半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月18日(土)17時06分39秒
  歴史と戦争から引用します

戦後がはじまったとき

戦争に負けた日本の都市は、どこにいっても焼け野原といっていい状態でした。
東京、大阪、名古屋、神戸、横浜の5大都市をはじめとして、地方の県庁所在地と思われるところはほとんど爆撃を受けています。
なんのためにこんなところまで焼いたのかと抗議したいくらいの無差別爆撃で、約90都市がやられ、戸数にしますと236万戸が焼失、罹災した人はーーわたくしもその一人ですが、840万5千人といわれています。
このほか、たとえば一家全滅になったり、爆弾で骨も残らず吹っ飛んだりして、数えることもできないこともあったと思いますから、正確な数字は出てきません。
そういう惨たる状況下で戦後日本ははじまったわけです。


「引き揚げ」の名のもとに

満洲・朝鮮に約100万人、中国に約110万人、南方諸地域に約160万人の合計370万人もの陸海軍将兵や軍属は、粛々と日本国土に還ってきた。これを「復員」といった。
さらに、中国や満洲その他の外地には多くの居留民がいた。
その数約300万人、これら多数の老若男女が、「引き揚げ」の名のもとに、まったく保護なしに母国へ帰ってきた。

国家に見捨てられた引揚者の、帰国するまでの労苦は筆舌尽くし難く、世界史上にもこれほどに苦難の祖国帰還の例はない。
とくに幼い引揚者の疲れ切った姿には、戦争の残酷さ、残忍さというものを強く突きつけられ、出迎えた人々の涙を誘ったという。(次回は朝鮮戦争)
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)13時21分38秒
  「球児たち昨日泣かせて今日は泣き」(勝って敗れて甲子園)  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)11時46分1秒
  「集まれば墓の守り手ないはなし。」(お盆の愚痴)  

朝刊の川柳8月18日」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)09時56分2秒
  「少子化を台風一家高笑い」(多産な今夏)  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月18日(土)07時27分47秒
  歴史と戦争から引用します

非人間的になること

20数年、戦争を知らない世代の成長とともに、過去は過去として葬らしめよ、という声も聞くようになりました。
核兵器に対する考え方も日本人の心のうちで、位置を変えつつあるようです。
原爆はいま教科書からも抹殺されようとし、辛うじて保存された原爆ドームさえ、観光の対象になり下がろうとしています。
その原因は、決して長い歳月のせいだけではないように思われてなりません。

戦争の傷が癒えるとともに、いつか私たちの心のなかに、人間そのものから考えずに、機械や組織や権力や制度や数字といった人間とは別のものから考える傾向がうまれてきたためではないでしょうか。
非人間的ーーそのことこそがすなわち「戦争」なのであります。
いつ死んでも仕方がない。死ぬのがむしろ自然という状態は、生きていないことと同じことで、こんどの戦争は死の体験を与えてくれましたが、同時に私たちはどのくらい非人間的になれるかということも教えてくれたはずでした。
にもかかわらずいま、忘れられようとし、または風化しようとしている。


餓死者70%

ここに厳粛なる事実を語らねばならない。
大本営の学校秀才的参謀どもの机上でたてた作戦計画のために、太平洋戦争において陸海軍将兵(軍属も含む)は240万が戦死した。
このうち広義の飢餓による死者は70%に及ぶのである。
あまりに手をひろげすぎたために食料薬品弾丸など補給したくても、とてもかなわぬお粗末さ。
わが忠勇無双の兵隊さんは、ガリガリの骨と皮となって無念の死を死ななければならなかった。(続く)
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)06時42分59秒
  「冷や飯が殺し文句の祖再選。」(脅しと締め付け)  

朝刊の川柳8月18日」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)05時48分51秒
  「そそくさと追悼すませさーゴルフ」(心はグリーン)  

朝刊の川柳8月17日

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)03時19分7秒
  「おことば聞いている振りの安倍首相」(戦後73年追悼式)  

8月17日の朝の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)03時09分26秒
  「平和の語重さ異なる人ごとに」(例・天皇と首相)  

