日本列島徒歩縦断・旅日記「東・太平洋側コース編」最終回 武藤 泰文 日程 月 日 出 発 到 着 距離 累計距離 1. 4月18日 14:30 佐多岬 16:30 大泊 8 8 2. 19日 8:20 大泊 17:00 根占 31 39 3・ 20日 7:30 根占 15:00 鹿屋 16 55 4. 21日 6:40 鹿屋 15:00 志布志 34 89 5. 22日 7:40 志布志 18:50 南郷 38 127 6. 23日 7:30 南郷 18:00 宮崎青島 35 162 7. 24日 6:00 宮崎青島 15:10 宮崎市街 32 194 8. 25日 7:00 宮崎市街 17:20 高鍋市街 25 219 9. 26日 5:50 高鍋市街 14:20 美々津 31 250 10. 27日 8:10 美々津 17:00 南延岡 29 279 11. 28日 7:00 南延岡 17:40 宇目 35 314 12. 29日 5:40 宇目 14:10 豊後大野 24 338 13. 30日 7:50 豊後大野 17:20 大分敷戸 31 369 14. 5月 1日 6:30 大分敷戸 15:20 日比賜谷 39 408 15. 2日 9:10 日比賜谷 19:40 宇佐辛島 41 449 16. 3日 7:40 宇佐辛島 16:50 豊前八屋 36 485 17. 4日 7:40 豊前八屋 16:00 苅田 25 510 18. 5日 7:40 苅田 17:00 下関 28 538 19. 6日 8:20 下関 18:30 小野田 27 565 20. 7日 7:00 小野田 18:10 新山口 25 590 21. 8日 7:20 新山口 16:10 防府富海 25 615 22. 9日 7:40 防府富海 19:20 下松高水 36 651 23. 10日 8:30 下松高水 16:40 岩国錦橋 26 677 24. 11日 7:40 岩国錦橋 20:00 広島市街 49 726 25. 12日 7:40 広島市街 18:40 東広島 35 761 26. 13日 7:30 東広島 18:40 三原 36 797 27. 14日 7:30 三原 18:00 福山 35 832 28. 15日 5:00 福山 18:00 倉敷 41 873 29. 16日 8:20 倉敷 17:20 西大寺 26 899 30. 17日 6:50 西大寺 19:00 有年 40 939 31. 18日 7:30 有年 17:30 姫路 31 970 32. 19日 7:00 姫路 19:10 垂水 37 1007 33. 20日 7:20 垂水 16:30 西宮 28 1035 34. 21日 8:20 西宮 17:10 豊中緑地 31 1066 35. 22日 8:10 豊中緑地 17:30 長岡京 18 1084 36. 23日 8:00 長岡京 16:40 大津 11 1095 37. 24日 7:30 大津 17:20 近江八幡 30 1125 38. 25日 8:50 近江八幡 17:50 米原 28 1149 39. 26日 7:00 米原 18:20 岐阜羽島 42 1199 40. 27日 7:10 岐阜羽島 17:20 名古屋 31 1226 41. 28日 7:50 名古屋 16:50 安城 21 1247 42. 29日 4:20 安城 16:00 豊橋 40 1287 43. 30日 7:00 豊橋 17:50 浜松 45 1332 44. 31日 7:20 浜松 16:50 掛川 31 1363 45. 6月 1日 6:50 掛川 14:00 島田六合 20 1383 46. 2日 (島田六合・・・休養日) - 1383 47. 3日 4:30 島田六合 15:30 清水 35 1418 48. 4日 6:40 清水 19:40 沼津 33 1451 49. 5日 6:30 沼津 19:30 箱根湯本 29 1480 50. 6日 5:10 箱根湯本 20:00 戸塚 40 1520 51. 7日 7:20 戸塚 17:50 品川 33 1553 52. 8日 7:20 品川 18:30 柏 32 1585 53. 9日 8:10 柏 17:30 常陸牛久 34 1619 54. 10日 7:50 常陸牛久 16:00 石岡 20 1639 55. 11日 7:30 石岡 16:30 水戸 28 1667 56. 12日 7:20 水戸 16:50 日立 29 1696 57. 13日 7:10 日立 17:00 勿来 35 1731 58. 