まだら狼 第3部 仏木坂の戦い 熊本太郎 戦国の世の常は弱肉強食の様であった。肥後の国天草でも宇土藩の小西行長が 豊臣秀吉の下知で天草島一帯に勢力を伸ばして来ていた。しかし天草島の南端にある 河浦・久玉(牛深)宮地浦の海岸地は相変わらず対岸の島津藩からの侵攻が 続いていた。本戸城に近い弾正の舘にいた五郎は故郷の志岐の部落へ帰れる日を 心密かに窺っていた。 本戸へ来てからひと月も経たぬ内に、河浦から小太郎の姉忍が奉公にやって来た。 小太郎も姉と本戸へ来たかったことを聞いた。しかし島津の軍勢が牛深久玉や その近くの宮地浦の海岸にある集落に押し寄せて来るために、部落の長(おさ)と 供に戦の準備に駆り出されているとのことだった。五郎は日々戦用の馬や荷役用の 牛の世話をさせられていたが、志岐の家族の事が心配になり城主の奥方である お京の方に願い出て帰宅を許してもらった。奥方は五郎にこれまでの奉公賃として 家族への土産として雑穀1俵と共に馬1頭を持たせた。丁寧にお礼を言って五郎は 奉公先の弾正舘を後にした。馬と共に舘を出る時小太郎の姉忍が見送ってくれた。 忍は大矢野の地頭から維和島にいる久蔵と言う少年が最近紅毛人の宣教師に従い、 異国へ行く船に船乗りとしてついて行った事を知らされた。 「俺も行きたかった!」 心の中で五郎は言った。しかし永く離れていた故郷志岐の浜の家に帰りたい気持ちも 強かった。 「いいさ、そのうち機会を見て俺も異国へ行こう」 そう思うのだった。 富岡に至る本戸からの山道は谷に沿って曲がりくねっており山越えの道は厳しかったが、 峠からの下り道になると心が弾んだ。曳いている馬の足取りも軽かった。谷沿いの大き く茂った椿の木の根元に腰を下して、谷を流れる清水で顔を洗い馬にも水を与えた。 その後、小太郎の姉が持たせてくれた握り飯を頬張りながら馬にも付近の馬草を与えた。 街道に上がると海から吹いてくる秋の風が五郎を癒してくれた。志岐に近づくにつれ 五郎の足は軽く弾んだ。懐かしい志岐の浜の香りが漂ってきた。峠から見る早崎の瀬戸は 満ち潮だろうか、早い流れが強い風の中で時おり波がしらを白くしていた。 その先には肥前の島原の山々が見えていた。 「そうだ、まだら狼はどうしているだろうか?」 郎は崎津の浜で別れたフカの事が気になった。きっとどこかで生きていてくれるだろう。 そう思う五郎であった。 五郎が志岐の浜に帰ってひと月も経たぬ内に天草の本戸の周辺の浜が騒がしくなった。 小西行長の家臣たちが天草各地の検地に乗り込んで来ており、小さないざこざが あちこちで始まっていた。小西の家臣たちは数隻の小舟で田畑のある土地を見つけては 庄屋に石高の割り当てをして行った。中には穫れたばかりの米や雑穀を民・百姓の家から 力ずくで奪う雑兵もいた。小さな村の百姓にとって収穫物はこれからを生きていくための 大事な蓄えであったのだ。蓄えを奪われた民は小西の兵を憎んだ。天草の本戸に近い あちこちの村で起きた検地騒ぎは蓄えを奪われた地侍を筆頭に、地頭の中心となっていた 天草氏への直訴が相次いだ。 「小西討つべし」の声が高まり天草氏は島内の地頭との結びつきを強め、小西の軍船に 対し抗うこととし、戦への準備を急いだ。小西との戦を決めた天草の地頭「五人衆」を 中心に各所で検地の妨害を行った。小さな天草の島々での戦は小西の兵にとっては 最初からたやすいものと考えていたが、島伝いに逃げ隠れする地頭の勢力に 押される一方であった。天草氏の守りは堅く海路の入口である瀬戸のあちこちに 砦を築き瀬戸を通る軍船に対し,火矢や柵で船の通行を妨害し小西の兵を攻め立てた。 