言の輪56号「ほおずき」発刊

 投稿者:ひまじん  投稿日:2018年 8月17日(金)21時13分46秒
  今日、お隣の言の輪の56号「ほおずき」が発刊されました。

いつものように、エッセイ、小説、CW、短歌、俳句、と多彩に掲載されています。

興味のある方は、言の輪の作品集に掲載しますのでご覧ください。

冊子をご希望の方は、トトシカーナさんまでご連絡ください。
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)21時07分36秒
  歴史と戦争から引用します

マッカーサーの日本占領構想

マッカーサーは7時間の飛行中に、頭に浮かぶ日本占領構想を口述している。
「軍事力を破壊しつくす。婦人に参政権を与える。政治犯人を釈放する。農民を解放する。自由な労働運動を確立する。自由にして責任ある新聞を発展させる。・・・」

敗戦国民のたどる長い苦難の道はこれからはじまる。

昭和天皇とマッカーサー

『マッカーサー回想記』にこうある。
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」

昭和20年9月27日、連合軍総司令官マッカーサー元帥と初めて対面したときの、昭和天皇の言葉である。
1901年生まれの昭和天皇と、1880年生まれのマッカーサー、簡単に理解し合えるとは思えない。
しかし、この言葉にマッカーサーはただもう感激し、天皇を一途に尊敬したという。

マッカーサーが解任され日本を去るまでに(昭和26年)、天皇・マッカーサー会談は11回。憲法、共産主義の脅威、国防、食料、巡行など大事な問題はすべて話し合われた。戦後日本は天皇とマッカーサーのいわば合作である。といってもいいかもしれない。
(続く)
 

クイズ

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)20時04分51秒
  沼南ボーイさん
問1「動」、問2「説」いずれも正解です。

問2はいろんな熟語が頭に浮かんできますよね。
 

クイズ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)19時46分6秒
  問い2、「説」。伝説、小説 説明 説得  

クイズ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)19時35分37秒
  問い1、「動」運動、動物,動力 行動
 
 

脳トレ

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)11時18分1秒
  今日は久しぶりに爽やかな天気です。

□に同じ漢字を入れて熟語を完成させてください。

(例題)
登□、裏□、□道、□上  答え □は山

問1
運□、□物、□力、行□

問2
伝□、□得、□明、小□
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)10時04分33秒
  歴史と戦争から引用します

満洲国をもったがために

満洲国という巨大な〝領土〟をもったがために、分不相応な巨大な軍隊を編成せねばならず、それを無理に保持したがゆえに狼的な軍事国家として、政治まで変質した。
それが近代日本の悲劇的な歴史というものである。

リンゴの唄を歌った女性歌手

並木路子は浅草生まれ、昭和13年に松竹歌劇団に入る。
東京空襲でみずからは九死に一生を得たが、一緒に隅田川へ飛びこんだ母親は遺体となって浮かんだ。
父親も南方で殉職死、次兄は千島列島で戦死。
たたみかける戦争の痛みを抑えて、彼女は懸命に歌ったのだという。
そんな悲しみがあったことも知らず、人々は明るい声に耳を傾けたが、よく聞くと、徹頭徹尾悲しい歌であると思えてくる。(関ヒマ注 リンゴの唄 昭和20年 作詞サトウハチロー 作曲万城目正)

「一億総懺悔」が戦後日本に与えた影響

「一億総懺悔」は、そう影響がなかったと言う人もいますが、その後の日本人の精神や日本の歩みを見ても必ずしもそうではないように思えるんです。
みんなして悪かったんだからお互いに責めるのはよそうじゃないかという「なあなあ主義」につながりもし、同時に、この言葉のなかに、トップ層の、結局は戦前戦中と変わらない国民指導の理念が垣間見えるからです。
つめりこれが、「戦後どういう日本をつくるか」をわれわれがしっかり考えるための大きな障害になったと言いますか、むしろわれわれにそれを考えさせないようにした、という気がするんです。
そしてこの先、皆がなんとなしに「そういうもんか」と、責任を追及しなくなったような印象があるのです。(次回はマッカーサー)
 

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)07時48分40秒
  「お言葉の深い反省聞き納め」(戦後73年追悼式)  

かたえくぼ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)06時10分25秒
  「 たばこ値上げ」 無限に続くかも~メビウス 」  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)05時46分56秒
  「投入を延ばしごまかすいつもの手」(辺野古に土砂知事選があるので、国が様子見の為延期)  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)05時34分22秒
  「終身を首相も言い出しそな気配」(悪い冗談です)--冗談が本当にならいように。  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)20時56分12秒
  歴史と戦争から引用します