14日 7:50 勿来 18:30 四ツ倉 36 1767 59. 15日 7:40 四ツ倉 19:10 双葉 40 1807 60. 16日 7:20 双葉 18:20 そうま 38 1845 61. 17日 2:00 そうま 15:00 R4R6 42 1887 62. 18日 8:00 R4R6 16:00 仙台 20 1907 63. 19日 7:50 仙台 18:40 三本木 29 1936 64. 20日 7:10 三本木 16:00 築館 30 1966 65. 21日 7:40 築館 16:00 一ノ関 27 1993 66. 22日 7:40 一ノ関 17:30 水沢 30 2023 67. 23日 7:40 水沢 15:50 花巻 32 2055 68. 24日 9:30 花巻 18:40 岩手飯岡 30 2085 69. 25日 7:40 岩手飯岡 16:30 渋民 32 2117 70. 26日 7:40 渋民 16:40 奥中山 28 2145 71. 27日 8:20 奥中山 16:20 二戸 32 2177 72. 28日 7:00 二戸 17:40 苫米地 36 2213 73. 29日 8:10 苫米地 18:40 向山 31 2244 74. 30日 8:00 向山 17:50 千曳 31 2275 75. 7月 1日 8:00 千曳 18:40 よこはま 36 2311 76. 2日 4:00 よこはま 18:40 下風呂 55 2366 77. 3日 8:00 下風呂 13:30 大間港 19 2385 (14:20 大間港 16:00 函館港) 16:20 函館港 17:30 函館市街 4 2389 78. 4日 7:40 函館市街 19:40 ゆうゆう 37 2426 79. 5日 4:00 ゆうゆう 14:10 八雲 33 2459 80. 6日 7:40 八雲 17:30 長万部 30 2489 81. 7日 4:30 長万部 21:10 だて 58 2547 82. 8日 6:20 だて 15:10 東室蘭 30 2577 83. 9日 7:20 東室蘭 15:40 虎杖浜 25 2602 84. 10日 7:50 虎杖浜 16:50 西苫小牧 36 2638 85. 11日 7:40 西苫小牧 20:20 むかわ 40 2678 86. 12日 5:10 むかわ 11:30 豊郷 24 2702 87. 13日 7:00 豊郷 15:40 静内 29 2731 88. 14日 7:40 静内 17:00 浦河荻伏 35 2766 89. 15日 7:30 浦河荻伏 17:00 様似 28 2794 90. 16日 7:30 様似 17:10 えりも岬 38 2832 91. 17日 7:50 えりも岬 20:00 広尾 45 2877 92. 18日 8:10 広尾 18:30 晩成 35 2912 93. 19日 3:50 晩成 16:40 浦幌 42 2954 94. 20日 7:50 浦幌 17:40 音別 30 2984 95. 21日 7:50 音別 20:20 釧路 44 3028 96. 22日 7:40 釧路 17:50 厚岸尾幌 35 3063 97. 23日 6:10 厚岸尾幌 17:30 浜中茶内 36 3099 98. 24日 8:00 浜中茶内 15:40 厚床 24 3123 99. 25日 5:20 厚床 16:30 根室 32 3155 100. 26日 6:20 根室 17:00 根室 46 3201 (根室半島・納沙布岬を周回・往復) 101. 27日 7:50 根室 16:50 厚床 32 3233 102. 28日 7:00 厚床 14:00 別海 23 3256 103. 29日 7:30 別海 15:30 尾岱沼 34 3290 104. 30日 6:30 尾岱沼 16:30 崎無異 39 3329 105. 31日 7:40 崎無異 15:40 羅臼温泉 28 3357 106. 8月 1日 7:50 羅臼温泉 16:50 ウトロ 32 3389 107. 2日 8:10 ウトロ 18:40 知床斜里 38 3427 108. 3日 7:30 知床斜里 16:30 網走北浜 27 3454 109. 4日 8:10 網走北浜 16:10 西網走 31 3485 110. 5日 7:30 西網走 17:20 本佐呂間 36 3521 111. 6日 7:40 本佐呂間 18:50 中湧別 36 3557 112. 