トランプのジョーカー

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月12日(土)21時19分6秒
  二番煎じでしたね。  

関ヒマさんへ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月12日(土)14時38分25秒
  11月10日の朝刊の川柳
①最後の札はジョーカーだった。「トランプ氏勝利」
 

肥前・筑後の旅5

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月12日(土)12時18分8秒
  佐賀
①バルーンフェスタ
一行3人のうち1人は福岡に用があったので柳川で分かれ以後二人旅です。
彼はビジネス以外では我々との旅行を除きしたことがないということでした。
そして、佐賀県は長崎への仕事で列車で通過したが足を踏み入れることは今回が初めてで、全国で訪れる最後の県だと言っていました。
しかし、今まで唐津・伊万里・武雄と旅して来て満足していたし佐賀を見直したようです。
彼は何でもよく知っていますが、特に歴史に詳しく名護屋城跡と佐賀城跡は是非行って見たいと言っていました。
そして、あとで分かったことですが、佐賀七賢人の中でも鍋島閑叟について特に興味を持っていましたね。
柳川佐賀間は昔は鉄道が通っていましたが、廃線になってからはバス利用です。
途中、木工の町大川や筑後川(筑後川にかかる旧佐賀線の優美な鉄橋が見えました。この鉄橋、アメリカ西海岸のポートランドの橋にそっくりですね。先日テレビで見ました。ポートランドの橋でネット検索すれば出てきます)を渡って佐賀に入りました。
佐賀駅前までの道路は見覚えがありましたが、周りの建物に昔日の面影はほとんどなくてまるで今浦島のようです。
特に駅前は私が住んでいた時には無かったので、全く新しい町の出現です。
駅前で右往左往していると、友人から「佐賀は任しといてと言ったのは誰」と冷やかされました。
さて、今日の目的はバルーンです。佐賀バルーン世界選手権は今日が最終日で午後5時に終了ですが、午後7時から9時までラ・モンゴルフィエ・ノクチューン(夜間係留)があるということでしたので、それを見に行くことにしました。
佐賀バルーンフェスタは写真で見たことがありますが、姿かたちが美しく絵になるので、常々写真を撮ってみたいと思っていました。
午後7時まで時間があったので、夕食を済ませようと駅の近くで店を探していると、海鮮料理の看板があったので入ったら、呼子直送の食堂でした。
メニューにイカの姿造りというのがあったので剣先イカに再挑戦です。しかし、出てきたイカは活きていましたが、やはりアオリイカのようでした。
佐賀駅に戻ると臨時の切符売り場が設けられ、大勢の人達が列をなしています。
列に並んでJR佐賀バルーン駅(仮設駅)までの往復切符を買い求めましたが、その際、「今日は風が強いのでバルーンはなくてバーナーだけです」といわれました。
バーナーとはどんなものかわかりませんでしたが、せっかくなので会場に行くことにしました。会場の嘉瀬川河川敷に着いたら大変な人だかり。広大な会場は駅をはさんでバルーン広場と大テントに分かれており、大テントの中はふるさと物産展やうまかもん市場などがあり、歩くのも困難なほどの人だかりでした。
7時になってバルーン広場のほうからマイクを通して女性の甲高い声が聞こえてきたので、人ごみを掻き分けながらバルーン会場に行って見ると、10数基の熱気球から炎が上がっていました。そして、女性のスリー・ツー・ワン・ゴーの掛け声に合わせて炎はさらに強く燃え上がりまさしく闇に浮かぶ火の祭典でした。
電車は期間中7,8分に1本出ていましたが、混雑が予想されるので、早めに駅の方に向かいましたが、駅までは長蛇の列で電車を2本見送ってやっと3本目の電車に乗ることが出来ました。
佐賀市は観光資源の少ない所だけに、良いイベントを誘致したし、他県に誇れるイベントだと思います。
因みにバルーンフェスタの期間は佐賀のホテルはどこも満員で、我々もかなり前にキャンセルでやっと予約することが出来た次第です。我々が泊まった駅前のホテルは外人さんで一杯でした。
 

朝刊の川柳

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月12日(土)08時48分37秒
  トランプ一人で夜も眠れず、「たった一人で」
トランプ氏は1人(1枚)で威力を発揮するのであれば、さしずめジョーカーですね。
 

