新・積み残しの記 11 わが庭の夏 赤坂 武雄 お盆が過ぎてもきびしい残暑が続いている。オリンピックはずいぶんと楽しませてもらった。 第一、テロ事件が起きなくてよかった。日本人がメダルを取ればそれはそれでうれしかったが、 国籍や人種に関係なくベストを目指すその姿がすばらしいと思った。 ひるがえって国政と称する茶番劇には呆れた。ギリシヤのような財政破綻を避けるためという 大儀に始まった増税に、いつの間にか「社会保障と税の一体改革」という美名が被せられた。 国民福祉と社会保障は国家の最終目標だろう。国家財政が破綻せずに福祉国家が持続するなら 増税もやむを得ないか、と無理に納得しかかっていると、裏の離れからとんでもない裏話しが 聞こえてきた。増税分の大半はこれまで社会保障システムの現状維持に充て、その「余った」分は、 おなじみの、公共事業に使おうという談合が進んでいるというのだ。考えてみると、民主党が マニフェストになかった増税に踏み切り、一枚看板の「脱コンクリート」を消し、「借金は借り増しへ」 「増税で浮かせた分は景気回復のためにコンクリートへ」と、書き換えたこの時点で、 民主党と自民党の境界は消え、民主党も金持ちの党になった。国民生活を質入れし、 解散総選挙を切り札に自分たちの椅子取りゲームに余念がない。…などと、要らざる「おだ」を 上げて、内なる熱中症にかかってもしょうがない。 わが家の、真夏の庭観察日記を見ていただこう。 # わたしは去る3月9日に、緊急入院していた病院を51日ぶりに退院し、わが家にもどった。 入院中、老妻ががんばってくれたのだろう。家のなかも庭も変わったところはない。実のところ、 この庭は猫の額ほどの広さしかないし、人様に見てもらえる代物ではない。家を新築した時、 全体のレイアウトを始め植木の樹種、本数など一切合財、藤沢の植木屋さんにおまかせでつくってもらった。 ただ、狭いながらも四季それぞれの、時の移ろいを映す手鏡ぐらいほどの広さはある。門扉から 玄関のアプローチにレンガを敷き詰め、その両側にサツキの植え込みを設え、それを 覆うようにて背丈の高い3本立ちのヒメシャラを左右に1株ずつ植えてもらった。それから24年、 サツキとヒメシャラの、高低2種の植生が、アプローチに高さと奥行きを演出してくれている。 ツツジもサツキも同じような花を咲かせる。サツキの花のほうが少し小さい。花期もツツジより少し晩い。 わが家のサツキは例年、5月の終わりから6月の初めにかけて、ポツン、ポツンと紅色の花を開き始める。 今は屋根まで伸びたヒメシャラが、白色のサツキよりもっと小さい花を、そのツツジの緑の葉の上や 赤いレンガの上に落す。この二つの、紅白の落花二重奏こそ、わが家に初夏の到来を告げる 無言の風物詩である。 # 今年は、地上のサツキが咲かないうちに、喬木のヒメシャラが散り始めてしまい、これまで毎夏 繰り返されてきた紅白の落花二重奏は残念ながら演出されなかった。 サツキの開花が後れた原因は、老妻が昨年の秋、サツキをあまりにも深く剪定してしまったことにあるようだ。 そのサツキが春の終わり近くになってようやく葉を茂らせ、蕾をつける準備を整えたころは、サツキの花の 咲く時期が過ぎ、ヒメシャラが散り始めたというわけだ。でも何とか皆さんに見て欲しくて、去年の 6月上旬に撮ったスナップを載せてみたが、モノクロ写真では紅白がはっきりしない。作品集には 花の紅白とレンガの赤色がわかるように、カラー写真を載せていただこう。 いつもなら白いヒメシャラに合わせ咲く サツキは咲かず梅雨入りとなる# ―というわけでこの夏は、サツキとヒメシャラの、紅白の落花二重奏は見ることができなかったが、いいこともあった。 斜め後ろのお宅の藪に棲みついていた鶯が、「ホーホケキョ、退院おめでとう」と鳴いて、退院を歓迎してくれた。 