シベリア抑留のはじまりは

歴史的事実としていうならば、8月16日にトルーマンに宛ててスターリンが手紙を出しています。
その手紙は何かというと、北海道を半分くれという手紙でした。
「・・・北海道島の北半と南半との境界線は、島の東岸にある釧路市から島の西岸にある留萌市にいたる線を通るものとし、右両市は島の北半にふくめること」と。
トルーマンは「とんでもない。断固としてノーだ」と、これを蹴った手紙は8月18日付けでした。

これに対しスターリンは、8月22日付けで、不満タラタラの手紙を再度トルーマンに送ります。
それでスターリンが何を考えたかというと、シベリア抑留なんですよ。
ソ連極東軍総司令官ワシレフスキー大将に極秘の命令「捕虜に関する実施要項」を発したのが8月24日でした。
いちばん大事なところを紹介しましょう。
「旧日本軍の軍事捕虜のうちから、極東とシベリアの気象条件のなかで労働可能な身体強健な捕虜を、最低50万人選抜せよ」

これがシベリア抑留のはじまりでありました。(続く)
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)18時47分8秒
  「大統領制選ぶ時期来た日本国」(国民の意思を直接反映)  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)16時47分22秒
  「弔問はモリカケよりも丁寧に」(山口での首相動静)

 

関西様

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)12時06分5秒
  ありがとうございました。石を右と読んでいました。  

大田中将の電文

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)11時23分6秒
  昨日投稿の「沖縄県民斯ク戦ヘリ」から、大田中将の電文を掲載します。


大田実中将の電文

(備考)1945年6月6日、米軍の激しい攻撃にさらされ孤立した沖縄戦司令部から本土参謀本部へ発信。当時決別電文の常套句であった「天皇陛下万歳」や「皇国ノ弥栄」などの文言はいっさいなく、ひたすら沖縄県民の献身と健闘を称えている。なお大田実中将は、下記電文打電後、自決。


大田実(最終階級:沖縄根拠地隊司令官)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%...


【現代口語訳】
 沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。


 敵が沖縄本島に対し攻撃を開始して以降、帝国陸海軍は防衛戦に専念し、県民の保護に関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集にすすんで応募。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれながらも、ただ着の身着のまま軍の作戦の邪魔にならないよう狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも、風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。


 しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
 どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
 看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
 さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜のうちに遥か遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。


 つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして、草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
 食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。


 沖縄県民はこのように戦い抜いた。
 県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。
 

御厨東大名誉教授の説

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)11時20分55秒
  前文にひき続き文春9月号より引用します~9月の総裁選で安倍首相が3選を果たしても、いつかは自身が次にバトンを渡さなければならないときが必ずやってきます。安倍首相はまだ63歳です。ポスト安倍には61歳の岸田氏や石波氏はほぼ同じ世代であり交代のインパクトは殆どありません。(一部編集)一気に55歳の河野太郎氏あるいは37歳の小泉新次郎氏まで若返ることを図ることを考えているかもしれません。  

沼南ボーイさん

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)11時06分2秒
  WIKIPEDIAなどを引用しました。

石内 都(いしうち みやこ、1947年3月27日 - )は、日本の写真家。

群馬県新田郡生まれ、横須賀市で育つ。横須賀市立第二高等学校卒業。多摩美術大学デザイン科入学。大学2年より染織専攻中退。1979年、写真集「APARTMENT」および写真展「アパート」にて第4回木村伊兵衛賞受賞。1999年、第15回東川賞国内作家賞、第11回写真の会賞受賞。2006年、日本写真協会賞作家賞受賞。2009年毎日芸術賞受賞。2013年紫綬褒章受章。2014年、日本人としては濱谷浩、杉本博司に次いで3人目のハッセルブラッド国際写真賞受賞。
1994年、グッゲンハイム美術館での「戦後日本の前衛美術」展に招待された。ヴェネツィア・ビエンナーレの2005年日本代表。2015年、The J. Paul Getty Museumにて個展「Postwar Shadows」を開催。

皮膚や衣類と時間とのかかわりをテーマにした写真を撮り続けており、代表作に広島原爆で被爆した衣類を被写体とした「ひろしま」、フリーダ・カーロの遺品を撮影した「フリーダ 愛と痛み」など。ニューヨーク近代美術館等に作品が収蔵されている。