沼南ボーイ様

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月12日(土)08時45分54秒
  肥前・筑後の旅シリーズを読んでいただき有難うございます。
待ちぼうけの像は歩いていたら、さりげなく置いてあって可愛かったので写しました。中国の故事が由来だとは知りませんでした。
さて、これから佐賀に向かいます。
佐賀で分からなかったことがありましたので、ご存知だったら教えてください。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月12日(土)07時43分40秒
  ①黒船がその気にさせていなくなり、「開国を求めたTPP」
②トランプ一人で夜も眠れず、「たった一人で」
 

柳川

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月12日(土)07時30分58秒
  関ヒマ様紀行記どうもありがとうございました。ウナギの美味しさが伝わってきました。
待ちぼうけの像の表情が良いですね「首株の故事からですね。まちぼうけ、まちぼうけ、ある日せせっと畑仕事,そこへ兎が跳んで来て、ころぎころげた木の根っ子、 正確ではないけれどそのよな歌詞でした」
お花の当主は我々と同じ学年の才媛お方おとお聞きしています。
紀行文写真ありがとうございました。
 

柳川

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月11日(金)12時00分7秒
  画像 柳川川下り

 

肥前・筑後の旅4

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月11日(金)11時56分46秒
  柳川
①御花
立花氏初代藩主宗茂は秀吉に東の本田平八郎、西の立花宗茂と言わせた戦国武将です。
立花宗茂は数人の作家が小説にしているし、他の戦国時代の小説にも良く名前が出てくる人物なので妻誾千代とともにご存知の方も多いと思います。
宗茂は関ヶ原の戦いでは西軍に就いたが、その勇猛さから2代将軍秀忠に認められ、秀忠のお伽衆や福島棚倉藩3万石の藩主の後、彼が初めて大名に着いた柳川11万石の藩主に復活した、稀有な運命を生きた人物です。
今も残る柳川藩主立花邸御花は柳川藩5代藩主が家族と寛ぐため城の西南に造営した屋敷です。
当日は御花改修工事のため建物内には入れず、隣接する立花家資料館と御花の庭園を見ました。
余談ですが、立花家は明治以降伯爵の爵位を与えられ何不自由ない平穏な毎日を過ごしていましたが、太平洋戦争の敗戦で爵位はなくなり、かなりの困窮を余儀なくされ、毎日の生活にも事欠き、先祖から引き継いだ財産を売りに出しては生活の糧として凌ぐ毎日を送ったそうです。その後、日本経済の復活と共に、御花と庭園を一般に開放し、邸内に結婚式場やレストランなどを運営することにより、新たな道を歩み出したようです。
現在はこれら施設を運営する立花家子孫の若い娘さんが当主のようです。従業員と一緒になって現場に出て働いているそうです。--半年ほど前、テレビで放映していました。
放映中のNHKの朝ドラ、ベッピンさんのようです。

②川下り
川下りは他でも経験していますが、柳川の川下りは白秋のことが頭にあるからか、広い川幅の両側には柳や柑橘系の樹木などが立ち並び、詩情をかきたてられて一番好きですね。今回は3度目ですが、ラッキーなことに川下りの途中にある日吉神社で結婚式を挙げた一団が披露宴会場に向かう舟と遭遇しました。綺麗なお嫁さんでした。船の皆の拍手喝さいを受けていました。

③うなぎ
柳川で一番はやはりうなぎですね。
我々は川下りの船着場近くの老舗本吉屋でうなぎ蒸籠蒸しを食べました。
柳川のうなぎは独特の作り方で関東とも関西とも違うものです。
詳しくは知りませんが、鰻を焼いた後、うなぎのタレがかかったご飯にうなぎを乗せて
それを蒸籠蒸しにしているようです。また、そこに錦糸卵が入っているのも独特ですね。うなぎは皮の部分がこんがりして、中はふっくらしていました。
食べたらやみつきになるほどの忘れられない味です。
これを書いていてまた食べたくなりました。柳川の人が羨ましい。

柳川は見るところが多く、このほか三柱神社や白秋記念館にも行きましたが省略いたします。

画像上 御花
画像中 御花(立花氏庭園)
画像下 白秋、待ちぼうけの像(御花にて)
 