その後、「今朝も鶯が鳴いているね」と、鶯の健在を確かめ合うのが、わが家の、朝のあいさつになった。 好事魔多し、5月の連休前から裏のお宅の解体、新築工事が始まった。いくらなんでも鶯は工事の騒音には堪えられず、 早晩逃げ出すだろうと、われわれは半ば諦めていた。ところが事実はさにあらず、鶯は聞こえる音域が違うのか、 その騒音を気にするふうもなく、コンクリートミキサー車がまわる騒音やハンマーの音が響く合間も美しい声で鳴いたり、 囀ったりしていた。夏の朝早くトイレに立つた時、すでに鶯が目覚めて鳴き始めていたこともあった。 夏眠?暁を覚えず処々啼鳥を聞くことができた。 鶯のさえずり聞こゆ窓開けて 寝床に戻り耳を澄ましぬ # いつかも朝早く、老妻が鶯に「お早う」と声をかけ、下手な口笛で鳴き声をまねた。一呼吸おいて、鶯が「ホーホケキョ」 と返事をした。いや鶯が返事をしたのではなくて、一定の間隔をおいて自動的に鳴いているだけなのだろう。 でも返事をしてくれたと解釈するほうが楽しい。鶯は7月のなかごろまで鳴いてくれたが、わが人生でこれほど近く、 これほど長く、鶯の鳴き声を楽しんだことはない。 昨夜は、オリンピック観戦を早めに切り上げて、珍しく午後の10時に寝たおかげで今朝は6時前に目が覚めてしまった。 いつもと勝手がちがうな。日課の8時15分の中国語のラジオ講座には間があるし、さて何をしたものか。…とそのまま ベッドに横になっていると、外で突然、セミが鳴き出した。このところ暑い夜が続いているので、雨戸もガラス戸も 半開きにして網戸だけにしている。セミの鳴き声がそこから入って来るので、まるで耳元で鳴いてように聞こえる。 庭のヒメシャラに止まっているのだろう。 鶯の鳴き音入り込みし朝の窓 行く夏惜しみセミが鳴くなり # このヒメシャラに他の客もやってくる。 去年の5月19日、まだ花が咲いていないヒメシャラに珍客がやってきた。シジュウカラの親子である。その日、 それまでに聞いたこともない「チチチ」という鳴き声を聞いた。ひな鳥が親鳥を呼んでいるらしい。ひな鳥はしきりに 餌をねだるが、すぐ近くの枝に止まっている親鳥はなかなか餌を与えようとはしない。餌をくわえているので鳴くことも できない。黙ってひな鳥に巣立ちを促しているだけだ。わたしもまた、その、おそらく最後になるとおもわれる、 餌を口移しで与える瞬間をデジカメに撮ろうと、ピントを合わせて辛抱強く待機した。 このときの連続写真は掲示板に投稿したが、ここではそのうちの1枚、ひな鳥を写したものを載せることにしよう。 わが家のヒメシャラを舞台に、巣立ちしたあとの餌の摂り方を教えた、この親鳥は間もなくひな鳥を連れてどこかに消えた。 ことしはシュジュウカラの子育て劇は見られなかった。来年に期待しよう。
# デデッポッポー、デデッポッポー。先日の早朝、寝床のなかでめずらしい小鳥の鳴き声を聞いた。この悲しげな鳴き声の 持ち主は山鳩である。こどものころ能登で、野良仕事の手伝いをして帰ろうとしていうと、雨が降り出し、近くの里山で 山鳩が悲しげな声を出して鳴き始めた。家路を急ぎながらお袋さんがこんな話をしてくれた。能登弁で紹介しよう。 武雄、なんで雨が降ると、鳩が悲しそうに鳴くか知っとるきゃ。知らんが? それはね、あるところに親の言うことの 反対のことばっかりする鳩のこどもがおったがやと。その鳩の子は、親が川へ行こうと言うと山へ行くし、山へ行こうと 言うと川へ行きたいと言う。とにかく反対のことばっかりするこどもやったげと。そこで親鳥は自分たちが死んだあとの ことを心配して、「わたし達が死んだら、墓を川べりに作ってね、頼むちゃ」と、言残して死んだがやと。 親に死なれて初めて、鳩の子はこれまで親の言うことに反対のことばっかりして来たことに気がついたがやと。 「せめて親の最後の願いだけは反対しないで、言いつけを守ろう」と、決心して川べりに墓を作ったがやと。