島と島の間にある瀬戸はどこも海流の流れが速くわずかばかりの潮間を縫って 小西の兵は船を進めた。天草各地から駆り出された男たちは限られた武具で戦に 臨んでいたが、戦国時代を生き抜いて来た小西の兵は、天草五人衆の各武将達に対して 一歩も退かない強い軍勢を以って、この天草攻めに臨んでいた。小西行長にとっても これまでの領主であった佐々成正による検地強行の失敗による統治の失政で、 秀吉の怒りを買い失脚せざるを得なくなったことを考えると後に退けない戦であった。 ましてや自分が日々崇める伴天連の教えを同じくする天草の民に対して刀を 向けることは辛いことであった。しかしこれまでの領主が秀吉の怒りを買い失脚 させられた事を考えると、いたずらに戦を長引かせる訳には行かなかったのである。 大坂城の秀吉は一向に治まらぬ天草の統治に業を煮やし、肥後の国の北部を 統治していた子飼いの部下加藤清正に対し行長の天草攻めの援軍をせよと指示した。 戦場で数々の武勲を立てて来た清正は瞬く間に天草出陣の策を立て、肥後国隈本の 港から天草攻めの軍船を準備させた。隈本近在の港はもとより肥前の各浜からも 船を徴用し、船大工に命じて戦用の軍船に改装させた。小西行長が天草五人衆を 攻めあぐねていたわずか数ヶ月の間に数多くの軍船を揃えて清正自ら天草攻めに 臨んだ。 清正は自らの城としていた茶臼山にあった千葉城から小舟で白川を渡り有明海を望む 松尾村百貫まで出た。百貫の港には腹心の飯田覚兵衛が待ち構えていた。 覚兵衛は清正の懐刀として、多方面にわたり交易を行う商人達への朱印状の 取りまとめをしており、清正の軍事力の大きな支えをしていた。自らも交易船を手配して 西国内はもとより海を渡って朝鮮・中国との交易も行っていた。隣藩である肥前長崎の 異国船情報も数多くを配下の廻船問屋から聞いており、異国との交易が莫大な財を なすことも、清正に度々具申していた。戦で使う金は加藤清正にとっても、主である 豊臣家の栄華がこのまま続くとすれば大きな負担を担わねばならないと内心気になる ところであった。秀吉は自分の親も同然と、幼い頃から近くで育ってきた清正にとって 豊臣家は守り通さねばならない戦国武将の厳しい掟でもあったのだ。 百石船を改装した軍船は上げ潮に乗り船着場である百貫を出た。清正は、陸地から 沖の方まで黒い砂が広がった河口を小舟で下りながら時として氾濫する白川の流れを 変えねばと考えていた。川の両岸に繁る葭原は肥沃な阿蘇の土砂が白川の氾濫で 出来た大地でもあった。この広い葭原を田畑にしたらと清正は考えた。船は河口の 大きな島影から有明海に出た。秋の夕日が海の向こうにある雲仙の頂きに沈む 時刻であった。 海鳥が群れをなして汐が満ちてきた干潟を後にして塒を求めて東方にある江津の 湖や沼を目指して飛んで行った。 清正の乗った百石船を先頭に天草攻めの軍船は大きな帆に風を受けて滑るように 有明海を渡って行った。 「あれが小西様の領地宇土藩の山々でございます」 付き添っていた飯田覚兵衛が教えた。 「やがて三角の鼻より天草の島々がある大矢野島そして上津浦島へと入ります。 右に見える島は湯島と申し大矢野島の主大矢野種基が治めております。 肥前との境にあり交易船の風待ちの場所でもあります」 と詳しく話した。 明け方清正の船団は天草と島原半島の間に流れる早崎の瀬戸に差し掛かった。 覚兵衛は船を二江島の西側の志岐の浜辺に近づけた。従ってきた軍船もそれぞれが 小舟を下し兵が乗り移った。大きくうねる海での乗り降りは清正の兵にとっては 陸上の戦いと違い初めての経験であった。