オバマケア

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月11日(金)11時46分42秒
  トランプ次期大統領が議会関係者、元下院議長,院内総務と会談し「オバマケア」などを廃止を含めての検討を表明したそうだ。政権が変われば政策は変わる。当たり前だけど。  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月11日(金)06時55分15秒
  ①怖いもの見たさ実施見る怖さ。「次期大統領に世界中が蜂の巣をつついたよう。
②古希からも一旗揚げる元者「冷や水でなけりゃいいが」
 

肥前・筑後の旅3

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月10日(木)15時52分48秒
  武雄温泉
武雄では老舗の旅館京都屋で日帰り入浴をしました。
京都屋の玄関にはロールスロイスと思しき車が2台止まっていました。
単なる展示用なのか送迎用なのかはわかりません。かなりの時代ものでした。
泉質はラドン泉で透明な色をした温泉で、入っていると肌がすべすべします。
洗い場は用心しないとするっと滑りそうです。
脱衣所で背中に見事な彫り物をしたお兄さんがいました。
辰野金吾が建築した楼門を眺めて、その横のお寺に入りました。
この寺は私にとって縁のある寺で、紅葉が綺麗だと聞いていたのですが、まだ少し早かったようです。
温泉に入り、住職にご無沙汰を詫びすっきりとした気分でその日の宿泊地久留米に向かいました。(久留米に向かう途中、長崎本線に新鳥栖という九州新幹線の巨大な駅が出来ていました。佐賀方面からは新鳥栖の次が従来の鳥栖駅で駅前にはサガン鳥栖のスタジアムがありました)

画像上 クラシックカー
画像中 重文武雄温泉楼門
画像下 寺の紅葉
 

新聞の見出し

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月10日(木)14時51分21秒
  Wall street journalの見出し Divited States of America  トランプの当選直後。  

伊万里焼

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年11月10日(木)11時38分29秒
  伊万里焼は結構高価ですね。

26~7年前に伊万里焼のペンダントを買ってもらい、今でもつけています。
 

Re: 一葉と司馬遼太郎

 投稿者:佐賀のY  投稿日:2016年11月10日(木)09時44分13秒
  > No.25645[元記事へ]

  ご返事を頂きまして、ありがとうございます。
 ということであれば(どういうこと?)略した冒頭部分を興します。
 以下ですが、この取材結果は「週刊朝日」11月11日号に載っているそうです。

            ●

去る9月末にある週刊誌の記者から、樋口一葉のことについての取材依頼
があった。樋口一葉の研究者はたくさんいるのに、なんでわたしに? と
思ったが、一葉のことを知ってもらうためなら取材でも原稿でも、頼まれ
れば原則引き受けようと決めているので、今回も承諾の返事をした。そし
て1カ月ほど前、記者のMさんが鹿児島市内の拙宅へ取材に来られた。

1971年から1996年まで司馬遼太郎が週刊朝日に「街道をゆく」を連載して
いた縁で、再びその足跡をたどるという企画が同誌で現在進行中なのだと
いう。現在は1991年8月から翌年にかけて連載された「本郷界隈」にさし
かかっており、樋口一葉も住んだことのある本郷ということで、わたしの
ところにも話が舞い込んできたのだった。

連載の表題は≪司馬遼太郎の言葉≫となっていて、わたしの話した内容は
第4回「崖下の才能」というタイトルで、別の人への取材も含め、きちん
とまとめられていた。つい先月、NHKのドラマで「漱石の妻」が放送されて
いたが、本郷界隈には夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、坪内逍遥などの旧居
跡がいまも残っている。(後は先述)
 

佐賀のYさま

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月10日(木)08時10分30秒
  佐賀旅行記を読んで頂いて有難うございます。
説明不足だったようですが、私は神戸在住で佐賀旅行は東京の友人2人と一緒の旅でした。
佐賀県のどのあたりにお住まいかわかりませんが、佐賀市内のことも書くつもりでいます。
これからもよろしくお願いします。
 

佐賀のYさんの投稿

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月10日(木)07時50分39秒
  Yさんの知人の鹿児島在住のお方、一葉を深く研究されている方ですね。東京にも詳しい方のようにお見受けします。  