7日 8:00 中湧別 17:20 紋別潮見 31 3588 113. 8日 8:10 紋別潮見 19:20 日ノ出岬 39 3627 114. 9日 2:00 日ノ出岬 19:20 枝倖 69 3696 115. 10日 7:00 枝倖 16:40 浜頓別 30 3726 116. 11日 8:30 浜頓別 18:00 浜鬼志別 33 3759 117. 12日 7:30 浜鬼志別 15:30 宗谷岬 29 3788 ・第98日目. 7月24日(土) 根室市の入口、厚床・あっとこ、まで進みました。今日の歩行距離は24kmで、まだ余力はありましたが、この先は 根室市街地まで宿が無いということなので、今日はここまでで終了することにしました。 羅臼方面へは、ここ厚床から北に向かいますが、一旦、東に進み、根室~納沙布(のさっぷ)岬へ、4日間・100kmの 寄り道です。納沙布岬は日本本土・最東端の地で、晴れていれば、国後(くなしり)島が見えるはずですが、 天気次第というところです。 ・第99日目. 7月25日(日) 根室駅まで進みました。明日は、23km・・・ユックリ、納沙布岬へ・・・と思っていたら、納沙布岬の民宿が閉鎖した ということです。ということは、根室を出発して、半島を一周して、46km・根室に戻ってこなければいけません。 止むを得ませんが、こんなことばかりです。 (「花咲蟹」のこと・・・) 根室半島・・・根室市の南・花咲港で水揚げされるということで、『花咲蟹・カニ』と呼ばれている、カニは見事です。 水揚げ時には、他のカニと同じような「土色」ですが、茹であがると、『真っ赤』になるというものです。バラ色・・・と 言っても、最近はいろいろな色のバラがありますが、キラキラするような『紅』で、根室の民宿の夕食のテーブルにのりました。 『ヘラクレス』(会ったことはありませんが)のようです。カニ解体用のハサミとヤリを武器にして、格闘すること・30分。 跡形も分からなくなるように片付けました。 シコシコ・・・カニの肉にこんな表現が当てはまるかどうかは疑問ですが、シコシコした感じで、肉も厚く、美味でした。 ・第100日目. 7月26日(月) 日本本土最東端の地・納沙布岬に到着。佐多岬を出発して、丁度、100日目になります。薄い霧が走っていて、視界はあまりよくありませんでした。国後島が見れる と思っていたのですが、残念! 納沙布岬にあった民宿が閉鎖してしまったため、根室まで帰らなければいけません。長居は出 来ませんでした。 サンクトペテルブルグ(レニングラード)に首都があった、ヨーロッパの国・ロシアが、ここ根室半島から目と鼻の先の 国後島で幅をきかせていると思うと、大変、不愉快ですね。 ファンの方には申し訳ありませんが、「坂の上の雲」の結末なのか。諸般の事情を考えると難しいことではありますが、 返還して欲しいものですね。根室では、『北方領土返還』の看板や幟りがそこかしこに見られます。 (イタズラ・カラス?) カラスはあちらこちらで、よく見かけます。電線で様子を見ていて、5~6mほどに近づくと、ス・・・ッ、と頭を かすめるようにして飛んでまた近くの電線に止まって、カア・・・、カア・・・。食べ物でも催促しているような感じです。 納沙布岬に近づいたところでのことです。10mほど先の電線に止まっていたカラスが、ス・・・ッ、と舞い降りてきました。 「またか・・・」と思っていたら、5~6mほど前の草むらで黄色ッポイ塊りを、コツンッ! 一瞬のことでしたので、 何が起きたのだろう、と思いました。何ンと、キタキツネをコツン! と突付いたのです。キタキツネ君が草むらで頭から 血でも流していないかと、ソ・・・ッと近づいてみましたが、影も形もありませんでした。 カラスのイタズラは全国共通(?)なのでしょうか。意外な出来事でしたので、唖然としてしまい・・・そして、思わず、 クスクス・・・でした。 ・第101日目. 7月27日(火) 4日間で納沙布岬を回ってくるつもりでしたが、宿の関係で、3日でここ厚床に戻ってきました。ここ2~3日、 15~17度の霧や薄曇りの中を歩いたので、今日の気温、21~22度が暑く感じます。相変わらずのテレビの猛暑の ニュースが、ウソのようです。 明日からは、ここ厚床から羅臼の方に向かって北上します。地図を見て、宿と距離を考えて、また、『尺取虫』になります。 厚床の宿は、「素泊りのみ」でした。5年ほど前に脳梗塞で倒れ回復はしたが、食事の支度や字を書いたりすることまでは 出来ず、何もしないでいるよりも健康のために良いだろうということで続けている、という老婦人の話でした。 