八十路女三人のドライブ                     
                           
                           大西浩子 



       
 東京の友人から「暑くて暑くて、三十二度よ」と悲鳴の電話あり。
テレビの天気予報で大変だなと思ってもこちら札幌は一年中で最も良い気候、カラフルな花々が
心を一段とはずませてくれる。
そんな好天に恵まれた一日、老女三人が目指す先は、石狩の「月形樺戸博物館」である。
ドライバーは私より二歳上なので八十四歳、前からお誘いを受けていたが、昨年の秋、紅葉の
名所を何か所も堪能させていただき、すっかり安心して仲間入りする次第とあいなった。
私は札幌以外で長く住んでいたのは故郷の佐賀と大阪だった。三人の中で一番若い喜美子さんが、
大阪の船場の「こいさん」だったということもあって会話がとめどなくはずむのである。
前回の桜の花見は下調べが万全だったとおもいきや、山桜が散った後で、八重桜には一週間早い
という具合で、消化不良気味だった。それでも珍道中は楽しいものであった。
 
さて今回、目指す目的地は、北海道樺戸郡月形町一二一九番地
「月形樺戸博物館」である。
北海道の網走刑務所は道東を旅したとき見学したことがあったが、月形町に足をはこんだことはなかった。
そこに明治十四年「樺戸集治監」が開庁され、初代典獄に「月形潔」が就任、月形村が開村された。
当初の受刑者には西南戦争などで捕縛された不平士族、後年には加波山事件や秩父事件などに
参画して逮捕された思想犯的な傾向をもった収容者が多かったという。大正八年樺戸監獄廃監までの
三十九年間のあゆみを、豊富な歴史資料でドラマチックに展示再現されていた。
中でも「佐賀の乱」の資料では一層心が痛んだ。
明治政府初代の法務相で「佐賀の乱」敗北のため、自ら創設した法によって「死罪」となった「佐賀の七賢人」
の一人「江藤新平」の壮絶な一生がおもいだされたのである。その江藤新平率いる兵の中からも捕えられて
この集治監に送られてきた人もいたのかもしれない。
ちなみに新平さんの孫の「江藤夏雄氏」が父の旧制佐賀中学時代の親友だったこともあって故郷佐賀を
思い出すよすがともなったのである。
 
ともあれ再び娑婆に戻ることのないその人たちの過酷な労働によって道路改削が行われ、これによって
北海道の開拓は進んだ。
明治二十年、峯延道路工事。明治二十一年、月形・当別間及び月形・増毛間道路工事がすすめられた。
そして恩恵に浴している今の私たちがいるのである。
過ぎし日のバスツアーで「この道路は昔囚人の使役によって作られたもので・・」とガイドさんの説明を
聞いたことがあったが、こうしてつぶさに陳列品に接する機会を得て先人の労苦に改めて感謝の念を
深くした次第である。
参観した日、私たちは三人だけの貸し切り状態で十分な時間をかけて見学することができた。
 
昼食の時間も過ぎて空腹に気づきレストランを探してドライブをするが、目的の店がなかなか見つからない。
やっとたどり着いたカレー屋さんのお味がもう一つで、老女三人車に乗り込んでブツブツ。
ドライバーの洋子さんの菩提寺が通り道にあるという事でたちより、亡き旦那様と娘さんの
お参りをさせていただく。
金剛寺は鶴沼公園を借景にとても立派なお寺さんで、ご住職さんと奥様が気さくな方で初対面の私も
応接間で甘いスイカのご接待までいただいた。
アスパラガスのお土産も頂戴してお話も尽きないままお寺を後にした。
 
三人とも夫を亡くして、あっという間に八十路を迎え、でも取り敢えず自分の足で歩き、日常生活を
送れる事を感謝しつつ、お二人のお誘いを戴いてお言葉に甘え楽しい一日を送ることができた。
 
“これからも、もう少しがんばろうね”

                 了





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