ほやさかい、 梅雨に入って雨が降り始めると、鳩の子は川の増水で大事な親の墓が流されないかと、心配で心配で、あんなに悲しそうに 鳴くがやと。あんたも親の言うこと聞かんと、ダチャカン(埒が明かず、ダメ)がやぞ。 亡き親を偲びて鳴きてふ「デデッポッポー」 能登の山鳩少年の日々 # 去年の秋号に、わが庭に住んでいるカマキリやバッターの写真を載せたが、この他に、昆虫だけではなく、小型ながら りっぱな爬虫類の、トカゲも住んでいる。数年前から春先になうとどこからともなく現れ、サツキの根っこや草むらを 棲みかにしている。今年も一度見かけたが、このところこの暑さでどこかに潜んでいるのか、他所の庭に出かけたか、 見かけない。 美声で鳴く鶯が大好きなわが老妻はヘビ、トカゲなどの「長い」生き物はきらいである。人も動物も見た目、なのだろう。 かくいうわたしも、こどものころ能登の、わが家の近くのため池で見たイモリは背中が黒く腹は赤かった。何の悪さを するわけではなかったが、触るのは気持ちが悪かった。イモリは井守から名づけられたのだろう。 同じ姿かっこうをしているヤモリも、そのころ納屋で見かけことがある。そんな時も追っかけたり、棒で叩いたり しなかった。虫を捕るから殺してはならないと、父親に注意されていたのだ。そう言えば昔、シンガポールの駐在員宅で 夕食をご馳走になっときのこと、何匹かヤモリが食堂の壁にへばりついていた。その友人の説明では、シンガポール人は 家のなかに入ってきたヤモリは虫を捕ってくれるので、外に追い出すようなことはしない、それどころか歓迎していると 話してくれた。ヤモリは、その虫捕りの功績により「家守り」から名づけられたのだろうと、勝手に解釈をしていたが、 家守りは人間をさし、イモリは漢字では守宮と書く。こっちのほうが家守よりエラそうだ。 # 去年の夏、トカゲの大乱闘を観戦した。デジカメのデーターでは6月13日となっている。その日の昼下がり、外出先から 帰宅して門扉を開けてアプローチを歩いていると突然、足元のサツキの茂みから格闘中のトカゲが2匹、レンガの上に 落ちてきた。のどを噛んでいるトカゲはその身長を越すコンクリートの壁から落ちても、離すことはなかった。腹を 見せているほうは、レスリングで言えば完全にフォールされていると思うが、このマッチにはレフリーがいない。 勝者は噛み付いたまま、放すことはなかった。 争いの元は領土争いだろう。狭い庭だが2匹のトカゲが虫を捕って暮らすにはじゅうぶんな広さがあるではないか。 面子の問題ならばややこしい。 ここでも人間はエラそうなことは言えない。先日ロシヤのメドベェージェフ首相が北方領土を訪問し、数日前は韓国の 李明博大統領が竹島に上陸した。どこの国でも何時の時代でも、エライひとは何かあると、単に自分の威信を示すため、 国民の目を外に向けさせるため、他民族の非を唱えて示威行動を起し、国威発揚と称する。ヒットラーを選挙で選んだのも 国民だった。 わが庭のいとしのトカゲたちはくんず解れつしながら、門扉の下から道路の縁石に落ち、コンクリート道路を追いつ 追われつしながら公園のほうへ下っていった。自動車に轢かれていなければいいのだが…。
# 人間は、これまで自分勝手な都合でいろいろな動植物を根絶やしにしてきた。朱鷺もそのひとつだ。この先自然界で舞う 朱鷺を観たければ、農薬の撒布を止め、田んぼや小川に朱鷺の餌になるドジョウやカエル、タニシ(こどものころ、 どこの小川にもゴロゴロといた)を呼び戻さなければならない。ドジョウが育ちそれを食べて朱鷺が生きて行ける環境は、 人間にもいい環境だ。 いまも1日100種の動植物の種が地球上から消えているという。わが庭に雑草が生え茂り、昆虫や小鳥、爬虫類がともに 棲んでくれているうちは、わたしたちもここに生きていけるということだろう。 朱き羽拡げて朱鷺は佐渡に舞ふ 人間の非を唱へずに舞ふ 2012年8月17日完。