私見

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月10日(木)06時44分43秒
  私の妄想。
クリントン氏は「女性初の大統領を」の強調し過ぎ。票には結びつかなかった。
トランプ氏は「偉大なアメリカを取り戻す」の文句が選挙民の耳に心地よくアピールし大量票となった。
 

追伸(一様)

 投稿者:佐賀のY  投稿日:2016年11月10日(木)06時18分13秒
   久しぶりに投稿しましたら、必要なことを書かないうちに「送信」になってしまいました。
 先に送ったのは鹿児島市在住の知人のブログで、前の部分を略しています。
 東京在住の方が「佐賀」旅行記を書いてくださっていて、
 佐賀在住者が、「東京で今、こがんとのあいよっよ」と知らせるのも面白いかナ、
 と考えた次第です。
 

TPP

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月10日(木)06時13分55秒
  トランプ氏が次期大統領に選出されたことからtppへの考えかたも変化してもよさそうだが、安倍首相は態度を変えないような気がします。  

樋口一葉

 投稿者:佐賀のY  投稿日:2016年11月10日(木)06時10分43秒
  先週は用あって、東京に数日間滞在した。そのうち半日時間が空いたので、
本郷行きも考えたが、久しぶりに台東区立「一葉記念館」に行くことにし
た。東京メトロ日比谷線に乗り、三ノ輪駅で下車。国際通りを南下して、
一葉記念館入口バス停から左折。迷わず歩けば10分足らずで一葉記念館に
たどり着く。

樋口一葉の評伝を書くために1980年代から、一葉記念館には何度となく通
った。木造の旧館の時代に数回、10年前に新館に建て替わってからは、今
回が2回目の訪問となった。旧館の時、入り口にあった石碑は、現在は記
念館に隣接する一葉記念公園に移設されている。

訪問したのは11月4日だったが、現在「一葉記念館リニューアル10周年記
念特別展」として、「にごりえ ~樋口一葉が描いた光と翳(かげ)~」が
来年1月29日までの予定で開催中だった。平日の午前中のためか来場者は
少なく、その分、自分のペースで展示品の1つ1つをゆっくり見て回るこ
とができた。

入場料は通常300円。再来週の11月23日は樋口一葉の命日のため、一葉記念
館では11月20日(日)から23日(水・祝)に「一葉祭」が開催され、会期
中は入場無料となる。毎年その時期に行きたいと思いつつも、なかなか予
定が会わず、今年も3週間も早い上京になってしまった。

「一葉祭」では、記念講演や一葉作品の朗読、「たけくらべ」ゆかりの地
めぐり、などの催しが行われる。講演と朗読は定員60名程度のため、申込
みのあと抽選になるようだ。特に23日の講演は東大教授ロバート・キャン
ベルさんによる「一葉文学と東京の19世紀」。抽選だけども、館外にモニ
ターも設置されるらしい。聴きに行きたけれど、やっぱり無理、と断念。

記念館を出て歩くこと数分、10年ぶりに旧吉原遊郭の近くに行ってみたが、
大きな建物が建設中だったのでびっくりした。何が建っているのか気にな
る。かつて店主と一葉の話をしたことのある「あらき薬局」も同じ場所に
あって嬉しかったが、代替わりしていると思い、外から写真を撮るだけに
した。

来た道を逆方向に数分歩くと、一葉の旧居跡があり、石柱や案内板が以前
と同じように立っていた。しかし石柱に一番近い家は建て替わっていた。
その後、台東区の循環バス「北めぐりん」に乗り、細い道を巡りながら、
ここは一葉も歩いた道かもしれない、などと想像しながら、一葉の竜泉寺
町での日々に思いをはせた半日だった。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月10日(木)05時07分57秒
  ①最後の札はジョーカーだった。 「トランプ氏勝利」
②沖縄相ならば「土人」と呼べますか「 差別と断定できぬ由」
 

せいら

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 9日(水)20時10分55秒
  関ヒマさんの伊万里のお話は珠玉の短編小説のようですね、「焼物は割られるためにある」
窯元の老婦人と娘さんと湯呑がとりもつ縁、等。
 