昔は宿も数件あり、宿泊客も大勢だったそうですが、今は寂れてここ1軒だけということです。辺鄙なところで、 他に宿もないので、助かります。 ・第102日目. 7月28日(水) どこからどこまでを、○○原野というのか。十勝平野に入ってから、ずっと原野の中を歩き続けている感じです。今日は、 厚床から別海というところまで、23kmです。この先は、中標津(なかしべつ)というところまで宿がありませんので、 別海でストップ・・・というよりも、急に暑くなったようで、バテました。こんな時は、「ああ、早く終わりに したいなあ・・・」とチョッと弱音です。 ・第103日目. 7月29日(木) 別海の民宿のご主人が、羅臼に向かうのだったら、中標津を回るより、尾岱沼・おたいとうに出る方が良い、ということで、 近道も教えてくれました。尾岱沼は海岸線のコースになります。 2~3日前の北海道新聞の一面に、今年はヒグマを見かけたという情報が例年の3倍であるという記事を見かけました。 冬が長かったため、冬眠からの目覚めが遅かったこと、エサの成長が遅かったことが原因らしいというものです。 今日、内陸部の別海から海岸線の尾岱沼へ向かっていた時、監視員の人から、今朝、尾岱沼の海岸近くでヒグマを2頭 見かけたという情報があったので気をつけるように、という注意がありました。歓迎したくない出会いサイトですね。 (ジャンボ・フキ) 今日のコースに限らず、大きなフキを見かけます。知る人ぞ知る・・・14組・熊井氏自慢のカウ・ボーイ・ハットより、 2周りほど大きなフキの葉っぱが一面です。 ・第104日目. 7月30日(金) 尾岱沼の民宿で気遣ってくれて、早目に朝食を用意してくれました。今日の行程が長いという配慮からです。6:30、出発。 まず最初に野付崎への道を右手に分けています。歩くと、往復・1日半潰れてしまう距離なので敬遠。勿論、宿の心配も しなければいけません。しばらく進むと左手・中標津からの道を交えた、標津の市街地になりました。次の伊茶仁という ところでは、左手に斜里への山間越えの道があります。 忠類~古多糠~薫別・・・ポツン、ポツンと小さな半集落のような塊があります。右手に見えるはずの国後島の島影を 期待しましたが、終日、薄い雲で遮られました。 16:30、尾岱沼の民宿で教えてもらった、崎無異(さきむい)というところにある、ペンション風の民宿・『モシリパ』に 到着。ここまで来れば、明日、羅臼には余裕をもって入れるところです。更に、羅臼温泉まで行けば、次の日の知床峠越えが 楽になるはずです。 宿の主人が他の客に、「『モシリパ』というのは、アイヌ語で、『東の方』とかいう意味の言葉ですよ・・・」、 そんな話をしているのが聞こえました。 ・第105日目. 7月31日(土) 羅臼の海岸市街地から、3kmほど山道に入ったところの、羅臼温泉まで進みました。 ゴールまでは、残り・500km、17日間くらいでしょうか。明日は、標高・740mの知床峠を越えて、ウトロに下り、 その後はオホーツク沿岸に沿って歩くことになります。 知床~オホーツク・・・ヒグマを見かけたという情報がもっとも多いコースということで、カミさんに言われて、 『熊避け用・鈴』を買って、持ち歩くことにしました。 ・第106日目. 8月1日(日) 羅臼温泉を出発。正午に知床峠に到着しました。知床峠では、羅臼岳が真近かにドッシリと見えます。山頂の溶岩ドームの 迫り上がった様子まで、手に取るように見えます。 70台ほど置ける広さの駐車場がありますが、トイレがあるだけで、売店、レストラン、自動販売機もありません。 小雨が降り初めてきたこともあり、長居をすることもなく、ウトロに下りました。 ウトロに着く前にドシャ降りです。 ・第107日目. 8月2日(月) 知床斜里に近づくと、ビート畑が広がり、その後には畜舎がある。そしてさらにその後方に日本百名山・斜里岳が美しい。 ビートは秋に桜島大根のような根っこが出来、それを収穫してビート糖にするということです。ただ、収穫の時期が 近づくとヒグマが出没することがあるということです。 ・第108日目. 8月3日(火) 「小清水はなことりの宿」「網走原生花園」「網走流氷の丘」「サロマ湖畔」・・・網走周辺には、ユース・ホステルが いくつかあって、宿の心配はないところと言えそうです。 「はなことりの宿」に予約を入れたらO.K.ということでした。 道の駅・はなやか小清水でパンフレットを見て、ユースの位置を再確認。コースから30分ほど進んだところを左手に 折れて進めばよさそうであった。左手には濤沸湖と小清水地区の原野・お花畑・牧草地が広がっている。