旅人ーMさま

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月13日(土)16時10分36秒
  事の輪作品集37号を読ませていただきました。
途中熱中症で積丹半島行などを断念されたんですね。
お察し申し上げます。

積丹半島の写真を少し追加しました。
ご覧ください。
 

テレビ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月13日(土)15時46分5秒
  テレビで「幕末太陽伝」を見た。何年も前から見たいと思ってたが機会に恵まれなかった。面白かった。クレジットに出ている当時の日活の俳優をみてみるとその後も活躍した人もいるし、消えた人もいて感慨無量であった。」  

私の履歴書

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月13日(土)15時28分25秒
  甲斐さんの表題の文章を読ませていただきました。
幼年期は波乱万丈ですね。
満蒙からの引揚で終戦を待たずに家族を引き揚げさせた、お父さんの英断には、何か運命を感じました。

続編を期待して待っています。
 

ドクター甲斐の生涯 1

 投稿者:ひまじん  投稿日:2019年 7月13日(土)13時00分36秒
  甲斐氏の小説を少しずつここに掲載させていただきます。



私の履歴書

      甲 斐 常 逸
               2019.6.25

 ① 誕生、 幼少期~少年・少女期

   誕生、人生最初の記憶、小学校低学年の頃

私は小さい頃の事をあまり覚えていません。少し大きくなってから親に聞いた話です。父は、戦前、蒙古電力に勤めており、
家族と共に蒙古に住んでいました。戦争が終わる半年前に、「この戦争は負ける。」と言って、家族を日本へ返したそうです。
母は1歳の私を背負い4歳の兄の手を引いて、鉄道で釜山へそして輸送船で下関へ、幸運にも辿り着きました。父も終戦後、
捕虜にもならず上手く逃げ帰ったそうです。父が軍刀を床について椅子に座っている写真を見たことが有ります。
父は蒙古時代のことを私に話すことはほとんど有りませんでしたが、一度、「中国人は偉い。中国人の捕虜に穴を
掘れと言ったら、穴を掘った。」と言いました。当時の私でもこの穴が何のための穴かぐらいは分かりました。
父は中国人に対し強い贖罪意識を持っているのが分かりました。

 今度の戦争は負けると言う情報をどうして得たのか、穴を掘るのを見たのか、指示したのか、軍刀を使ったのか、
どうやって日本へ逃げ帰ったのか、調べる方法も調べる気も有りませんが、父は単なる民間人ではなかったのでしょう。
もし、父が半年前に家族を帰さなければ、多く語られる敗戦後の満蒙からの逃避行にあるように、私のような幼子は、
敵に見つかるからと言って親に絞め殺され、川に捨てられ、置き去りにされ、運が良ければ中国残留孤児になる等の
可能性は極めて大きかったと思います。私はこの事実を深く受け止めています。

 日本に帰ると、父の実家は佐賀市の近く川上の農家で、そこにしばらく滞在していましたが、10人兄弟の末っ子で生活の糧も無く、
間もなく追い出されるように家を出たそうです。困窮の中で炭鉱夫をやろうとしていたところ、幸運にも九州電力に
拾って貰いました。西堀端の掘から30mぐらい入った所に九州電力の社宅がありました。旧料亭を改造したもので、
長屋になっており、2間に流しが付き、風呂は共同風呂でした。妹が2人でき、6人家族でした。夕食のおかずが卵1個で、醤油で
倍ぐらいに増やし、ご飯にかけて食べていました。その頃の生活が身に付き、今でも残った食料を捨てるのには
罪悪感を覚えます。
赤松小学校に行きましたが、低学年の頃は人見知りをする無口な目立たない子でした。勉強も好きではなかったのですが、
考えるのは好きでした。小1の頃、父に将棋を教えて貰いました。半年もすれば、父に勝てるようになりました。
近所の中高生とも指しましたが、ほとんど負けませんでした。勝つコツは、自分がこう指せば相手はどう指すかを考えて、
その相手の手に対してどう指せば有利になるかを考えて、考えつくまで手を進めないことです。このやり方でやっていれば、
負けることは無いのですが、誰も相手をしてくれなくなり、私の将棋人生は1年足らずで終わりました。

