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歴史と戦争から引用します
戦後がはじまったとき
戦争に負けた日本の都市は、どこにいっても焼け野原といっていい状態でした。
東京、大阪、名古屋、神戸、横浜の5大都市をはじめとして、地方の県庁所在地と思われるところはほとんど爆撃を受けています。
なんのためにこんなところまで焼いたのかと抗議したいくらいの無差別爆撃で、約90都市がやられ、戸数にしますと236万戸が焼失、罹災した人はーーわたくしもその一人ですが、840万5千人といわれています。
このほか、たとえば一家全滅になったり、爆弾で骨も残らず吹っ飛んだりして、数えることもできないこともあったと思いますから、正確な数字は出てきません。
そういう惨たる状況下で戦後日本ははじまったわけです。
「引き揚げ」の名のもとに
満洲・朝鮮に約100万人、中国に約110万人、南方諸地域に約160万人の合計370万人もの陸海軍将兵や軍属は、粛々と日本国土に還ってきた。これを「復員」といった。
さらに、中国や満洲その他の外地には多くの居留民がいた。
その数約300万人、これら多数の老若男女が、「引き揚げ」の名のもとに、まったく保護なしに母国へ帰ってきた。
国家に見捨てられた引揚者の、帰国するまでの労苦は筆舌尽くし難く、世界史上にもこれほどに苦難の祖国帰還の例はない。
とくに幼い引揚者の疲れ切った姿には、戦争の残酷さ、残忍さというものを強く突きつけられ、出迎えた人々の涙を誘ったという。(次回は朝鮮戦争)
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