花の時期は 過ぎてしまっていて、ところどころにその名残りが見られるだけであった。 ・・・30分・・・少し長いなあ・・・そんな感じで歩いていたら、『原生花園・駅』まで来てしまった。かなり先まで 来てしまったようである。「はなことりYH」に電話をしたら、トンデモナイ先まで来てしまったようである。入口を 見落としたのか、「YH・マーク」の標識が立ててなかったのか・・・? 行過ぎた道を長時間戻るのは大きな抵抗を感じた。 平身低頭、予約の取り消しをさせて貰った。予約の取り消しは、特に、夕食の支度があったりすると大きな迷惑を かけることになります。タブーではあったが、まだ時間も早かったので許してもらうことにした。 改めて、次の北浜駅に近い、「網走原生花園YH」に予約をした。「夕食なし」だったので、OKだった。 ・第109日目. 8月4日(水) 北浜・網走原生花園ユース・ホステルを出発し、次の藻琴駅を過ぎる辺りから、道の両側に民家も増えはじめ、網走市街地が 近づいている感じがします。網走駅で『網走監獄』を模した、鉄格子と板で造った『監獄』の窓が置いてありました。 「監獄の中に入った気分の記念写真でもどうぞ・・・」という趣向のパロディです。その気になって、「出して呉れ・・・ッ!」、 とやってみました。網走通過記念です。 網走駅を過ぎると、JR路線は内陸部・上川へ向かって行きます。一方、宗谷岬への道は、網走湖、能取湖に沿って伸びていますが、 ここは道路と並行して、立派なサイクリング・ロードがありますが、『アブ』がまとわり付く道でした。 大きな能取湖岸に近い西網走の卯原内・二見ケ岡というところに宿がありました。翌日のサロマ湖畔の宿のことを考えると、 ここまで進んでおくのがベストという感じでした。 (蛇足) 猛暑のニュースでしたので、メールを使って「網走で静かで、涼しそうな『独り部屋』を予約しましょうか・・・?」と声を かけてみましたが希望該当者はいなかったようです。 ・第110日目. 8月5日(木) 今日初めて、稚内まで、○○○kmという道路標識を目にしました。ゴールの宗谷岬が近づいたということでしょうが、 実感は湧きません。地図を拡げてみると確かに宗谷岬が近くなったことが分かりますが、やはり実感とまでは行きません。 佐呂間町にある、佐呂間湖畔ユース・ホステルまで来ました。あと、8日の予定という計算にはなりますが・・・。 ・第111日目. 8月6日(金) サロマ湖畔ユース・ホステルのペアレントさんが、「今年は曇りの日が続いて、綺麗な朝日を、全然見せて貰えない・・・」と 嘆いていました。ところが、どういう訳か、確かにたなびくような雲がかかってはいたが、サロマ湖上に、美しい『ご来光』を 見せてくれました。だんだん明るくなり、今か、今かと待たされはしましたが、一陣の光が射してからは、グン・グン、 大きく輝き昇りました。 予想外のことでしたが、昇り始めてからは、アッという間でした。「時は、かくも早く動いているのか・・・!」、ということが 実感させられたような一瞬でした。ペアレントさんが自慢されるのが分かる、美しい光景でした。 サロマ湖は、サロマ湖畔・100kmマラソン大会で有名ですが、会場は大分コースから外れたところのようでした。 18:50、中湧別町の民宿で宿を取りました。思ったより、長い距離でした。 迎える側の宿としては、「当地の名産で最高の『オモテナシ』を・・・」、ということなのでしょう。夕食のテーブルには、 「コラショ」というほど、ご馳走が並びます。根室~羅臼~オホーツク沿岸の宿では、ジンギスカン (バーベキュー・スタイル肉料理)とホタテ貝がよく出されました。最高の『オモテナシ』ですので、無碍にしたりしては いけません。決して、連日食しているなどという様子を顔に出さず、さも珍しい料理を頂くようにして、ハシを伸ばします。 夜はご飯は一膳だけ。オカズは全て残さず頂きました。貧乏性ですね。朝は一日中歩くためのエネルギーが必要ですので、 「・・・三杯目も、堂々と・・・」という調子で満腹状態にしてスタートします。 不思議なことに、これだけいっぱい食べても、4ケ月で、3~4kg体重が減りました。 ダイエットに苦心されている方々に、『朗報!』「たくさん食べながら、4ケ月で、『無理なく』、ダイエットできる、 お勧めコース!」をキャッチ・フレーズにしてみましょうか。 (陰の声)「・・・『無理なく』という言葉は、抜いたほうがいいと思うがねえ・・・」 ・第112日目. 8月7日(土) 中湧別町を抜けると、また原野とも牧草地ともつかない道になります。