肥前・筑後の旅2

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 9日(水)19時55分28秒
  伊万里
大川内山
大川内山で焼かれた磁器は伊万里焼(または鍋島焼)といわれ昔は朝廷、将軍家などに献上品として焼かれた高級品で、有田焼とは区別されています。
大川内山にはいまでも30数軒の窯元がその伝統技法を受け継いでいます。
実は10数年前、ここを訪れた時に買った細君の湯飲みを割ってしまい、今回その償いをしようと窯元を廻りました。
当時どこで買ったかは覚えていませんでしたが、細君から「関所近くの窯元が一堂に集まった場所だったような気がする」といわれ、最初にそれらしき「伊万里鍋島焼き会館」に入った。そこには、当時買った湯呑は見つからなかったけど、鮮やかな緑の色彩の光沢があるコーヒーカップを見つけ即座に気に入ってしまいました。値段も高価だったので一応チェックは入れて他を当たりました。数件廻るうちに「せいら」という窯元に当時買った湯呑に形が似ているものを見つけました。色合いも良かったが模様が薔薇ではなくて紅葉でした。窯元の老夫人に薔薇の模様はないかと問うと、無いという。「大事なものを割ってしまった」というと「焼き物は割られるためにある」という答えが返ってきた。蓋し名言なり。
30数軒の窯元をほとんど見て廻ったが、老婦人のいる「せいら」の紅葉の模様の湯飲みが一番良かったのでそれを買うことにしました。
丁度この日は鍋島藩窯秋祭りの最中で全品3割引きでラッキーな買い物ができました。
これで買い物を終えるつもりでしたが、最初に「伊万里鍋島焼き会館」で見たコーヒーカップに未練が残り、再度そのものを見て買う決心をして、近くにいた従業員に「3割引きですよね」と確認したら「ここは窯元が出品したものを売っているので定価通りです」という。「これが気に入っているけど」といったら、「それは私の家の作品です。同じものがありますので、窯元まで行ったら3割引きです」ということでした。
「直ぐ近くです」といって案内してくれたのは先ほどの「せいら」でした。なんと老婦人の娘さんだったのです。
幸運に恵まれた大川内山でした。
 

トランプ氏勝利

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 9日(水)17時37分35秒
  日米安保条約はどうなっていくのだろうか?
国防についての国民的議論が必要になってくるかもしれない。
 

日本政府

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 9日(水)17時30分12秒
  トランプ氏が大統領になり、安倍首相も少し戸惑っているのではなかろうか??  

米大統領選挙

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 9日(水)16時37分56秒
  まだ終わっていないが16時半現在トランプ氏が圧倒的に引き離している。「グローバリズム」に対する反動と言っている評論家がいた。何かがかわるのであろうか?私には解らない。8年前「change」「you can,」声高く主張した人がいたが。
追伸16時50分クリントン氏はトランプ氏に祝意を述べ、敗北を認めたトランプ氏は勝利宣言をした。
 

木枯らし一番

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 9日(水)12時59分45秒
  深夜から明け方にかけて風が吹いた。朝5時37分関東地方に木枯らし1番が吹いたと報道された。
今は小康状態である。
 

唐津くんちと棚田

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年11月 9日(水)09時47分48秒
  唐津くんちや棚田の写真で、居ながらにして旅行気分を味わわせていただきました。

長崎くんちの蛇踊りは、一度見たことがあります。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 9日(水)06時38分59秒
  ①パンドラの箱開くよな開票日「今日決まる次期米大統領」
②ゴジラ来ずとも陥没する恐怖。「博多駅前大崩落」
 

唐津

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 8日(火)21時24分47秒
  ②名護屋城跡・玄海町棚田

唐津は海の魚が新鮮かつ美味しい所で、特にイカが有名ですね。
数あるイカの種類のなかでも剣先イカはとても美味しく、呼子周辺は剣先イカの漁場となっていて、いまやブランド化しています。
剣先イカを求めて唐津を北上しました。途中呼子で食べても良かったけど、日が暮れるまでに名護屋城跡、玄海町の棚田を見て、伊万里まで行かなくてはならなかったので、食事は名護屋城跡が近い鎮西町の食堂にしました。
出てきたイカは手足(イカは手足といいましたかね?)が動いていて新鮮そのものでした。それにエビがふんだんに入った味噌汁がでて、イカの足などは天ぷらにしてくれました。ただ、おかみさんがいうには今の時期剣先イカはほとんど獲れなくて、お客さんに提供しているのはアオリイカだということでした。
アオリイカもイカの仲間では高級な部類なので、大変おいしかったです。
しかし、アオリイカは先日若狭の常神半島で食べたばかりだったので、出来れば剣先イカが食べたかったけど、あまり思い通りに事が運んだら、いつかその反動が来ることが懸念されるので、それで満足しました。