だが指揮する覚兵衛の采配はこれまでの 戦場で培った経験から部下への指示を的確に行い、全ての兵を無事に陸に 上げることが出来た。小さな浜へ上がった後は、戦い慣れた清正の兵にとって 雑作なかった。大挙して押しかけた清正の軍勢に地頭の志岐鎮経(しげつね)は 果敢にこれを迎え戦ったが、戦慣れした加藤の軍勢に押され山側へ逃れては 間道に待ち伏せて加藤の兵を悩ませた。 志岐鎮経は味方の不利を見るや、すぐさま本戸城主の天草久種へ伝令を走らせた。 本戸城では天草の各浜に押し寄せる加藤・小西の軍勢に地頭が一丸となって戦って いたが、兵の数や軍船の規模で優る小西は不知火の海に面した大矢野島や津浦の 島々を次々と落した。本戸にある久種の陣にほど近い延慶寺の境内に居宅を 構えていた木村弾正は伝令を聞くや部下に命じて馬と50人程の屈強な手勢を 用意させ本戸城に向かい久種に出陣を告げ志岐へ至る間道を急いだ。 10町(11キロ)ほど山なりの間道を曲がりくねりながら進むと程よい広さをもった 広場があった。 「ここだ!ここに陣を張って清正を討ち取る!」 そう言って自ら周辺の木々を持っていた鉈でバッサバッサと伐り始めた。部下たちも それに倣い雑木を伐ったり束ねたりして間道を塞いだ。弾正の兵達は本渡へ向けて 攻めてくる加藤清正の大軍をこの間道で食い止める策をとったのである。 清正の尖兵である飯田覚兵衛は清正と供に馬に乗り間道を進んで来た。間道の ほぼ高い場所から見る天草の山々は秋の始まりとはいえあちこちで色づき始めた 木々が夕陽をうけて美しく光っていた。 「殿。ご用心を」 覚兵衛はそう言うなり持っていた槍を繁みに向けて投げ突つけた。 「グァッー!」 と声を立て藪の中にいた雑兵が飛び出してきた。 「敵だ!用心しろ」 覚兵衛は部下の兵にそう言っては清正を後に、乗っていた馬にムチを当て間道を 突き進んだ。清正の兵もこれに続き槍を小脇に抱えいつでも敵と戦えるようにして 突き進んだ。1町ほど登り詰めると広場に出た。そこには本戸から志岐の応援に 向かう弾正の屈強な手勢が木立の中に潜んでいた。覚兵衛は兵の前に出て 「わが主加藤主計頭清正見参・小西殿の応援に駆けつけた!」 そう言ってこれまでいくたびかの戦場で手にしていた槍を馬上高く掲げた。 樹樹の間に隠れていた弾正の兵の一人が長い樫の棒先に取付けた槍を 馬上の覚兵衛めがけて突き上げた。雑兵の槍は馬上の覚兵衛の脇を かすめるように突き出された。 「何の!」 そう言って左手で躱した樫の槍をむんずと掴んだ。戦慣れした覚兵衛の腕力は 雑兵から槍を奪うと右手に掲げていた槍を雑兵の胸板に突き刺した。 「ギヤー!」と大きな声を上げて雑兵は倒れこんでしまった。 これを手始めに清正軍と弾正の兵との激しい戦いが始まった。長い坂道や 曲がりくねった小さな広場での戦いは双方にとって一進一退の小競り合いであった。 弾正の仕掛けた木の束を取り付けた柵は、清正の兵の進攻を大いに悩ませ、 一進一退の峠越えであった。 それぞれの大将も少し離れた場所から自分の兵達の競り合いを見ながら自らの 出番を窺っていた。半時から一時も経った頃、たまりかねて弾正が飛び出した。 腕に覚えのある弾正は少しでも早くこの競り合いを抜け出て志岐へと 突き進みたかった。一方の清正にしてもたかだか50人程の弾正の雑兵は 軽く突破して先を急ぎたい気持ちであった。 「清正は何処!」 そう言いながら木々の間に渡した策を抜け出て、馬を操り清正の家来飯田覚兵衛の 馬に突進して来た。双方約10間あまりの間を置き槍を左脇に抱えて馬を走らせた。 