コムケ国際キャンプ場入り口という標識が 目にとまりましたが、原野の遥か彼方にそれらしき建物のようなものが見えるだけでした。地図の上で、 オホーツク紋別空港とあるが、果たして、どこに利用者がいるのか、他人ごとながら、心配になります。 日中はパンとドリンクです。16:00、道の駅・オホーツク紋別、というところに到着。食堂は終了しています。 売店にお土産用と思われる、チーズ・カマボコがあったので、遅めの昼食(?)。宿泊など出来そうもない、 道の駅だったので、更に足を伸ばして、紋別・潮見というところまで進みました。かつて、漁業で栄えていたと 感じさせるような市街地でした。到着が遅かったので、夕食は外です。回転寿司屋を教えて貰いましたが、 大変美味で、食事をしているうちに、大勢並んで待つような盛況にビックリさせられました。 ・第113日目. 8月8日(日) かつては漁業で栄えたであろう面影が深い紋別・潮見を出発し、渚滑(なこつ)という地区を過ぎると、 右手に広々としたオホーツク海の海岸線に並行した、快適な直線道路が伸びていました。興部(おこっぺ)町・ 「はまなす街道」という標識板があります。 日曜日ということもあってか、サイクリングを楽しんでいる人たちをしばしば見かけた。 沙留(さる)岬というところを過ぎたら、また、原野・牧草地が広がり、興部の市街地には宿は無く、 19:20、結局、日ノ出岬のオホーツク温泉まで進みました。 ・第114日目. 8月9日(月) 昨日は、19:20、やっとの思いで、雄武町・日ノ出岬温泉のホテルに到着。ホテルのフロントで、 早速、次の行程と宿の様子を聞いた。 ・雄武町・日ノ出岬~道の駅・おうむ8km ・道の駅・おうむ~道の駅・マリーン・アイランド52km ・道の駅・マリーン・アイランド~枝倖・市街地9km ・枝倖・市街地~枝倖・ウェンナイ3km ・枝倖・ウェンナイ~浜頓別27km 親切に調べて教えてくれた。 「枝倖には、宿はたくさんあるが、それ以外のところには、『無い』」ということである。 枝倖までならば、69kmということである。 食事をして、風呂に入り、ベッドに横になったが、神経が高ぶっていたのだろうか、真夜中、 午前1時に目が覚めてしまいました。フロントで聞いた声が響いてくる。 「枝倖まで行けば、宿がある・・・」 疲れていたが、出発の支度をする。朝食の予約をしていたが、諦めて出発をした。枝倖まで、 69km、1時間・4kmのペースで歩けば・・・「69」を「4」で割って・・・朦朧とした 頭の中で、頼りない計算をする。 真夜中の出発。ヘッド・ランプを点ける。「カラン! カラン!」・・・熊除けの鈴が響きます。 前方に明るい緑色の目がキラキラと輝いて見えます。キタキツネです。10mほどに近づいた ところで逃げて行き、30mほどのところでまた、こちらを向いて様子を窺がっています。 20~30分ごとくらいでしょうか、思い出したように、側を車が走り抜けます。 こんな真夜中に歩行者に気がついたドライバーもビックリすることでしょう。 それでも、長い、待ち遠しい朝が来て、普段と変わらない状態になったが、陽が昇るに従って、 気だるさを感じるようになります。午前2時出発の『ツケ』ですね。 道の駅・おうむは、殆んど気がつかないうちに通り過ぎました。ホテル・マンの言葉どおり、 何もないところです。コースには、小さな家や小屋が、ポツン、ポツン・・・。 自動販売機があったりすると、持ち歩いていたパンとドリンクで小休止をしては、 またすぐ前を目指します。 日ノ出岬から60kmの、夕刻に到着した、道の駅・マリーン・アイランドは、海産物販売店と 自動販売機があるだけで、お店の方は、終了していました。食堂・コンビニ・宿無し・・・枝倖 まで進むしかありません。夜の帷がアッという間に迫ってきました。 19:20、枝倖に到着。スーパーに飛び込むと、市内の事情に詳しそうな店長タイプの方が 応答してくれました。「お盆の帰省者と観光客で、市内の宿は全て満室だそうだよ。テントと 寝袋があるのなら、近くに公園があるし、側にコンビニもあるから、そこで泊まればいいよ・・・」 と教えてくれました。 午前・2:00にスタートして、殆んど歩きづくめだったので疲労困憊・・・最後の力を振り絞って 教えて貰った公園に向かいました。午前・2:00から、午後・19:20まで、約17時間20分、 69kmほど歩いたことになります。 ・第115日目. 8月10日(火) 昨日の17時間20分・69kmの歩行の疲れと、待っていてくれるはずの温泉宿が満員のため、 テント泊になったショック! よく眠ったつもりでも、疲労感は否めません。あと3日です。 頑張るしかありません。 