キリマンジャロ山・登山の思い出 武藤 泰文 キリマンジャロ山への誘い すでに使いふるされたセンテンスになった・・・とも言えそうですが、 「・・・主人公の名前や小説の内容は知らなくても、あの美しい一節はそらんじている・・・という人は 大勢いるのではないか?」 文庫本で読んだヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』の巻頭文・・・ 「キリマンジャロは、高さ、19710フィート。雪に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。 その西の山頂は、マサイ語で『ヌガイエ・ヌガイ(神の家)』と呼ばれ、その近くには、干からびて 凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めてきたのか、 今まで誰も説明したものはない・・・」 アフリカ観光旅行の紹介パンフレット等で、サバンナの動物写真の上空、雲と見まごうような白い雪を 抱いた、たおやかな美しい山が目にとまった方もいらっしゃるのではないかと思います。あれが 「キリマンジャロ山(神の家)」です。 「ヘミングウェイの『あの豹』が、何故あんな高いところまで登っていったのか・・・?」 その謎を自分で確かめてみたくありませんか・・・?(マジで・・・?) 「マサイ族が『神の家』と呼んでいる」、その扉を叩いてみたくありませんか・・・? 「男のロマン」・・・理解して頂けますよね・・・? 行くなら「今」しかない! 「キリマンジャロ山登山情報」として、A社とD社の資料を参考にした。A社のツアーは、55万円、 「至れり、尽くせり・タイプ」、といっても、山頂まで「オンブ」をして行ってくれるわけではありません。 D社のツアーは、35万円、「個人登山、ナイロビから先は、行ってらっしゃい・タイプ」、ただし、 「注・キリマンジャロ登山中は、現地の専門ガイド、ポーターと同行しなければならない」という 規則があります。 建前は「山登りに、至れり、尽くせりは不要」、本音は「差額・20万円」、軍配は明らか、D社に決定。 ツアー催行人員・二人以上ということなので、いつでも大丈夫だろうと思っていたが、意外にも、 申し込んでから三週間ほど経ってから、やっとD社より「鹿児島から関西空港経由で個人で行かれる人が いるので、同行させて貰えるか頼んでみましょうか?」とのこと。直ちにお願いして、同行させて 貰うことにした。平成17年2月10日出発、11日間の日程である。 高山病、寒さ(氷点下10度〜15度)、スタミナ(六日間の連続行動)、食べつけない食事、 言葉の不安(スワヒリ語)・・・心配事を口に出し始めたらキリがありません。 「高山病」になるかどうかは体質的なもので、そうなった場合は「キッパリ途中で、諦めるんだ」と 割り切ったら、気持ちが楽になった。 ・「気力」・・・とかく「泣き」が多くなった気力。 ・「体力」・・・「ヒビ」が入り始めた体力。 ・「経済力」・・昨今、物議が醸し出されている「年金にオンブ」した経済力。 三拍子揃っているうちに・・・本当の理由は・・・これ以上、先延ばし出来ない年齢・・・ 「行くなら『今』しかない!」、のである。 キリマンジャロ山・登山行 関西空港〜ナイロビ(ケニア)〜ナマンガ(ケニア・タンザニア国境)〜マラング (タンザニア・登山基点)間の往復については、ところによっては、アフリカ特有の 「ポレ・ポーレ(時間にズボラ)」的なところはありましたが、順調でしたので省略させて頂く として、キリマンジャロ山登山中のことについて書いてみたいと思います。 一緒に「誌上・キリマンジャロ山・登山行」は如何ですか? ・2月13日(日)・・・第一日目 宿泊をしたマラング村から、登山口、マラング・ゲートまでは、車で十分ほど、ここで 入山手続きをします。ここでも、ポレ・ポーレ。日本人がコセコセしすぎているのかも知れません。 二時間ほど待った後、ポーターやランド・ローバーが上ってゆく道とは別に、登山者たちのために 整備されたトレッキング・コースがあって、そこを歩きます。 マラング・ゲート(標高・1550メートル)から、マンダラ・ハット(標高・2720メートル) までは、標高差・1170メートル、距離・12キロメートル、標準歩行タイム・5時間です。 