国の特別史跡名護屋城跡は歴史の本や教科書でお馴染みですが、現地を訪れるのは初めてでした。
隣接して名護屋城跡博物館がありましたが、これが立派な建物で、資料も良く揃っていてしかも入館料は無料でした。この博物館や1人100円の名護屋城跡そして後から案内する佐賀城址や吉野ケ里遺跡など総じて佐賀の入場料は大変割安でした。
これは、沢山の人に来てもらいたいという佐賀県の方針だということのようです。
名護屋城跡ではガイドさんに説明してもらいましたが、ガイド料も1人100円で他県より安くなっていました。
また、佐賀県を旅して感じたことですが、唐津も伊万里も佐賀も観光地の人達が明るくて愛想がよい印象を持ちました。佐賀を訪れた観光客はきっとリピーターとなって再度訪れることでしょう。
さて、太閤が睨んだ遥か海の彼方を眺めながら、この城跡の広大さやここに集まった全国のほとんどの大名たちのそれぞれの思い、そして、それを従えた秀吉の力をふと想像していました。

鎮西町から東松浦半島を伊万里方面に向かうと原子力発電のある玄海町があります。
ネットで海に面した美しい棚田を是非見たかったので、車のナビを操作しましたが場所が特定できません。仕方なくナビを玄海町役場にセットしてそこで聞くことにしました。町役場にしては立派過ぎるこの役場は恐らく原発の恩恵を受けたのでしょう。
原発については賛否が分かれるところですが、少なくとも誘致先は恩恵を受けているように感じました。
棚田は運転しながら注意深く見ても見逃してしまうような案内表示しかありませんでした。
棚田の眺めはネットで見たものとは違っていました。
棚田は田んぼに水が張ってある4月が最良のようです。

画像上、中 名護屋城跡
画像下   玄海町の棚田
 

クンチ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 8日(火)20時08分37秒
  関ヒマさんヤマの写真ありがとうございます。私は唐津東高校2年のとき堪能し、施餓鬼の御馳走も戴きました、。  

唐津くんち

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 8日(火)16時35分20秒
  曳山⑦~⑨  

唐津くんち

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 8日(火)16時33分31秒
  曳山④~⑥  

肥前・筑後の旅1

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 8日(火)16時28分47秒
  唐津

①唐津くんち
唐津までは博多の地下鉄が筑肥線に乗り入れているので便利でした。
東唐津で降りレンタカーを借りて、最初にくんちをみようと駐車場を探しましたが、会場近くは道路が通行止めになっていて、ようやく市役所近くの駐車場に駐車できました。
新日本紀行を録画して見ましたが唐津の人のくんちに対する情熱は大変なもののようです。会場近くは人の波でうずまり、奥へは行けないので市役所近くの三叉路から曳山を眺めました。曳山は各町に1基づつで全部で14基あり、年1回の唐津神社のお祭りに引き出されるようです。
私は過去展示場で見たことはありますが、動くものは今回初めてです。
我々が行ったときは14基の曳山のうち既に通過しているものもありました。曳山は次々に動かしているようで、全部で9基を見ることが出来ました。
曳山は字の通り山を大勢の町衆が曳いていて、山には笛を吹くもの、太鼓をたたくもの、それにてっぺんに2人の男衆が鉢巻きを締めて曳山の動きを指示していました。
曳山は三叉路の近くでいったん止まり、勇壮なエンヤエンヤの掛け声で一気にカーブを曲がり切ります。
笛・太鼓・大勢の町衆のエンヤエンヤの掛け声が響き渡り、曳山の車の軋る音と和して、見ていて胸の高鳴りを覚えるほどの迫力でした。感動しました。

画像 曳山1~3
 

ひまじんさんへ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 8日(火)13時01分44秒
  神楽坂のその後の近況ありがとうございました。
高見順の日記は昭和20年3月10日の東京大空襲のすぐ後の神楽坂界隈の描写です。
高見順はその後「死の淵より」というガン闘病記の佳作を遺し昭和40年食道ガンで逝去しました。
 

