薩長同盟、大政奉還、明治維新を演出した幻の宰相 ~ 薩摩藩家老 小松帯刀 ~ 田之頭 稔 明治維新から150年(来年・平成30年・大河ドラマ「西郷どん」) 昨年は薩長同盟150年の節目。 篤姫(2008年大河ドラマ)と同時代を生きた小松帯刀。 西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、徳川慶喜。 尊王・佐幕を超えて「小松なくば何もできぬ」。朝幕間で最も重要な人物と言わしめた幕末最大の英傑。 身分、国籍を超えて慕われた人柄。 幻の宰相と呼ばれる小松帯刀は天保6(1835)年薩摩藩喜入生。 坂本龍馬、篤姫、五代友厚と同じ年齢。 それは、類稀なる才能と手腕を幕末の混乱期に家老として発揮しながらも、明治3(1870)年に若くして 亡くなった事を惜しんでのことである。36歳の若さ、道半ばにして病死。 小松帯刀は、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通を影から支え活躍させた英傑。帯刀がいなければ、 彼らの活躍はなく、薩摩や長州が明治政府の中心となることはなかったのではと言われている。 小松家の出自由来は、平家の末裔。将軍源頼朝の命で建仁3(1222)年、薩摩大隅半島の南俣院禰寝 (現在の鹿児島県鹿屋市大根占)の地頭職に封じられ、300年後の文禄4(1595)年豊臣秀吉の命で 第17代重張は薩摩の吉利郷に移封。明治になって小松伯爵となり、現在に至っている。 小松帯刀は小松家第22代。安政3(1856)年に22歳で吉利領主の小松家の養子となる。 江戸詰として島津斉彬公の薫陶を受けた。 斉彬公没後、島津久光の子忠義公が藩主を継ぎ、国父久光公の側近に。 大久保利通を重用するなどしながら久光、忠義を補佐した。 文久2(1862)年、28歳の若さで家老吟味役に昇格、王政復古、明治維新に向けて薩摩藩を 背負って活躍。 当時世界の列強は、植民地政策をかざして東洋に進出を狙っていた。 先進諸国は競って日本に修好条約の締結を要望。 国内では攘夷、外国打ち払いの声も高く、徳川幕府は適切な対策を立てられなかった。 小松帯刀は久光公と熟議の結果、まず久光公と京に上り、朝廷の命によって 幕府を改革し、朝廷と幕府の融和を図ろうとした。 紆余曲折はあったものの、幕府が受け入れたため、公武合体の勅使として大原重徳卿が 江戸へ下る事になった。 この後、久光公と帯刀は薩摩への帰路の途につくが、相模国の生麦村で、イギリス人が 行列の道中を侵したとして、奈良原喜左衛門が1人を切り、2人を負傷させる生麦事件が発生。 このため、翌年の文久3(1863)年、薩英戦争が起こったが、帯刀は善戦と見事な戦後処理。 勝敗は互角であったが、イギリスは艦長以下死傷50人くらいを出し、薩摩藩は戦死1名、 負傷者数名。英国艦は逃げ去ったので、薩摩藩の勝ち戦として天下に知れわたった。 薩摩藩第28代当主島津斉彬公の遺志を継ぎ、薩摩藩の近代工業の導入に努力。 帯刀は時世の流れを読み、陸海軍の増強にかかる莫大な資金を稼ぐ為、海運を盛んにして 交易の利益をあげる必要あった。 勝海舟の軍艦奉行罷免に際し、龍馬ほか神戸海軍操練所塾生30名の保護。 開成所(洋学校)の設置。 英国留学生の派遣。 薩長同盟を主導。 朝廷が、長州藩を攻めるかどうかの激論の中、薩摩藩は戦いを避けたいと幕府や朝廷に 再三説得した。たとえ、長州藩に勝ったとしても、一橋慶喜公中心の統治体制が維持され、 薩摩藩が望む国内政治とは異なる。 また、内戦により外国に侵略されることになりかねない。 それらを避けるために薩摩藩は長州藩と力を合わせ「強く豊かな新しい国造り」をしようと考えた。 坂本龍馬を仲介者として、長州藩の桂小五郎、薩摩藩の小松帯刀と西郷隆盛で「薩長同盟」が 結ばれた。 英国公使パークスの招聘。 薩土盟約を主導。 パリ万国博覧会への薩摩藩独自の参加を推進。 参加から今年で150年。薩摩藩は、幕府に相談することなく1867年のパリ万博に参加。 泡盛酒など琉球の産物、薩摩の陶器や、竹細工、たばこ、軽羹など。 大政奉還の可否を諸侯重臣に図る重要な二条城会議。 病身をおして果たした最後の仕事。 政権返上を当然と認める者も、幕府将軍の威光を恐れて公言しない。 また、奉還不可も大義名分よりして公然とは発言できない為、諸侯はみな口を閉ざしたままであった。 そこで、帯刀が発言した。 『大政奉還は国家の急務であり、時世人情よりみるも正理公道で公明正大の行為であり、 幕府の大政奉還は美徳である』 そして、将軍の政権返上を奨揚。徳川慶喜公に迫り、大政奉還を決意させる。 明治政府の 外務大臣として堺事件、兵庫事件の解決など、藩主忠義公と国父久光公に代わって、 全ての最高責任者として成し遂げている人物。 京都の小松帯刀邸で極秘裏に行われた薩長会議は、表向きは琵琶会の名目であり、薩長同盟の 席で 当時21歳の薩摩琵琶の名手児玉天南(本名 利純)の勇壮な弾奏に、木戸孝允や坂本龍馬らも 感涙したと伝わっている。 昨年(平成27年)10月27日 薩長同盟150年を機に薩摩藩士児玉天南の慰霊祭が鹿児島市の 興国寺墓地で行われた。 主宰のひ孫さんのご縁で参列。 墓前で鹿児島神社山下宮司による薩摩琵琶「蓬莱山」の美しい音色に150年前に思いをはせ、 とても感慨深いものでした。 参考文献 1.特定非営利活動法人 鹿児島県日置市 まちづくり地域フォーラム かごしま探検の会 2.日置市教育委員会「小松帯刀」 3.「龍馬を超えた男小松帯刀」原口泉著 4.一般社団法薩摩士魂の会会報(平成21年版)