10時20分、マラング・ゲートを出発、アカシア、ユーカリ等が混じった、日本のブナのような 喬木の中を歩きます。レイン・フォレストと言われるところです。木漏れ陽の中で、インパチェンス という花が単純な行程にアクセントをつけてくれました。長いレイン・フォレストが終ると、 サルオガセを垂らしたエリカの喬木の間を歩きます。残念ながら、花の時期ではありませんでした。 花が咲くと、淡いピンクのトンネルのようになるそうです。 ・・・14時50分、マンダラ・ハットに到着、近くのマウジ・クレーターへ散策に。 アフリカ大陸の大平原の展望とキリマンジャリカの花を堪能しました。 ・2月14日(月)・・・第二日目 マンダラ・ハット(標高・2720メートル)から、ホロンボ・ハット(標高・3658メートル) までは、標高差・938メートル、距離・15キロメートル、標準歩行タイム・5時間です。 マンダラ・ハットを8時10分に出発、終始、緩やかな上り勾配の道で、日本の高層湿原・・・ といっても乾季ですので枯れ草のような平原が延々と続いていて、ロベリア、セネシオ、 レッド・ホット・ポカー等々の草花をそこかしこで見ることが出来ました。 展望の良い岩のベンチに腰を掛けてランチ・ボックスを拡げていたら、雀ほどの小さなリスが、 こぼれたビスケットを拾いにきたりしました。ノンビリとしたプロムナード・コースです。 14時50分、ホロンボ・ハットに到着。 ・2月15日・・・第三日目 マラング・ルートを通ってキリマンジャロ山に登る場合、一気に5日で行く人と、ここ、 ホロンボ・ハットを一日、高度順応日とし、6日で登る人があります。鹿児島のK氏の スケジュールでは、ここで一日、高度順応日をとってありました。 ここで、高度順応日をとる場合は、4000メートル地点にある「白」と「黒」の縦縞模様のある 「ゼブラ・ロック」と、その上の展望所へ行って、キボ峰・マウエンジ峰を眺めて ノンビリするのが「お決まり」となっているようです。所要時間は、約3時間。 「ゼブラ・ロック」は、赤茶けた岩が多い中でここだけ「白と黒」の縞模様の岩がかたまっています。 周囲も含めてスケールが大きいので、近くまで行ってその大きさにビックリさせられます。 背丈の三倍くらいでしょうか・・・そして、ここは富士山よりも高い位置になります。ガイド氏が、 高山病を懸念してか、「頭痛はしないか?」「呼吸は苦しくないか?」、盛んに聞くようになりました。 ゼブラ・ロックの横を巻いて更に上に登ってゆくと、自然の展望所になっています。後にマウエンジ峰、 前にキボ峰が見えます。キボ峰とマウエンジ峰の間が、雲の通り道になっていて、山頂は姿を 見せませんでした。展望所からは、明日歩いて行く、キボ・ハットへの道が、緩やかな丘のような 稜線をいくつも越えて行くことを教えていました。 ・2月16日・・・第四日目 今日は、ホロンボ・ハット(標高・3658メートル)から、キボ・ハット(標高・4710メートル) まで、標高差・1052メートル、距離・15キロメートル、標準歩行タイム・5時間50分のコースです。 7時20分、ホロンボ・ハットを出発し、昨日のゼブラ・ロックからの帰路地点をアッサリ通過したあたりで、 右手にマウエンジ峰と、正面にキボ峰が初めて全貌を見せてくれました。 キボ峰の山容は木曾の「御嶽山」によく似ていますが、はるかに大きいです。何という風格だろうか・・・。 正面に延びた登山道を、7、8人・・・3、4人・・・5、6人・・・と、間隔をおいて歩いて行く登山者達の 姿が少しづつ小さくなって、蟻のように・・・道に吸い込まれて消えて行くように見えます。 ラスト・ウォーター・ポイントという地点を過ぎた辺りで、草木が一本もない「サドル」と呼ばれる地域に 入りますが、黙々と歩くだけです。 11時前後になって、チラホラと下山者とすれ違うようになりました。 「I made it !」(やったね!)、親指を立てて笑みを浮かべる人に、拍手を送りたいものです。 ・・・出来れば、明日は私も・・・そんな気持ちが湧いてきます。 くねくねとした、長い長いサドル地域からは、右後方にマウエンジ峰が、荒々しく、いかにももろそうな岩肌を 見せます。阿蘇の根子岳によく似ています。 一方、正面、左方正面、と登山道の曲がりくねりで方角をかえますが、キボ峰の堂々とした姿は全く変わりません。 