枝倖の漁港に並行した海岸沿いの道を進むと、ホタテ貝の工場があちらこちらにあります。 近所のパート・タイマーのご婦人方でしょうか、大きな扇風機がブン・ブン回っている作業場で ホタテ貝の殻から身を切り取る作業をしています。手作業です。 ウスタイペという岩礁の海岸を過ぎた辺りで後を振り返ると、ハワイのダイアモンド・ヘッドの 地形のような景色が美しく見えます。枝倖の市街地はそのダイヤモンド・ヘッドの下方になります。 ユッタリとした、アップ・ダウンがあったりする、のんびりとした道路が続いていて、時折、 オートバイ旅行者たちがグループになって走ったりしているのを見かけます。 16:40.浜頓別町・クッチャロ湖畔に近い宿に到着。もう急ぐ必要はありません。 ここにも、「熊出没注意」の標識がありました。 ・第116日目. 8月11日(水) 猿払(さるふつ)村の浜鬼志別というところまで来ました。来るべきところまで来た、という感じです。 宗谷岬までは、29km。明日の午後・3時にはゴールの予定です。 やっと、『日本列島縦断』が出来るという確信が持てるようになりました。 明日は、いよいよ最終ラウンドです。2年前にも同じ気持ちになったことがあります。 「・・・誰も『タオルを投げたりするんじゃないぜッ!』・・・そんなことをしたら、 ブッ殺してやるからなッ・・・!」 2年前と同様・・・気分は、『明日のジョー』です。 ・第117日目. 8月12日(木) 浜鬼志別を出発して、もうそろそろ宗谷岬と思われるところが見えてきてもいいのではないか、と思って 歩いていた時、すれ違ったオートバイが折り返してきました。 「コンニチハ! ヤッパリ!」、というので見上げたら、下北半島の道の駅・よこはまで、隣にテントを 張っていた若者でした。何ということでしょう! この広い北海道ですれ違うとは! 話を聞くと、余市で 果物摘みのアルバイトをして、ガソリン代を稼いでいた、ということでした。イチゴやモモの収穫の仕事が あったと元気そうな顔をしていました。若さが羨ましいですね。それにしても、旅の最終日に会えるとは、 感無量でした。
昨日予想した時刻より、ホンの少し遅れましたが、無事、宗谷岬に到着しました。皆様からのエールに 後押しをして頂き、『日本列島・徒歩縦断旅』終了できました。 117日間、概算歩行距離・3788km、充分以上です。 ・エピローグ(1)8月13日(金) 東内氏~Oーchan 経由で教えて貰った、マイレージ・カード・シニア・割引空港券がゲット出来たので、 稚内発・12:05、羽田着・14:00の飛行機を利用して帰ることにしました。O-chan 宅で、 名古屋の桜井氏も一緒に慰労会・・・という口実で一杯やります、ということなので、皆さんと顔を 合わせることにしました。エールを頂き、力付けをして下さった方々です。 ・エピローグ(2)8月14日(土) 「斜光」編集委員会のメンバーの皆さんが、編集会議を開催されているということでしたので、昨日、 無事帰宅したことを報告しました。こちらのメンバーの皆様も、激励のエールを下さいました。こうして、 無事目標をクリア出来た喜びを報告できるのは、嬉しいものですね。 [おわりに・・・補足] (所感) 「何故山に登るのか・・・?」「そこに山があるからだ・・・」 もとより、今更、マロリーの言葉の真意について詮索をしたり、意見を交換してみたいなどという気持ちは 全くありません。 旅に出るとき、旅の途中で、あるいは帰ってきてから、よくこの「山があるからだ・・・」を思い浮かべます。 旅の目的や、出かける理由を考えたことはありません。勿論、計画や目標を立てて出発はします。そして、 結果的に満足感や達成感を得たりすることはありますが、それが目的、理由だったと言えるかどうかは疑問です。 今回の「日本列島徒歩縦断旅」もそうでした。目的とか理由などというのは明白ではありませんでしたが、 日本列島最南端・佐多岬から日本列島最北端・宗谷岬まで、歩けるところは歩いて行きたい、という目標だけは 持って進みました。 そんな漠然とした、目的もない気持ちでの旅でしたが、箱根峠で気持ちが変わりました。 宇宙飛行士・向井千秋さんのモニュメントに出会った時からです。 『夢に向かって もう一歩』 そうだ、自分では気が付かなかったが、『68歳の夢に向かって、歩いていたのだ』と思うようになりました。 長い間分からなかった、自分を発見したような気持ちになりました。 [旅のノウハウ・・・参考] (宿のこと) 今回の旅の期間中、手帳に旅の出納について走り書きメモをしていました。 