写真家の石内都は、1945年8月6日の広島の原爆で被爆した人たちの遺品のなかから肌身に直接触れたものを中心に選び、ライフワークとして撮影を続けています。
 

関西さま

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)10時49分27秒
  グーグル検索は故あって使っていません。「右内都」の説明と「ひろしま」について疑問にお答え願います・  

御厨實東大名誉教授の言

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)09時04分37秒
  そもそも今回の問題(モリカケ問題や公文書改竄疑惑、安倍首相への忖度疑惑等)で独自に情報を手にいれた野党は共産党だけで、あとは朝日新聞のスクープを待っていてそれが掲載sれるとろくに自分達で調べもしないで国会にもっていくわけです。しかし、与党は新聞に記事が出る頃には研究していて、どうやって切り抜けるかは十分に考えている。とりわけひどかったのは、「モリカケ問題」で設けられた野党ヒヤリングで立憲民主党の議員が若手官僚をどなり散らし憂さを晴らすような行為を繰り返したことでした。これをテレビで見た有権者が、問題の所在は自民党にあるにせよかっての民主党 ダメ イメージをそこに重ねたであろうことは想像に難くありません。(文芸春秋9月号安倍政権をSNSとダメ野党が救う。より引用)~真剣に、丁寧に議論してもらいたい。  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)08時10分40秒
  『歯がゆさは一票もたぬ総裁選」(皆そう思っていると想像します)  

半藤一利氏の本の紹介

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)08時02分10秒
  旅人ーM様、沼南ボーイ様、読んでいただいて有難うございます。
もうしばらく続けさせていただきます。

沼南ボーイ様の石内都さんに関するご質問の件ですが、「石内都」でGOOGLE検索すれば出てまいります。
 

関西様の投稿

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)07時44分2秒
  半島一利さまの著書の紹介楽しみに愛読しています。今朝6時過ぎの投稿の「右内都さん云云?}何でしょうか?  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)07時31分36秒
  「防衛費過去最大にして終戦日」(連続して額増加)  

シッカリ・・・読ませて貰っています・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2018年 8月16日(木)07時25分18秒
  関西のヒマジン さま・・・

半藤一利氏の『歴史と戦争』の連日の書き込み・・・ボリュームもあり、大変な労力と察します。

心に響く内容、文面で、
連日、シッカリ読ませて貰っています。

是非、納得の行くまで、書き込みを続けて下さい。
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)06時48分20秒
  歴史と戦争から引用します

原子爆弾がつくられて

爆弾は敵にたいし使用するためにつくる。威力や大小を問わない。敵を殲滅するために使う。それ以外のどんな意味があるというのか。
たしかに巨大な工場の建設のために12万5千人の労働者が必要であった。
この工場を稼働させるためにはさらに6万5千人。
あるだけの頭脳と技術と汗とを投入した。
こうして、20億ドル以上の巨費を食った「怪物」がいまできようとしている。

ヒューマニズムとかモラルとか、ましてや人に情けとかがそこに入りこむ余地はない。
人類はじまっていらい、およそ戦争というものはそういう凶暴なもの非情なものであると、だれもがそう思うことで軍人たちは自分の心を納得させていたのである。
日本人はそれを、まったく、知らないでいた。


かくて原子爆弾は落とされた

戦争という〝熱狂〟は、人間をやみくもに残忍、愚劣にして無責任へとかりたてるものなのであろうか。いや、途轍もなく強力な新兵器を、膨大な資金(20億ドル)と莫大な労力(合計すると50万人)をかけて造りあげたとき、それを使わないほうがおかしい、と、そう考えるのが人間というものなのか。


石内都さんが撮った「ひろしま」

焼け爛れて変質したメガネのガラスは原爆の熱線の凄さを語っていますが、むしろ驚かされるのは若い女性があの朝、身につけていた衣類の数々です。・・・

アメリカが原爆の実験場にするために、その日の朝まで無傷にとり残していた都市広島は、米軍の本土上陸を迎え撃つための第二総軍司令部のおかれた軍都でしたが、同時に豊かなモダン都市でもあったのです。
写真からその街に暮らす人びとの、その直前まで営まれていた丁寧な穏やかな暮らしぶりが透けて見えてきます。
そして衣類や小物たちは、今なお私たちに原爆の悲惨さを無言のまま問いかけてくるのです。
いったいなぜこんな戦争をしてしまったのかとーー。