今日のゴール、キボ・ハットは目に入ってからも、なかなか近づきませんでした。やはり、 スケールが大きいのでしょう。 12時50分、キボ・ハットに到着。とうとう、「来るところまで来た」という気持ちになりました。 キボ峰を見上げると、富士山の五合目にでもいるような錯覚になりました。 「これなら、明日は『楽勝』だな」・・・そんな気持ちでした。 ガイド氏より、16時30分に夕食、仮眠を取り、23時に起きて、零時に出発、という話がありました。 食欲がなく、夕食はスープと野菜のサラダを一口、すぐ横になります。 ロッジは、簡易二段ベッドが並んでいましたが、私たちはコンクリートの床にマットレスを敷いた上に寝袋を 拡げて眠りました。周囲のザワメキも何のその、あっさり眠ってしまいました。後で聞いた話ですが、 登山者が多くて小屋に入りきれず、外でテント泊の人たちもいたそうです。 ・2月17日(木)・・・第五日目 昨夜というべきか、今夜というべきか、23時にガイド氏が起こしにきてくれました。夕食の名残りがあって 食欲はなく、それでも、「何か口にしなくては」と、粉末スープをお湯に溶かし、ビスケットを一枚口に しました。用心のため、高山病予防薬を飲みます。 キボ・ハット(標高・4710メートル)から、ギルマンズ・ポイント(標高・5685メートル)までは、 標高差・975メートル、距離・4キロメートル、標準歩行タイム・5時間。 ウフル・ピーク(標高・5896メートル)までは、更に、標高差・211メートル、距離・2キロメートル、 標準歩行タイム・2時間です。 午前零時、出発。満天の星、無風・・・最高の条件でした。ヘッド・ランプの列を作って登山開始。 一番弱い小生が先頭、メイン・ガイド氏、K氏、サブ・ガイド氏の順で、小砂利を敷いたような坂道を、 ユックリ、ユックリ登ってゆきます・・・黙々と歩を進めるだけです。 1時30分、小休止。気のせいか、多少傾斜が増したような気がします。コースもジグザグとなりました。 ガイド氏が、時折声を掛けるようになりました。「体調はどうだ?」、「頭痛はしないか」、 「呼吸はどうだ?」。その度に、「グッド・コンディション!」「ノー・プロブレム!」と回答。 しかし、よくしたものです。3時になったところでガイド氏より、「ストップ」の声。K氏とサブ・ガイド氏に、 「先に行って、ギルマンズ・ポイントから、ウフル・ピークを目指すように」指示、二人のヘッド・ランプが、 「跳ぶように」「飛ぶように」、グングン登って行き、闇の中に消えてしまいました。 ガイド氏が、「これから先は、ストックを使うように」、「あなたの力量では、ウフル・ピークは無理だから、 とにかく、ギルマンズ・ポイントまで頑張ろう!」と言って、サブ・ザックを担いでくれました。 遠来の登山者に対して、出来るだけのことをしてやろう、という気持ちが伝わってきます。 体調は完全に見透かされていたようです。それから後は、「喘ぎ、喘ぎ」の「苦登」でした。更に傾斜を 増した九十九折れの小砂利の滑りやすい道は、確かにストック無しでは、逆戻りしそうな角度でした。 幸い風もありませんでしたが、立ち止まると冬山用の手袋をしていても手がしびれてくるように冷たく、 厚手のウールのストッキングを二枚重ねて履いていたにもかかわらず、靴の中で、 足の甲や指がジーンとしてきます。 いつしか、「八歩進んで、八拍の停止・呼吸・・・」が、リズムとなっていました。下を向いたまま、 歯を食いしばって・・・、「何故こんなところまでやってきたのか?」「もう二度と山登りなんか・・・」、 時折聞こえてくるのは、「・・・もう終わりにしたらどうだ・・・?」、あの、悪魔のような誘惑の声です。 足元のヘッド・ランプの灯が少しボヤけたかなと思ったころ、ガイド氏より、「後ろを見てみなさい」と 言われたので、振り返ると、マウエンジ峰の真うしろで「黄色、オレンジ、真紅のご来光」でした。 「ギルマンズ・ポイントはもうすぐだから・・・」と言うので、休憩をかねて、本当のアフリカの夜明けを ・・・「これを見たかったのだ」。 すぐ上のほうで人声がするので、見上げると、ギルマンズ・ポイントが目と鼻の先でした。6時40分、 やっとの思いで、ギルマンズ・ポイントに到着、ガイド氏に「サンキュー」、ガイド氏より 「コングラチュレイション」、感無量です。ガッチリと握手、ガイド氏の手は、温かく、柔らかく・・・ これが、「アフリカの大地」の温もり、愛おしさという感じでした。 