察署長、市会議員等がオープンカーに乗って参加し何十万人かの人出があります。 ある年はパレードの日に大雨が振り、その時たまたま銀行の日本町支店長が祭りの委員長で、桜の女王は高価な着物を着ているので雨でダメになるからどうしようと困り抜いて、”濡れてもいい人はパレードに出て下さい。そうでない人は出なくてもいい” という決断をしました。 ところが彼自身どこからか透けて見えるビニィールのかっぱを幾つか買ってきたのです。 我々もあんなかっぱはここではあまり見かけないのであとで 支店長あれはどこで見つけたんですかと 聞いたら ”実は自分でも憶えていない”という。  本人もよほど動転していたらしい。 また、別の年には出発地点の市庁舎から当時のダイアン・ファインシタイン市長がハッピを羽織って車に乗ってしまったのです。 ただの祭りのハッピであれば問題なかったのですが、松竹梅酒造の名前の入ったものだったのです。 そのメーカーは大喜びでしたが競合他社は渋い顔。 テレビでも中継されるので大変な宣伝になってしまいました。 このファインシタインさんは後に上院議員になり、オバマ大統領の就任式の司会を務めた有力な政治家です。

このあと、銀行の他の支店でも働きました。 シリコンバレーのサニーベール支店、サンフランシスコの日本町支店、オークランド支店です。

サニーベールにはローキード社や他の有名なエレクトロニクスの会社があり海軍の飛行場もあり、70年代には例の ロッキード  P3C 対戦哨戒機がタッチアンドゴーの訓練をしていました。 P 3 C は日本の田中角栄の汚職事件で話題になった飛行機です。

オークランド支店はサンフランシスコの対岸に位置しバークレーの南にあり、治安の悪い地区です。 ある時、銀行の前に池があって錦鯉が泳いでいたのですが、その池に入って何かわめきながら、端から端まで歩いた女性がいてびっくりしました。精神不安定の人だったと思います。 あの町は政府が戦時中に兵器製造のために工場を作り、工場労働者を送り込んだのですがその人達は黒人ばかりでその結果黒人の多い治安の良くないことになってしまったのです。尤も、治安の悪いのは限られた部分で銀行のあたりはその部分にはありませんでした。しかし、 銀行ですからセキュリテイー・ガードを雇い、そのガードはピストルを下げていました。 幸い、私の在任中に事件らしいことは起こりませんでした。

最近、アメリカでは白人の警官が黒人を射殺する事件が多発し、それに対し黒人が白人の警官を射殺するという困った状況になってきています。 あれはアメリカの抱えた頭の痛い問題で、黒人差別がなくなっていない事と銃があふれているという二つの深刻な事態がこの社会に大きな影を落としています。

銀行で働いて感じたことは、コミュニテイーにいかに溶け込み人々の中に入り込まねばならないかいうことでした。 それが金融サービス業というものの使命なのだと思いました。

つづく

 

予防の秘訣

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 7日(金)22時20分48秒
  前記に引用した文から予防の秘訣の項目だけを抜粋します。
①質の高い睡眠→浅い眠りで終わる人は睡眠導入剤の力を借りることも可
②バランスの良い食事、→地中海食や和食、野菜と魚介類中心。
③メタボにンらない事BMI20以下、
④偏った肉職と過度の飲酒は避ける。 等
 

予防

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 7日(金)19時19分42秒
  何事も予防は難しいし、努力がいるようです。私は継続が一番大事と思っています  

認知症予防

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月 7日(金)18時33分58秒
  沼南ボーイさんが引用されている瀧東北大学教授の「脳科学が証明したボケない秘訣」に「臓器としての脳は加齢により、萎縮し認知機能は低下するが、脳に適度な刺激を与え続けることにより、認知機能を維持するこが可能。脳は使えば使う程ネットワークシステムが充実してきます」 というのがありました。

このことに関連して次の本があります。

同じ東北大の川島隆太教授監修の「脳が活性化する100日間パズル」という本があり、これがシリーズとなっており、いま4冊目に挑戦中です。
中味は数独やクロスワードパズルや絵の間違い探しなどで15分以内を目途として解くようにしなさいと書かれています。
あまり難しい問題はないので楽しみながら解いています。
 

認知症予防方法

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 7日(金)07時43分59秒
  認知症予防方法
文芸春秋11月号。瀧東北大学教授「脳科学が証明したボケない秘訣」より引用
→疫学研究から認知症対策の一つとして「適度な運動」が挙げられる、具体的には「少し息が切れる程度の歩行」を毎日30分以上行う事。次にお薦めの趣味として「旅行」と「料理」がある。
料理は冷蔵庫を見て「何が作れる」かをプランニングする。このことは高次機能の維持につながります。買い物にでかければ「運動」になります。調理に入れば洗う、切る、焼く,煮る炊くなど同時進行でいくつもの作業をこなしていかなければなりません。まさに「マルチタスク」「デュアルタスク」となり脳はフル回転で活躍します。←
以上は脳の画像解析の進歩によりから得られた知見だそうです。臓器としての脳は加齢により、萎縮し認知機能は低下するが、脳に適度な刺激を与え続けることにより、認知機能を維持するこが可能。脳は使えば使う程ネットワークシステムが充実してきます。このシステムにより簡単には認知機能が低下しないように、なっているという事だそうです。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 7日(金)06時59分37秒
  ①どう見ても弱そうな防衛相 「ミスキャスト」
②待ち受ける首相、どうでる大統領 「ロでなく比の」
 

体を鍛えよう

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月 6日(木)15時23分4秒
  今日のヨガは足の膝裏の筋肉を伸ばす動きでした。
膝裏の筋肉は普段あまり使われていないので、筋肉が伸びにくい箇所ですね。
例えば、仰向けになってお尻はつけたまま、片脚は床に伸ばして、もう一方の足を出来るだけ上(天井方向)に伸ばす動きがあります。
膝を曲げないで伸ばすのは大変難しいです。
何回も根気よくやっていると、膝裏の筋肉が働いて伸びて来るそうです。
膝裏を使わなくても歩けるんですが、鍛えとかないと転倒など思わぬアクシデントに見舞われるかもしれません。
 

秋晴れ

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年10月 6日(木)08時46分28秒
  台風が通過して今日は久しぶりの青空です。
爽やかな秋晴れです。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 6日(木)06時08分34秒
  ①「新しい判断」をすりゃすすぐ解散。 「本音」
②ニケ月分かった知事の衣装落ち  「どこを見てるんですか」
③社会保障担当呼んで聞けと言い。 「防衛大臣の代弁はするが」
 

作品集掲載

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年10月 5日(水)14時01分34秒
  Steve Todaさんの“California as I saw ”「カリフォルニア見たまま(8)」を作品集のエッセイのジャンルに
掲載させていただきました。

     謝々。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 5日(水)06時23分11秒
  ①一夜にて専門用語膾炙する。「オートファジー」
②ブレーキをアクセルに変えまつりごと。「政権の意を汲む法制局」
 

男はつらいよ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 4日(火)21時54分37秒
  「僕の伯父さん」をみました。1989年の作品で佐賀が舞台。吉野ヶ里や佐賀市の郊外が出てくる。「タフセ川」らしい「タナジ」も写っていた。
マドンナは壇フミ、ミツオの恋人として後藤久美子がでている。久し振りに故郷の言葉佐賀弁を懐かしく聞いた。高校のロケ地は当時の小城高校だそうだです、
 

Toda様の投稿

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年10月 4日(火)17時26分23秒
  飲むニケーションの様子が活き活きと書かれてます。日本と似通っていますね、。