馬上の二人は相手の槍を振り払いすれ違った。2度3度とそれぞれ槍で勝負を かけたが一向に勝負はつかなかった。たまりかねて弾正が 「清正は何処!我は天草殿の客将木村弾正と申す。かくなる上は大将同士の 勝負だ!」 と言い、持っていた槍を自分の部下に渡し、腰から刀を抜き清正を誘った。 それでも清正の手勢は功をなさんと弾正に突進してきたがことごとく弾正に 斬り殺されてしまった。あまりの強さに弾正に刃向かっていた清正の手勢は尻込み し始めた。これを見て清正も乗っていた馬を降り弾正の前に立ちはだかった。 「我こそ加藤主計頭清正」 そう言って腰から愛刀を抜き身構えた。双方の大将二人による息詰まる戦いが 始まった。 坂道を駆け下っては刃を交わし、また駆け上がっては更に刃を替えて戦い続けた。 間道の木々も二人の振り回す刃で小枝は伐り落とされる程激しい戦いであった。 双方の兵は自らの大将が相手を早く打ち負かすことを期待しつつじっと見守り ながらも、不利と見ると今にも飛び出さんと、固唾をのみながら各々の武器を 手に構えていた。 間道での大将同士の戦いが一時以上(2時間)も続き辺りは暗くなり始めていた。 二人の息も激しくなり相手に隙を見せぬように必死であった。お互いの動きにも 次第に衰えが見えるようになり激しい息遣いが、見守る兵にも伝わってきた。 「もうこれまで!」 そう言うや弾正は締め付けていた兜の顎紐を片手で外し兜を取った。 それに合わせるように清正も被っていた兜を脱いだ。二人は持っていた刀を地面に 突き刺し双方からむんずと組み合った。これまで戦場では二人共力任せに 相手を組み伏せて戦って来ていたことから、互角の力での戦いとなった。 辺りはさらに暗くなり始め二人の激しい息遣いと、激しく当ることで揺れる木々の 音だけが、戦いの激しさを現していた。二人の大将は組み合ったまま坂を転がった。 それは黒い大きな石にも似た塊が広場に落ちてきたような格好で止まったまま 暫く動かなかった。 「殿はいずこか!」 たまりかねて手勢の一人が声をかけたが、激しい戦いの中では二人共 声は出なかった。 下になったひとりが、ううー・・・と唸っていた時 「清正覚悟!」 の声と供に兵の一人が手に構えていた槍を突き出し、上になっていた男に 突き刺した。 「グエー」 悲鳴と共に引き絞るような「無念!」の一声が出たかと思うと上になっていた 男はもんどり打って坂道を転がった。岩のように太く組んで戦っていた二人の 塊も人一人の塊になると小さく見えた。やがて一人の男が立ち上がった。 そこには清正が立っていた。槍を突き刺した男は驚いた様子で 「ヤヤーしまった!殿を刺してしまった」 そう言いつつ弐の槍を清正めがけて突き出し、必死の形相で清正に 襲いかかった。 清正は間道に突き立てていた刃を取るや、槍を突き出してきた弾正の兵を 造作なく斬り伏せた。双方の主達の死闘を遠巻きに見ていた清正の兵も、 時の声を上げながら木々の間から出て来た。主清正が一人で弾正の兵と 闘っているのを見るや、清正の兵も必死になってこれに立ち向かい、 主清正を守らんと弾正の兵との死闘が始まった。主を刺し違えた側の 弾正の兵は動転してしまったのか、死に物狂いで清正の兵と闘ったが、 次々と藪の中から出てきた兵によって取り押さえられてしまった。 数で優る清正の兵は弾正が倒れたと知るや、勢いを取り戻し木陰に 隠れていた主のいない弾正の兵に向かって襲いかかってきた。 主をなくした兵は相手の攻勢に抗いこそすれ次第に清正の兵に 追われるように、もと来た間道を本戸の町中に退却せざるを得なかった。 