② 少年・少女期

  小学校高学年、中学校の頃

 私は早熟だったため、小学校高学年になると成績は断トツになり、体力的にも相撲では負けなくなりました。
性格的にはシャイだったため、自分から積極的に何かをやるタイプではありませんでした。PTAの授業参観の時、
先生は先ず易しい質問をします。皆、ハイハイと言って元気よく手を上げます。私は手を上げませんでした。
次第に難しい問題を出していくと、手を上げる生徒が少なくなって、やがて誰も手を上げなくなります。すると、
先生は「ハイ甲斐君」と言って私を指名します。そこで、私は答えを言います。授業参観の最後は朗読です。
皆に1小節ずつ読ませます。そして最後の2小節を私に読ませて、終わりとなります。このように、5年生ぐらいまでは、
私は先生のお気に入りでした。ところが、6年生の授業参観の時です。先生が「セルロースは炭水化物ではない。
消化できず、栄養にならない。」と言いました。私はそれを聞いて直ぐ、「おかしい。セルロースは炭水化物だ。
牛や羊等の反芻動物は消化して栄養にする。ちゃんと調べて、正確に説明してください。」と言いました。
満場で恥をかかされた先生は、それから私を指名することは無くなりました。

 中学は、堀の向こう側の城南中へ行きました。2年生の時、音楽の井出先生から「ブラスバンド部を作るからやらないか。」
と言われました。「はい」と答えると、「部長をやれ」と言われました。3年生は、卒業まで1年しかないので
上手くなれないとして、部に入れなかったため、いきなり部長でした。1曲を間違いなく最後まで吹くのがなかなか出来ず、
今の小学生より下手だったでしょう。ブラバンの練習は少ししかやらなくて、グランドへ行ってソフトボールばかり
やっていました。グランドは、野球部以外は立ち入り禁止でしたが、「応援してやるのだからいいじゃないか。」といって、
センターの辺で我が物顔にソフトボールをやっていました。

 中学3年の時、近郊の尼寺に転居しました。私は中学を変わらず、30分は優にかかる距離を自転車通学しました。
ある日起きると頭がズキズキして、顔が真っ赤です。額に手を当ててみると相当熱がありました。母は知らん顔なので、
そのまま自転車で学校へ向かいました。必死の思いで自転車を漕いで、学校に着きました。2時間目は体育の時間で、
ラグビーでした。私は、いつもの通りフォワードをやりました。スクラムを組んで押し合いますと、汗だくになり、
最早、意識朦朧でした。しかし、教室へ戻って体温が下がってくると、汗が引き、意識もしっかりしてきました。
風邪が治ったのです。「風邪は、ラグビーをすれば治る」私は病気に対する絶対的な自信をもちました。中高は皆勤賞、
浪人、学生時代は病院に行くと言う概念がありませんでした。就職してからも、ほとんど病院には行かず、
風邪薬など飲んだことが有りません。

 中学では同じクラスに松本、尊田、原口、山田、副島さんといった可愛い子がいましたが、女性は、相撲もソフトボールも
しませんので一緒に遊ぶ気は全く無く、興味も有りませんでした。男性では、野球部の松瀬氏と良く付き合っていました。
私も野球をやりたかったのですが、全く下手だったので、彼は憧れでした。

                              (つづく)
 

旅人ーMさま

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月13日(土)12時45分58秒
  積丹半島は旅人様にとって忘れなれない地だったんですね。

事の輪・作品集・第37号を読ませていただきます。
 

ドクター甲斐の生涯

 投稿者:ひまじん  投稿日:2019年 7月13日(土)12時26分21秒
  一応作品集に掲載しましたが、まだ編集ができていません。
なるべく早く編集しますので、今しばらくお待ちいただきたいと思います。
 

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月13日(土)11時21分43秒
  「馬鹿にして茶化して貶せば票になり。」「某党首。」  

ドクター甲斐の生涯

 投稿者:トトシカーナ  投稿日:2019年 7月13日(土)11時10分20秒
  作品集小説の部門に、小学生、中学生、高校生と同窓の甲斐常逸博士の「私の履歴書』を掲載させていただきました。

甲斐博士は、早稲田大を卒業後、当時最も華やかな世界だった原子力産業に進むべく、多くの俊秀の憧れであった動力炉核燃料開発事業団に就職、原子力発電の自前の燃料を取得できるように、ウランの濃縮技術の開発に従事し、遠心分離装置のコンピューターによる予測分析技術を世界で唯一発明し、ウラン濃縮技術の三偉人(ウラン濃縮の理論を確立した人、実際のウラン濃縮装置を開発した人、そして甲斐博士の、そのウラン濃縮装置における濃縮状況の分析予測の計算公式の確定)の一人といわれておられます。

わたしがそのことを知ったのは、モスクワ大学の学者が書いた論文でした。その後、東日本大地震の福島原発問題で、彼の教え・アドバイスを求めたことから時折お会いする機会が持てるようになりました。