神楽坂界隈

 投稿者:ひまじん  投稿日:2016年11月 8日(火)11時01分54秒
  文具店というのは相馬屋で今も営業しています。
毘沙門天も赤城神社も建て替えられ、今では立派になっています。
新潮社も牛込中央通りを挟んで両側に大きなビルが建っています。
 

川柳と旅行記

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 8日(火)10時43分25秒
  吉田修一氏の小説は確かに犯罪に至った
経緯を詳細に述べているような所がありますね;川柳の親の愛の具体的な名前がわかりません。新聞の川柳は近々の出来事を材料にしたものが多いのですが。該当する記事が見当たりません。
柳川のウナギ、よだれがでますね。旅行記楽しみにしています。
 

肥前・筑後の旅

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 8日(火)08時58分56秒
  3泊4日で①唐津→②伊万里(泊)→③武雄→久留米(泊)→④柳川→⑤佐賀(泊)→⑥神埼を旅しました。
①唐津: くんち・名護屋城跡・玄海町の棚田、食(イカの生き造り)
②伊万里:大川内山(伊万里焼)
③武雄:武雄温泉
④柳川:川下り・立花邸お花他、食(鰻せいろ蒸し)
⑤佐賀:バルーンフェスタ・佐賀城址・佐嘉神社他、食(再度イカの生き造り)
⑥神埼:吉野ケ里遺跡

①~⑥については写真を撮ってきましたので、写真を眺めながら旅行記にしてみます。
 

朝刊の川柳

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2016年11月 8日(火)08時47分40秒
  容疑者の名前に親の愛を知る。「幸せあれと願ったのに」

この句を読んで作家吉田修一氏が頭に浮かびました。
氏の作品は犯罪者の側に立って書かれている作品が多いですね。
 

木工作業

 投稿者:トト  投稿日:2016年11月 8日(火)08時15分49秒
  40歳前後の頃、妙に手仕事にあこがれを感じ、特に木工の椅子を作りたいと思っていました。しかしどう考えても、イスで生計を立てる能力はなく、建物の内装工事ならできるかもしれないと、職業訓練校を探しました。

そうしたら、業界でやっている学校が見つかり、連絡を取ったところ一年で一人前になれる、其れまでは働き場所を世話をする、是非おいでなさいという事でした。

すんでのところで行くはずでしたが、何と無く決断もつかず、其のままになってしまいました。当時、飛騨の髙山で木工村を始めた人がいて、其れにあこがれたのかもしれません。

今でもだから、ログハウスや木工作業の話を聞くと心が騒ぎます。
職業半ばでその道に飛び込んだ人は、きっとものすごく決断力のある方だろうと羨ましくなります。

決断力といえば、若いころから外国に行き、大使館勤務やその他諸々の仕事を経て、今やスぺインで余生を送る方が帰国し、一緒に食事をしました。

相変わらず素晴らしいお話をお伺いした。
私の様に職業を変えず変化のあまりなかった人生と、ひりひりするような変化を経験した人生と、どちらが充実しているかというと、勿論、変化のある人生だろうと思います。

木工作業にしろ、外国生活にしろ、本当に行きたい人生に飛び込んだ人の勇気とけれんみのない人生観にツクズク羨ましくなります。いまからでも遅くないと、時々思いますが、そういう気分の時は、ちょっと豪華な食事をしてごまかします。

 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 8日(火)05時26分23秒
  ①ジギルからハイドに変える酒の量。「あのおとなしい人が」
②容疑者の名前に親の愛を知る。「幸せあれと願ったのに」
 