ひと息ついて、ほんのちょっと余裕が出たところで、周囲をながめます。左方より、緩やかな火口淵の稜線が、 どこが本当のピークかわからないように延びています。そこにゴマ粒大の登山者たちが 止まっているように見えました。 「・・・行けそうだな・・・」・・・よく言うぜ! 誰だ、昨日、「楽勝」だと言っていた奴は! 標準歩行タイム・5時間のギルマンズ・ポイントまで、6時間40分かかったくせに・・・。 火口のクレーターと思われるところは、冬枯れのゴルフ・コースのようで、灰色のスロープが 広がっていました。 「あと、5分したら下山しましょう」、ガイド氏の声です。「ここも、『神の家』のうちですよ」、 「あちら(ウフル・ピーク)へ行くと、凍りついて干からびてしまいますよ」、と言っているようでした。 ヘミングウェイの「豹」は、ガイドの声に耳を貸さなかったのか?・・・「年老いた、丸々と太った、 雄の豹の干からびて凍りついた屍」なんて、「サマ」になりませんよね。 スケジュール通りに行けば、山頂は小生の「63歳の誕生日」になります。サブ・ザックの中に忍ばせ ておいたメッセージを取り出し、ガイド氏にカメラのシャッターを依頼。 メッセージは、「Happy Birthday!」、「誕生日おめでとう!」の二枚です。 ギルマンズ・ポイントのプレートの前で、「ハイ! チーズ!」、貴重な登頂記念です。 ガイド氏の指示通り、5分後に下山開始、暗い中を進んできたので分かりませんでしたが、 ギルマンズ・ポイント付近は、ガクガクの岩場でした。キボ・ハットの屋根とマウエンジ峰の方向に 向かっている帰路が遥か下に見えます。富士山の「砂走り」に似たところがあって、そこを、 「走って、走って、走って」下りましたが、キボ・ハットはなかなか近づきそうにありません。 それでも、時間が解決、9時40分にキボ・ハットに到着、ウフル・ピークまで行ったK氏と サブ・ガイド氏を待ちました。 軽い昼食が出てきましたが、相変わらず食欲はありませんでした・・・お寿司、オニギリ、 ミソ汁の類が目にうかびます。 11時、キボ・ハットを出て、ホロンボ・ハットに向かいました。時々、キボ峰を振り返って、 「あそこを登ったのか・・・」、とホンノリとした充実感を味わいました。 14時、ホロンボ・ハットに着いてからひと悶着。ホッとしたところで横になったら、 ものの3分もしないうちに胸やけがして、突き上げてくるような感じがしました。「嘔吐」です。 湯呑み茶碗半分にも満たない、ビスケットの名残りを思わせるような薄黄色の水が・・・ それだけで終わり、スッキリしました。 昨夕以来、口にしたものはスープとビスケット、あとは水だけだったことに気がつきました。 ロッジで同室の若い亭主がヒステリックになって大騒ぎ、「明日、上に向かうのに 、同室では眠れない」、「ストレッチャーを使って下に降りたらどうだ」、 「彼、(『彼』とは、どうやら私のことらしい)が死んだら・・・責任を取るか?」、とガイド氏を 脅したり、いやはや、結局は、同行のK氏が、2時間毎に小生の様子を見る、ということで 決着がついたようです(K氏には、大変申し訳ないことをしてしまいました)。 K氏が捜してきてくれた、日本のツアーの山岳ガイド氏より戴いた胃腸薬とゼリー状の栄養食で、 翌朝には全快しました。 ・2月18日(金)・・・第六日目 最終日、ホロンボ・ハットから、マンダラ・ハットを経由、マラング・ゲートまでは、 中間点のマンダラ・ハットを一時間ほど下ったところで、ランド・ローバーを呼んでくれ、 マラング・ゲートに下りました。ゲートで、「登頂証明書」を受領、ホテルへ・・・。 エピローグ 帰国して、カミさんと娘にこの話をしたら、二人で口を揃えて大笑い。「エ・・・ッ! お父さんが『食欲不振!』・・・信じランナイ!」でした。 キリマンジャロ山の最高地点、ウフル・ピークまでは行けず、今回も所期の希望通りには なりませんでしたが、火口淵のギルマンズ・ポイントに立つことが出来ました。 17歳の夏休みの「宿題」「忘れ物捜し」、またひとつ完了ということにしたいと思います。 歳を取ると、自分に対して『包容力』「(「甘さ」とも言うそうです)が増してくるものです。 (参考) 本文は、平成17年2月に、「キリマンジャロ山」に登頂した時の所感を綴ったものです。