果て知らぬ死者の列

生命のなかに、目には見えないが否定できない〝死〟を抱いた人間が、どのような不安と苦痛のうちに日々を生きているのか、その人以外に正確には知ることができない。
それは8月6日に襲った(地獄)とは違うもう一つの(地獄)であるに違いない。
〝あの日〟広島や長崎にいた人たち、あるいは救援におもむいた人たちは、一人ひとりが被爆者健康手帳をもっている。
その数は日本中で33万9423名という。
この人たちは、年齢ではなく、爆心地からの距離で人生を測るのである。
突然に襲う(死)の予感におびえながら。

たとえば広島市を例にとろう。
昭和40年728名、41年1121名、42年は1135名、43年2311名、44年1333名、45年1148名、46年1150名・・・・と、8月6日の死者は果てしらぬ行列をつらねている。
各県からの報告がないため正確なことはわからないが、これが日本全国の人びとあるいは各外国人をふくめれば、と思うとき背中にしびれが走る。

不安と不眠の幾千の夜をつみかさねたあげく、いま、一見してなんの異常もない日々を過ごしているある被爆者がいる。
もう50歳をこえたその婦人は、堅固な生活をつくりあげているのであるが、ときおりはかりしれない倦怠感におそわれて、ふとつぶやくという。
「もう一度原爆が落ち、それも無数の原爆が落ちて、この世界が破滅してしまえばいいのだ」

これに答える言葉を、われわれはもっていない。(続く)
 

千鳥ヶ淵日本武道館

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)06時42分32秒
  昨日は全国戦没者追悼式の実況中継をテレビで見ました。
天皇陛下の最後のお言葉を聞き胸が熱くなりました。
 

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)05時56分24秒
  「奥方も涼しい顔でもう三年。」(悪い冗談)このようなる可能性大であり危惧してます。  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月15日(水)21時15分9秒
  歴史と戦争から引用します

沖縄県民斯ク戦ヘリ

昭和20年6月6日付けの、沖縄方面海軍特別根拠地隊司令官の大田実少将が発した海軍次官あての長文の電文を読むたびに、粛然たる思いに駆られる(関ヒマ注 大田少将の電文はネット検索すれば読むことが出来ます)。
これほど尊くも悲しい報告はないと思われるからである。・・・
沖縄県民が総力をあげて軍に協力し、敵上陸いらい戦いぬいている事実を、大田少将はくわしく記して、最後をこう結んだ。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

軍は沖縄防衛線において、共に戦い共に死なん、と呼号して、非情にも県民を戦火の中にまきこんで戦った。
そのときに非戦闘員にたいするかくも美しい心遣いを示した軍人のいたことを誇っていい。
そしていま、はたしてわれわれは沖縄の人々に「特別の高配」をしているであろうか。
(次回は原子爆弾)
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月15日(水)19時04分46秒
  歴史と戦争から引用します

東京大空襲の翌朝、坂口安吾は

この無差別攻撃の惨状について、わたくしがウムと唸らせられた描写がある。
戦後の21年春にかかれたものであるが、作家坂口安吾の「白痴」というしょうせつである。
この夜の絨毯爆撃後の下町の情景を、大森に住んでいた安吾はわざわざ〝見物〟にきたのである。

「人間が焼鳥と同じようにあっちこっちで死んでいる。ひとかたまりに死んでいる。
まったく焼鳥とおなじことだ。怖くもなければ、汚くもない。犬と並んで同じように焼かれている死体もあるが、それは全く犬死で、然しそこにはその犬死の悲痛さも感慨すらも有りはしない。人間が犬の如くに死んでいるのではなく、犬と、そして、それと同じような何者かがちょうど一皿の焼鳥のように盛られ並べられているだけだった。
犬でもなく、もとより人間ですらもない」

このリアリズム!そう思う。辛うじて生きのびたわたくしが、この朝に、ほんとうに数限りなく目にしたのはその「人間ですらない」ものであった。
たしかにゴロゴロ転がっているのは炭化して真っ黒になった物。
人間の尊厳とかいう綺麗事はどこにもなかった。
しかし、いま思うと、わたくしはそれまでにもあまりにも多くの爆弾で吹きちぎられた死体の断片を見てきていたために、感覚がすっかり鈍磨しきっていて、転がっている人間の形をしたそれらがもう気にもならなかったのである。