その彼がついに其の波乱万丈の生涯を「私の履歴書」としてまとめられ、木霊に掲載を赦していただいたのです。

今、北朝鮮やイランでのウラン濃縮の問題でも、おそらく甲斐博士の理論が使われていることでしょう。

このような世界的学者である博士の一代記が,我々の木霊に初めて掲載されます。我々の知る博士のお人柄は、まさに質実剛健そのものです。其の質実剛健振りを是非実感していただくようにお願いいたします。

博士の文章は、表紙の布袋さんの写真の上にある「作品集」を右クリックすると作品集に飛びます。作品集の左側に目次がありますので、その目次の一番上の「小説」をクリックすると、更に目次が出ますので、その一番上の私の履歴書をクリックすると、博士の玉稿が出ます。

お楽しみください。
 

≪・・・夢路の中・・・積丹(しゃこたん)半島・・・≫

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2019年 7月13日(土)08時31分9秒
  ・・・関ヒマ さま・・・

紹介して頂いた、北海道旅行の中の≪積丹半島≫の写真を、何度も何度も見直しています。

小生、佐賀高校・第11期生で、お隣りの、≪言の輪≫の同人の仲間に入れて頂き、≪投稿≫をさせて貰っています。

≪積丹半島≫は、言の輪・第37号、『挫折・・・北海道・西海岸徒歩縦断旅・・・断念記』で歩いて挑戦したコースでもありました。

北海道の玄関口、≪木古内をスタートし≫~≪渡島(おしま)半島を、時計周りに一周≫~≪積丹半島・西海岸を北上≫~≪小樽・銭函通過≫~≪サロベツ西海岸を北上≫~≪稚内まで≫
・・・約800キロ(1か月)の予定で出発しました。

平成24年7月21日、木古内をスタートしましたが、第4日目、7月24日に熱中症の症状がきつく、止む無く断念したことが思い出されました。
その後体調も回復したところで、試しに、≪津軽半島≫を一周。自信を得て再度、挑戦したいと思っていた・・・≪北海道西海岸コース≫・・・です。

しかし、その後、≪前立腺がん≫撤去手術などをしたため、長旅は出来なくなってしまいました。
≪夢にまででてくる・・・?≫・・・ ≪積丹半島!≫。楽しく拝見させて頂いています。
有難うございます。

(蛇足)
≪挫折・断念記≫。よろしかったら、≪言の輪・作品集・第37号≫でどうぞ、ご覧ください。
 

ひまじん様

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月13日(土)07時25分16秒
  友人に北海道大好きのグルメがいて、食べ物はその人にお任せでした。
彼のお蔭で美味しいものがいただけました。
 

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月13日(土)05時29分57秒
  1881年明治19年の今日日本の標準時を明石を通る東経135度に決めた  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月13日(土)02時03分43秒
  「最後まで軍人の妻の生きざまを我に示して逝きし母なり。」  

関西のヒマジン様へ

 投稿者:ひまじん  投稿日:2019年 7月12日(金)23時24分21秒
  素晴らしい北海道旅行でしたね。景色も最高!食べ物も最高!言うことなしの旅行でしたね。

札幌駅は素敵な建物ですね。
 

「今日の会話」

 投稿者:トトシカーナ  投稿日:2019年 7月12日(金)19時40分19秒
  先ほど夕食を終わりました。その後の家内との何気ない会話です。

家内・・・・「ヤフーのニュースに20年間も無免許で運転していた人が小学生を跳ねたんですって!」

私・・・・・「ふ~ん」

家内・・・・「私も夢の中で時々車の運転をしているのよ」

私・・・・・「夢のなかだって言っても、君は運転なんか全くできないだろう」

家内・・・・「それがね、駅までぐらいはいいだろうといって、貴方が、私に運転をさせるのよ」

私・・・・・・「・・・・・・・・」

家内・・・・・「あなたは横暴だから、夢の中でもこんなことをさせるのね」
 

Re: 千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)18時44分5秒
  > No.29724[元記事へ]

沼南ボーイさんへのお返事です。

> 「六羽なるかる鴨の雛育ちたり。見わけはつかねど親は見守る。」
 

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)18時42分42秒
  「六羽なるかる鴨の雛育ちたり。見わけはつかねど親は見守る。」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)17時24分7秒
  「いつまでも燃えて浮いてる油船。」「問題鎮火せず炎上中。」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)17時16分40秒
  「リーダの軽佻浮薄が気にかかる。」「誰とはいわず。」  