神楽坂界隈

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 7日(月)17時03分5秒
  神楽坂界隈(20161107)
高見順著「敗戦日記」より引用
昭和20年4月21日の記述。
東京駅で中央線に乗りかえ飯田橋で降りる。神楽坂を見ると、すっかり焼けて、はげ山になってしまった。坂の入り口の左側、少し助かっている。そのなかの一軒の文具屋で花を売っている。飾り窓の赤いチュリップの色がなまなましく眼を射った。「寿司屋だったんだね。」道行く人のそういう声に、私も道ばたにころがった大皿に眼をやった。寿司の皿だ。右側のたしか「亀ずし」と言ったと思う。握りのめしが大きくて閉口したことがある。
毘沙門天も焼けた。高麗犬が焼けのこってなんにもない前に番をしている。紅屋も焼けた。第一公論社も焼けた。電車通りに出た。交番も焼けた。その反対側、あれは何という名だったか、小さな寄席、あれもない。本郷の高台が、すっかり見える。建物が焼けてはじめて見えるのだ。安田講堂の時計台が見える。
赤城神社も焼けた・消防署の手前で火がとまっている。新潮社はたすかったのだ。 (引用終り)

個人的な思い出、昭和36年高校2年の3月初めて上京したとき。お茶の水の駅の4番ホームで、秋葉原駅の方向の右奥に安田講堂が微かに見えたことを記憶している。

 

朝刊の俳壇

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 7日(月)06時46分40秒
  ①宅配の人も高齢今年来。「受け取る側もなかなかの高齢なのだろう。」
②晩秋や静かに置ける浮立笛。「佐賀地方の秋祭の浮立。」
③月の輪の我を覆いて熊の山。「まさに満月下、熊の出没する山中にあり。」
 

朝刊の歌壇

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 7日(月)06時09分55秒
  ①温かい湯呑み茶碗を手で包む同じ事聞く母にも慣れて。「認知症気味の母上と過ごすゆったりとした,   時間。」
②篭り居る心を街に連れ出せば何人も会う笑顔の天使。「気軽に外に出れば心も開かれる。見習いたい。」
③言うほどの仲良し夫婦じゃなかったが逝かれて一年何このさみしさは。「多くの夫婦が同じような感想を持つのではないだろうか。」
 

名言集

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 6日(日)16時56分46秒
  中国名言集より(20161106)
「歓楽極まって哀情多し」11月六日の段。
前漢の武帝「秋風の辞」の一句。この歌は 歓楽極まって哀情多し  少壮、幾時ぞ老いを奈何せん。
と結ばれる。「歓楽が極に達すると哀愁がわきおこる。盛りの時はまたたくまに過ぎ、老いを避ける術もない」の意。盛りお時が過ぎてゆく不安と怯えを巧みに表現した名句である。武帝の少壮時代前漢は最盛期を迎えるが、晩年武帝が衰えるとおもに下り坂とんる。まさに「おもしろうてやがて哀しき祭かな」を地で行く展開だった。
 

今日の朝ごはん

 投稿者:トト  投稿日:2016年11月 6日(日)11時59分59秒
  家内が大阪に行っているので、今日は私が朝ご飯を作りました。
塩沢産のコシヒカリを炊き上げ、おかずはベーコン2枚と目玉焼き、ベーコンを醤油に絡めて焼き目玉を乗せると出来上がりです。

それに常備菜のヒジキ、レンコンのきんぴら、高菜漬けなどなどでした。

ご飯は2杯も食べ、コレステロール満載の料理、たまの御馳走だからいいかと楽しみました。
 

朝刊の寸鉄

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 6日(日)04時09分42秒
  「かたえくぼ」
『出来が悪い』
野菜?農水相だよ!!
11月5日の朝刊より。
 

「南魚沼産のコシヒカリ」

 投稿者:トト  投稿日:2016年11月 5日(土)18時05分56秒
  友人に旧塩沢出身の方がおられる。彼の実家は農家で、今の季節になると新米を送ってもらえます。
魚沼産の中でも塩沢産のコシヒカリこそ、本物中の本物だそうです。しかも一粒たりともまじりっけの無い純粋無垢のコシヒカリです。

今日の夕食は、このコシヒカリでした。
ほのかな甘みと、なんとも言えない香り、ご飯粒の輝く白さ、これを日本人らしく、サンマの塩焼き、漬物、ヒジキで食べました。

ウ~ン、幸せでした。
持つべきものは、友です。実感しました。
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2016年11月 5日(土)06時07分45秒
  11月5日の朝刊
①アベノミックスまだ信じてる楽天家。「羊頭狗肉あらわに」
②物価上がらず白旗をあげ。「日銀総裁」
③似合うよと妻薦めるは安いほう「冬服売り場で」