戦争というものの恐ろしさの本質はそこにある。
非人間的になっていることにぜんぜん気付かない。
当然のことをいうが、戦争とは人が無残に虐殺されることである。(続く)
 

戦没追悼式

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月15日(水)12時31分34秒
  今上陛下、皇后陛下にとっては最後の式典である、感慨もなおそれだけに深いものがあったことだろうと思います。恒例となっているお言葉も「平和への思い」を込められたそうです。来年からどのようになるのかと心配です。  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月15日(水)06時57分26秒
  歴史と戦争から引用します

金輪際許せないこと

志願による十死零生の特別攻撃は、金輪際許すことができない。
命令できないことを強要するのは、人間としてしてはならないこと。
真の人間悪を、至純な精神のオブラートでくるんではならぬ。
責任をとろうとしなかった計画者や指揮官のことを、一緒に祀ることはできないと思う。
(昭和19年10月25日、神風特別攻撃隊による最初の体当たり攻撃が行われた。
同年10月28日、海軍は神風特別攻撃隊を大々的に、「命令ではなく志願による」として公表しています)


大日本帝国の断末魔

昭和20年はまさに「特攻の秋(とき)」である。戦場も銃後もなく一億総特攻である。祖国の明日のためには、これ以外に道はないと、決然と死地に赴いた若き特攻隊員が美しく、哀れであればあるほど、それを唯一の戦法と採用した軍の思想は永久に許すことが出来ない。
神風特攻も回天特攻も志願によった、とされている。
志願せざるを得ない状況にしておいて志願させるのでは、形式にしかすぎないのである。そこには指導者の責任の自覚もモラルのかけらもない。
おのれの無能と狼狽と不安とを誤魔化すための、大いなる堕落があるだけである。


かりに反戦思想をもった人がいたとしても

戦争の見通しについて、和平派にも主戦派にも大きな懸隔がなくなったときでありながら、なおかつ戦争を終結にもっていく具体的な政策は発見されなかった。
国家的熱狂がそれを許さなかったと結論してしまえば、まことに簡明であろう。
たしかに戦争は一つの狂気の時代であった。
日本国民はかならずしも盲目ではなかった。
大本営発表から戦場の真相をさぐりあてる眼力をもっていた。
しかし、それでいて、あらんかぎりの力をつくして戦い、自分と家族の命を守ろうとしたのである。・・・

かりに反戦思想をもったひとがいたとしても、無惨に死んでいく仲間に対して、特攻隊の若ものに対して、なんらかの負い目をもたずにはいられなかった。
共通の危機を背負った国家という共同体があるとき、共同体と個人のどちらに真実があるのか、それを簡単にいいきることは当時の日本人にはできないことであった。

多くの青年たちが運命に身をゆだねながら、なんとかして心の底から戦争を納得したいともがき、悩み、傷つき、うめき、そして死に急いでいった。(続く)
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月14日(火)22時01分59秒
  歴史と戦争から引用します

次の世紀までも記憶しておくべき昭和18年の夜郎自大

対米英戦争は、アジアの植民地解放という崇高な目的をもった戦いであった、ゆえに大東亜戦争と呼称すべし、と抗議の手紙をよこす人が、いまもときどきいる。
わたくしが太平洋戦争といつも書いているのが気に入らないらしい。
わたくしは、この対米英戦争を自存自衛のための戦争と位置づけている。
「開戦の詔書」はそう明記している。

そして、われら国民の願いとは無関係に、当時のリーダーたちがとんでもないことを意図していた事実があることも指摘しておきたい。
昭和18年5月31日、御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」の第6項である。
「マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベス(ニューギニア)は、大日本帝国の領土とし、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握に努める。・・・これら地域を帝国領土とする方針は、当分、公表しない」

アジア解放の大理想の裏側で、公表できないような、夜郎自大な、手前勝手な、これらの国々の植民地化を考えていた。
この事実だけは、21世紀への伝言として日本人が記憶しておかねばならないことなのである。(続く)
 