北海道画像

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月12日(金)08時20分2秒
  積丹半島、札幌駅  

北海道旅行3

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月12日(金)08時17分26秒
  小樽・積丹半島

北海道の鉄道は新千歳ー札幌ー小樽間は電車も多いし混んでいる。
私たちは札幌から特急を利用し小樽駅で下車した。
小樽からはレンタカーを利用し積丹半島を廻った。
小樽は私に言わせればハイカラな街で、昭和の大スター石原裕次郎が幼年時代を送った街だ。
積丹半島からの帰り、小樽運河沿いにある洋菓子店ルタオでコーヒーを飲みケーキを食べ、お馴染みのチーズケーキと新製品のケーキを冷凍で家まで送ってもらうことにした。
うち新製品のケーキは神戸東灘に住む息子夫婦に家まで来てもらい、持って帰ってもらった。生クリームがすごくおいしかったと言っていた。

神戸はケーキとパンで有名だが、ルタオのチーズケーキは神戸でも良く知られているケーキである。
ここのチーズケーキはやはりおいしい。

小樽から車で約1時間半、断崖絶壁の美しい風景が目に飛び込んでくる。
特に島武意海岸の荒涼たる景色は圧巻であった。

また、積丹半島はウニが有名で、半島の食堂「みさき」は辺鄙な所なのに1時半ごろ行っも店は一杯であった。
食堂「みさき」の名物ウニ丼はウニ本来の黄色が輝き、生のウニの殻を割って中味を出した時のように粒粒が鮮やかで、「これがウニ丼!」と思わせる丼であった。

サッポロはすすき野のビジネスホテルに泊まったが、すすき野駅から3分以内の回転ずしとラーメンが美味しかったので、参考までに紹介します。
回転寿司「活一鮮」 最近できた観覧車の下のビルの地下 ネタは新鮮そのもの。
ラーメン「けやき本店」北海道らしいコーンバターラーメンは美味しかった。

帰りは新千歳空港で東京組と別れ、私はANAで神戸空港まで、約1時間40分のフライトであった。
最近の女性搭乗員は昔に比べ劣ると美人がすくなくなったと言う人もあるが、今回のチーフパーサー(アシスタントパーサー?)はすこぶる美人であった。
 

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)06時57分26秒
  「「浮かぶ月眺め残業手当なし。」「非正規」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)06時41分13秒
  「浮き苗を植え直しているお百姓。」「米は88回の手間」  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)06時27分8秒
  「今日は2019年、7月12日です。「1925年大正14年の今日nhkラジオの本放送がはじまった。」  

千葉版の諧謔

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月12日(金)01時56分3秒
  「見届けたい年金制度100年後」
「孫書いた短冊見れば2000万」
 

北海道旅行2

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月11日(木)22時30分56秒
  登別・苫小牧

登別では地獄谷に隣接する第一滝本館で温泉に入った。
地獄谷から直に温泉を引いている二種類の泉質の源泉かけ流しだ。
そして浴場の大きさに圧倒された。

入浴後、地獄谷のそばまで行ったが、野生のエゾシカに出くわした。
宿に人に聞いたら、時々姿を現すということであった。
近寄っていっても臆するところがなく、この鹿は本州の鹿より大きいので、寧ろこちらが圧倒されてしまうほどであった。
迫力は十分であったが、鹿はあくまで草食動物である。
熊でなくて良かったとその時思った。

苫小牧では港の地方卸売市場内の「マルトマ食堂」で北寄貝の丼を食した。
小さな食堂だったが、行列ができるほどの盛況で、店内の壁には有名人のサインがぎっしりと貼ってあった。
北寄貝は苫小牧が漁場だそうだ。
店の外には身を取り出した北寄貝の貝殻が山積みされていたが、ハマグリよりも大きくて丸っこい貝だ。
その貝を丼に、ご飯が見えないくらいに盛り付けてある。
味はというと、柔らかくて癖がなくまさしく絶品である。

苫小牧では街中の海鮮料理の店でツブ貝も食した。
ツブ貝は厚岸で良くとれる、大きな巻貝で、コリコリとした舌触りで海の香りがし、北寄貝と甲乙つけがたい美味さであった。
 

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)17時40分43秒
  「葦切り」はひねもす鳴いて葦原と栗の小枝を行き来きするらし。」  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)16時40分48秒
  「我が植えし杉は大木となりたるや銃後守りし故郷の山。」  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)16時24分30秒
  「紙芝居の瞼の母に涙するデイサービスの午後のひと時。」  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)15時19分14秒
  元気なる夫は年中忙しく同窓会の雑事におわる。」  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)13時03分2秒
  夷隅川暮れて万象鎮まれり水面に淡く北斗ゆらめく。」  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)12時59分0秒
  「車椅子生活になり早1年おしゃれな姉はピアス欠かせず。」  

千葉版の歌

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)12時54分3秒
  「半世紀地元支えしスーパーーの閉店せまる放送悲し。」  