この坂道での戦いを少し離れた高台から見ていた男が一人、弾正が 清正軍の手に落ちた事を知るや、一目散に本戸城へと走った。 山道の間道は幾重にも曲がりくねっていたが、下り坂になっており 翔ぶような速さで、走り抜け本戸城近くの弾正の屋敷の前に辿り着いた。 一心に走って来た荒い息使いの中から 「申し上げます。殿は仏木坂で無念なご最期!」 息も激しく主弾正が清正との一騎打ちで敗れた事を伝えた。 その場には、数日前清正率いる軍勢が有馬の応援も得て天草の各浜に 押し寄せていると志岐の地頭の使いで報告に来ていた五郎も聞いた。 「大変なことになる」心の中で五郎はつぶやいた。 弾正倒れる。この知らせは弾正の舘から本戸城へと直ぐに知らされた。 弾正舘の奥では弾正の妻お京の方が仏間に座り生きて弾正が帰ることが 出来ますようにと一心に祈っていた。女中頭の女が祈っているお京の方に 弾正の最期を告げた。 「何と!」 お京の方は暫く声が出なかったが、女中頭の知らせを聞き終わると カッと目を見開き恐ろしい形相に変わった。 「皆の者。殿の弔い合戦じゃ!」 そう言うなり床の間にあった主弾正の鎧櫃を開けさせた。中には弾正が 着けていた鎧と同じものが入っていた。 「吾に支度を!」 下女にそう言うやいなや座敷の欄間にあった薙刀を取って被せてあった 刀袋を外した。さらに下女に命じて主弾正の装束を取り出させ、 これを身に着けた。 急ぎ戦支度をする中でお京の方は崎津から連れて来た忍をひとり部屋に 呼んだ。 「よいな忍。私はこれからお殿さまの弔い合戦じゃ。お殿様を倒した 加藤清正に何としてもとどめを刺す。しかし兵の数では清正は我らに 幾倍もあるという。 まさかのためにそちはわが一子天寿丸と共にこの屋敷を出でよ。 行き先は我が生まれし益城村木山の我が身内を訪ねよ。 きっと匿ってくれる。 この書状を持って行きなされ。そしてこの子を守り育てよ。頼みますぞ。 お供には志岐の浜の五郎を連れて行くがよい。五郎なら天草の海ならず 有明・不知火の海の事も心得ている故安心されよ」 そう言うなり忍に一人の男の子を渡した。あどけない3歳にもならない 男の子は日頃から遊びの相手をしてくれる忍に安心していたのか素直に 母の膝から忍の手に引き渡された。女中部屋に戻りそそくさと旅の支度を する忍は、懐から十字架を取り出し祈った。 「主よ。お守り下さい」 そう言って再び懐中深く十字架をおさめた。.五郎は忍と共に幼子「天寿丸」を 連れて裏木戸から浜の方へ向かった。途中顔見知りの若者達がいたが、 行長や清正の軍が押し寄せて居ると言う噂で人々は自分のことしか関心なく、 忍が幼子の手を引き先を歩いていることさえ気にも留めなかった。 弾正が倒れた舘ではお京の方の矢継ぎ早の指示の中で、女中達が 我も我もとお京の方の供を願い出ていた。日頃から薙刀をはじめ 小太刀の心得もあったお京の方はおもだった女中達にも武芸を 教えこんでいた。 仏木坂で勝利を収めた清正軍は志岐へ進み志岐臨泉の舘を取り囲んだが、 主臨泉は清正軍の勝利を知るや否や,志岐の浜から船に乗り、主だった 兵と共に天草の海へと漕ぎ出して何処ともなく志岐を離れていた。 清正軍は、主のいない志岐から取って返し本戸の町へと進んだ。 町の入口近く、梅林や栗畑のある大きな門構えのお寺の前に来た。 清正の兵たちは大きな門をドンドン叩き大声で開門を迫り、門が開くのを 待った。寺の門が開くや否や馬に乗った武者が大薙刀を振いながら 飛び出してきた。 「我こそ舘の主木村弾正なり」 そう言いながら清正の雑兵たちに向かって馬上から兵の頭を跳ね上げた。 