首相の改憲案

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月14日(火)18時50分2秒
  自民党の総裁選は安倍首相がかなり有利とつたえられているようだ、総裁三選の後首相を待ち受けているのは「改憲」という大きな課題である。その内容はまだはっきりとしないところもあるが1、憲法9条第1項、第2項は残しつつ自衛隊を明文で書き込む(自衛隊を認知を明文化する)というものである。このように憲法9条を変えても実質てきには、変わりないとまで言っている。正直公正を標榜して立候補した石波氏は「変わらないのであれば、改憲をやる必要はない、と皮肉っている。  

自民党総裁選

 投稿者:高木伸  投稿日:2018年 8月14日(火)18時43分29秒
  安倍氏は総裁選を前にまた憲法改正を言い出した。
持論の憲法9条に自衛隊を明記する案だ。
安倍氏は「自衛隊を明記しても何ら変わらない」という。

既に立候補を表明している石破氏は、「何も変わらなければ明記する必要がない」と反論している。

安倍氏はことあるごとに憲法改正を言い出すが、もううんざりだ。
何も変わらなければ、大変な労力を費やして変える必要はないし、何かあるから変えるんだろう。

もうこれ以上、国民を欺かないでほしい。
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月14日(火)18時27分58秒
  8月は原爆、終戦の月です。
もう少し投稿させてください。

歴史と戦争から引用します。

昭和17年8月のガダルカナル島、戦闘の翌日に記者は見た

従軍記者リチャード・トレガスキの著書からも引用しておく。
戦闘の翌日の戦場の模様である。

「死体の放つ強烈な悪臭が砂州のあたりに立ちこめていた。
水際に倒れているものも多く、すでに膨れ上がって光っており、つやつやしたソーセージのように見えた。
打ち寄せられた砂に半分埋まった死体もあった。
グロテスクに膨れた頭や、砂浜から突き出たねじれた胴体も見える。
しかし、その殺戮は、砂州の向こうの木立の中に比べると、まだ印象の薄い風景といってよかった。
木立の中は背筋の凍るような悪夢だった。・・・」

もうこれ以上は筆写する気にはなれない。


ガダルカナル島で日本兵は何を見たか

作者は第二師団経理部所属の吉田嘉七曹長

「死なないうちに、蠅がたかる。追っても追ってもよってくる。
とうとう追いきれなくなる。と、蠅は群れをなして、露出されている皮膚にたかる。
顔面は一本の皺も見えないまでに、蠅が真っ黒にたかり、皮膚を噛み、肉をむさぼる。

そのわきを通ると、一時にぷーんとは蠅は飛び立つ。
飛び立ったあとの、食いあらされた顔の醜さ、恐ろしさ。
鼻もなく、口もなく、目もない。
白くむき出された骨と、ところどころに紫色にくっついている肉塊。
それらに固りついて黒くなった血痕。

これが忠勇な、天皇陛下の股肱の最後の姿。
われわれの戦友の、兄弟の、国家にすべてを捧げきった姿。」・・・

ガ島にある将兵の悲惨を伝えるのに、体験者のこうした怒りを裡に押し殺しての文のほうがはるかに尊いし、余計な想像を交えて描くよりも真実を明確に示してくれる。(続く)
 

今朝の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月14日(火)14時03分22秒
  「宅配は離島の方が早く着き(ドローン解禁――現在は規制されているドローンを島山間部に限り緩和する。)  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月14日(火)08時00分10秒
  [言う事とやる事違う君だって」(石破批判の麻生氏。)  

今朝の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月14日(火)06時54分41秒
  「総裁選石波氏間とも見える怪」(正直公正掲げ出馬)  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月14日(火)06時27分24秒
  歴史と戦争から引用します

山本五十六の無念

謀略の疑いをもって聞いていたアメリカの放送であったが、どうやら最後通牒の遅れたことは間違いないようだと山本が知ったのは、その年の暮か、17年に入ってから間もなくであったという。

山本は、心を許した幕僚にだけはしみじみと語った。
「残念だなあ。僕が死んだら、陛下と日本国民には、連合艦隊は決して初めからそういう計画をしておりませんと、そうはっきり伝えてほしい」

無念の歯がみが聞こえてくるようである。(次回はガダルカナル島の悲劇)
 

今朝の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月14日(火)05時56分32秒
  「橋渡しする人自分は何もせず。」(広島長崎の原爆忌で核保有国との橋渡しをすると安倍首相は言明したが?)