宿に関するメモから・・・ 『宿泊費・0円』の日は、道の駅などでキャンプ(野宿)をした日や、オフ・シーズンのオート・キャンプ場に 無料で宿泊させて貰った日です。 『宿泊費・2000円以下』の日は、北海道のオートバイ旅行者たちが利用する、素泊りの『ライダー・ハウス』と 呼ばれているところや、共同温泉での、簡易休憩所で共同宿泊(ゴロ寝タイプ)をした日などです。 ホテル・旅館・民宿・ユース・ホステル・・・夕食・朝食二食付、朝食付き、素泊りタイプなど、多様です。 到着時刻によっては、夕食は外で、ということもしばしばです。 ユース・ホステルは安く泊まれますが、必ずしも行程コースの近くにあるとは限りませんでした。 宿があると分かっていても、1日の行程が、30~35kmという、『歩き』が前提なので、必ず到着出来る、 という確信が持てるまでは予約を入れることはしませんでした。お昼過ぎくらいに予約をすることが多かったですね。 適当な宿がなかったり、キャンプ場がないような時は、宿泊だけが目的で、JR等を利用して、移動し、翌朝 同じ場所に戻って、再スタートするという、『エスケープ策』をとったりしました。 よく覚えていない宿があるかと思えば、詳細についてまで覚えているところもあります。整理もまた、面白いものです。 (飲み物のこと・食事のこと) 基本的に、『生水』は飲まないように気を使いました。特に、北海道では、『エキノコックス(?)』という、 キタキツネの媒介菌による病気のことで、気を使いました。宿の方の話では、水道水は大丈夫ということです。 暑い日は、コンビニ及び自動販売機でのドリンク代が極端に増えます。宿を出る時に、ペット・ボトルを満杯にして 出発しますが、1日、4~5本購入して飲んでしまうこともありました。純水・茶類・果汁水・牛乳タイプ等々 いろいろ飲みます。 空腹では、動けなくなります。朝食付きの宿では、特に、シッカリ食べるように心がけました。朝食が付かない宿では、 コンビニのパック弁当になります。コンビニが無いところでは、非常食のつもりで買ったパン食になります。 お昼は、正午前後に通過するところで幸運にも、レストラン・食堂が見つかれば最高です。好みの問題は、二の次に なります。レストラン・食堂が見つからなければ、コンビニを探して、パック弁当、コンビニもなければ、 非常食用パンを食べることになります。 夕食は落ち着いて、宿で食べたいですが、必ずしも希望通りにはなりません。当然、、外食、コンビニということも 度々です。時によっては、朝・昼・夜・・・三食とも、コンビニ・パック弁当ということもあります。夜の到着が 遅くなって、カップ・ヌードル、パンの夕食ということもありましたが、今となっては、『良き思い出』の 笑い話(?)ですね。 北海道では、長い区間にわたって、コンビニ、お店もないところもあって、3日前に買ったパンを食したことも、 2~3度ありました。大丈夫(?)でした。 テレビで放映する、『旅番組』の世界とは、全く無縁ですね。 (後遺症・・・?) 2年前、西(日本海側)コースを歩いた後は、丁度、1ケ月掛かりました。昨年、四国八十八箇所遍路歩きをした後は、 3週間ほど要したと記憶しています。 『後遺症(?)』・・・足の裏のゴワゴワした感じのシビレが治まるのに必要な日数です。 今年は、回復に何日くらいかかるだろうか? 勿論、過去の経験もあるので、覚悟・承知のことではありますが、 気楽に回復を待つことにしましょう。 (『引退宣言』ではありませんが・・・) ひとつの目標をクリアできた後に、虚脱感が襲って来る。過去にも何回かあったことです。というよりも、 一つの目標をクリアした後、「・・・こんなことも、いつか終りが来る・・・」。 そんな影が段々大きく、色濃くなってくる気がします。『老い』なのでしょう。止むを得ないことです。 今回の旅の途中でも、佐賀高校1年生の時のクラス・メイト、碇氏から、体調不良の時をはじめ、「無理をせず、 無事に帰ること」を何度もアドバイス頂きました。 一方、リュックの中に、2年前に激励を込めて、2期後輩になる坂本洋子さんという方からプレゼントをして頂いた、 『日本列島・徒歩縦断』のタスキを持ち歩きました。挫折しそうになった時、「あと1日だけ・・・」そんな思いで 前に進んだ日が何日もありました。 中高年者の山での遭難事故、熱中症で倒れたりする事故、我が身に起こっても当たり前、紙一重です。 「引退宣言」でこそありませんが、自分が挑戦できる『内容・バーの高さ』『[継続]か「終了」かの判断』を 誤らないようにしたいものです。 改めて、皆々様から、アドバイス・激励を頂いたことに関して、お礼申し上げます。