跳ね上げられた首は三間も飛び、門の外に消えた。唸り声も出さず兵の体は その場に倒れこんでしまった。首を無くした兵の屍をみて雑兵たちは 震え上がった。 それと同時に手に小太刀や薙刀を持った女達が清正の軍勢に襲いかかった。 馬上の弾正の鎧姿を見た雑兵は、死んだはずの弾正が目の前で自分たちと 戦っていることで怯え出した。 「ひるむな!」 大声で雑兵達の後ろから覚兵衛の声が飛んできた。思い直して雑兵たちは 馬上の大薙刀を振るう武者を遠巻きにして槍を突き出していた。 小太刀や薙刀の女達は幾人かの雑兵を倒しながらも、馬上の武将を 守るようにして戦った。 多勢の清正軍に馬上の武将は果敢に迫って行ったが、逃げ惑う雑兵たちは 舘の前の栗畑、梅の林の間を逃げまわった。しかし乗っていた馬が梅の 大木の間に入り込むと木に遮られて進めなくなってしまった。 「しまった。深追いし過ぎた」 そう言うや馬から飛び降りて腰に差していた刀を抜いた。 梅の大木からは小枝が伸びており大柄な武将は兜が梅の枝に当り始めた ものの、勢いもあって突き進んだ。しかし茂った梅の枝で被っていた兜の顎を 覆う錣(シコロ)の紐が折れた小枝に引き掛り兜ごと外れてしまった。 梅の林から抜け出て来た武将は、兜の中に隠していた長い黒髪を肩から 背中近くまで垂らしていた。武将を倒さんと囲んでいた雑兵は驚いた。 「何と!女ではないか?やれー」 そう叫ぶなり武将姿のお京の方の方に襲いかかり、お京の方は雑兵の鎗を 胸に受けてしまった。 お京の方は 「恨めしや梅園め!我はここで果つるともこの先この梅園の花は咲けども 二度と実こそ熟らせまじ」 と目をカッと見開き凄まじい形相で辺りを見回した後その場に崩れ 事切れてしまった。 主のお京の死を知るや女達も四方八方に逃げ隠れしてしまった。清正の兵は 覚兵衛を先頭に本戸城へと突き進んで行った。 浜に出てみると沖合には小西の軍船が幾艘も見えたが、行長の指示が 無いのか小舟が数隻居たものの物見や、連絡の小舟と見てとった。 五郎は素早く浜の片隅に置いてあった小舟に二人を案内し船影に座らせた。 周りを見回し近くの番屋に入り、中から小さな風呂敷の包と共に薦と水甕を 取り出して来た。辺りは秋の日が西の空に傾き、夏とは違った肌寒さを 感じる風が漂っていた。 五郎は持ってきた物を小舟に積むや小舟の中央に二人を乗せて薦で覆った。 「しばらく辛抱して下さい」 五郎は艫の方から小舟を海に押し出し竿で岸から離しながら舳先を海に向け、 櫓を取った。櫓臍に乗せた櫓は左右に水を切り前へと進んだ。巧みに櫓を 操りながら行き先を考えた。昼間の海上は敵の軍船があちこちにいて 咎められるかも知れない。そう考えると夕闇に紛れて走るしか無いと 五郎は思った。 幸いにも夕闇が周りを次第に暗くしてくれた。 瀬戸の渡しを難なく抜けると小舟は早崎の瀬戸から流れ込む満ち潮に乗った。 海の上は夕凪の少し肌寒い風が漂っていたが、櫓を操る五郎には心地よい 風であった。岸から離れて小舟は帆を揚げ風を孕ませた。 3人の乗った小舟は夕闇の迫る中を東へと滑るように進んだ。 五郎は舟の後方(艫)に櫓を置き、船べりを軽くトントンと叩いていた。 それは何かの連絡なのか一定のリズムを持った叩きであった。程なくして 小舟の舳先に白い波が立ったかと思うと海の中から一間ほどもある 大きなフカが波間に跳ねた。 「おう居たか、まだら狼」 そう言いながら船べりを又もや軽く叩いた。まだら狼は小舟から付かず離れず しながら東へと進んだ。 どこへ行くのか小船の中の忍と天寿丸には見当もつかなかった。 (第3部終)