千葉版の川柳

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)12時49分46秒
  「落としたい人は比例の浮輪持ち。」  

北海道旅行

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2019年 7月11日(木)11時33分25秒
  函館

今回の旅行は昨年9月に予定していた道南の旅行が、北海道を襲った震度7の大地震の影響で行けなくなったため、そのリベンジの旅となった。

今回の楽しみは戊辰戦争の終結地である、函館五稜郭の見学と、積丹半島そして北海道の美味しいものを食べることである。

3人は7月初め、函館空港に降り立った。
北海道は梅雨がないと聞いていたが、どんよりとした鼠色が空を覆っている。
今にも雨になりそうな天気だが、本州に比べて湿度が低いのか肌にまとわりつく、嫌な感覚はない。

早速、バスでJR函館駅に向かう。
駅の近くに函館市場がある。
大きなエビ、鮭、ホッケ、タラバガニなどなどすべて大きい。
魚売り場の青年が鮭を宣伝している。
ズラーと並んだ鮭は普通の鮭よりスマートな形をしている。
時鮭というらしい。
普通見かける鮭より高いそうだ。
が、時鮭としては他より安いと青年は言っていた。
それでも結構な値札が付いていた。

市場には海鮮丼を出す店が数件あった。
其の一件で贅沢にも朝から海鮮丼を食した。
ウニいくら丼を食べたが、ウニが見るからに新鮮で満足した。

そのあと五稜郭へ行った。
過去、函館山やトラピスト修道院には行ったことがあったが、五稜郭は初めてだった。
戊辰戦争の終結地として、今回の目玉の一つだ。
五稜郭タワーの入り口でいきなり土方歳三の像に迎えられた。
逆光のため像全体が暗かったが、土方の立ち姿はどこまでも格好よく、思わず何枚もシャッターを切った。

五稜郭の中に現存する当時の設計図に忠実に作られた、箱館奉行所があった。
最近建設されたようだが、和風な中にあって、ちょっと洋風な趣のする建物であった。
建物の中に女性の説明員がいたので、土方について聞いてみたら、榎本武揚が土方の死後、甥に「土方とはどんな人だったのか」と質問されたときに応えたエピソードを披露してくれた。
榎本は甥にこう応えたそうだ。
「土方が部屋に入ってくると清らかな風が通り抜ける。そのような人物であった」

榎本はさすがに上手い表現をしますねぇ。
土方歳三はやはり格好良かったようです。
 

かたえくぼ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)06時24分34秒
  国会議員ーー今から目指すかーーー高齢者。」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)05時53分3秒
  「これからは保険の保険加入。」「簡保は不祥事」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)05時50分2秒
  「この国じゃ選挙ないよなテレビ欄。」「バライテーばかり」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)05時46分10秒
  「若い子がすくないなーと喜多川さん。」  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)05時32分15秒
  「今日は7月11日です。 」「今日は世界人口デイです。1987年昭和62年にこの日を世界人口の日tpすることを国連が定めました。」  

朝日俳壇より

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)04時24分7秒
  「草刈り機シルバー集い轟かす。」「大串章選。」  

朝日歌壇より。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)04時14分21秒
  「草引きはわたしの精神安定剤フイに来て鳴くかっこうかっこう。」馬場あき子選。」  

千葉版の俳句

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月11日(木)03時55分36秒
  「懐紙手に和漢朗詠集の声涼し。」  

朝日俳壇より

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月10日(水)18時21分41秒
  「暗きより暗きに入りて蛍狩。」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月10日(水)14時35分20秒
  「沖縄にもその優しさを安倍総理。」「選挙演説」  

朝日俳壇より

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月10日(水)14時10分31秒
  「短夜の星と語りて寝もやらず。」「稲畑汀子選。」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月10日(水)11時33分18秒
  「1面の見出しそっくり入れ替わり。」昨朝刊。」  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月10日(水)06時26分20秒
  「今日は7月1日です、」1929年昭和4年の今日浅草のカジノフオリーで榎本健一さんらが興行を開始し日本の大衆喜劇の嚆矢となった。」  

朝日歌壇より。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月 9日(火)10時44分49秒
  「チョットコイと鳴く小綬鶏に誘われて林に入ればまだ積む汚染土。」馬場あき子選。」  

川柳朝刊の。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月 9日(火)06時27分47秒
  「逸脱の米逸脱のイラン責め。」  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2019年 7月 9日(火)05時33分35秒
  「今日は7月9日です。」「1955年昭和30年の今日、核兵器の開発を禁じるラッセル、アインシュタイン宣言が発表された。日本の湯川秀樹博士なども加わった。」