『オーストラリア一周旅行・旅日記』(3)
                   
                           
                                 武藤 泰文



*平成15年3月3日・・・メルボルンにて・・・知人に宛てた手紙

「ベンディゴ、エチユーカ観光」

3月2日(日)は、ベンディゴ、エチユーカ、というところへ観光に・・・。
ベンディゴは、ゴールド・ラッシュで栄えた町。
当時の制服を着た運転手兼車掌が、レトロな路面電車で市内を案内しながら、
終点の「鉄道博物館」へ・・・というものです。
エチユーカは、メルボルンの北方、約 200km のところにある、
あまり耳にしない観光地です。
ここも、ご多聞に漏れず、オーストラリアの開拓記、ゴールド・ラッシュ期の、
旧き良き時代の宿場町の面影を残した、マレー川河畔の町です。
マレー川は、川幅 50メートル足らずの黄緑色をした、澱んだ流れの川で、
ユーカリの大樹が両岸の川面に被さるように・・・柳川の柳・・・のようです。
時折、白いオウムの群れが、紺碧の空を紙吹雪のように、ユーカリの樹間を
移動します。昼下がりのまどろみの中、1時間の「マレー川・パドル・
スティーマー(蒸気船)・クルーズ」で、150年前に、うたかたの
「タイム・スリップ」・・・。



*平成15年3月4日・・・メルボルンにて・・・知人に宛てた手紙

「ソブリン・ヒル観光」

3月4日(火)は、「バス・パス」が使える、「定期バスのコース」で、『バララット』
まで行き、そこから「路線バス」で、『ソブリン・ヒル』というところへ、
日帰り・ショート・トリップ・・・。
『ソブリン・ヒル』は、ゴールド・ラッシュ期の建物や施設を一箇所に集めた、いわば、
オーストラリア版、「西部の町」「明治村」、といった感じのところ・・・。
開拓当時の服装をしたボランティアの人たちの案内で、「ゴールド・ラッシュ期の
雰意気を楽しんで下さい」、という方式の観光名所です。
『砂金探し体験・真似事』も出来ました。



*平成15年3月5日・・・メルボルンにて・・・「励ますつもりが・・・」

「ワーキング・ホリデー」で、頑張っている女の子

3月5日(水)、メルボルンの「エレファント・バック・パッカーズ」でのこと・・・。
「エレファント・バック・パッカーズ」には、日本人が大勢いて安心、と聞いていたので、
タスマニア島の観光を終えて、5泊してしまいました。
ここで働いていた日本人の女の子・・・部屋の掃除、キッチン・床の掃除、シーツ等の
クリーニング、受付の手伝い等々、元気一杯でした。
「ワーキング・ホリデーでオーストラリアに来て、8ヶ月になります」、と残り期間が
少なくなってきたことを、チョッピリ寂しそうである。
「若いのに、自分のやりたいと思っていることを実行にうつして、羨ましいね。
しっかりやりなさい・・・」、と励ましてやったら・・・
「お父さん(この女の子も、そう呼んでくれました)!・・・お父さんだって、
定年まで働き、若いころにやってみたいと思ったことに、いま挑戦しているわけだし、
素晴らしいことじゃないですか・・・結局、何もしないで終わる人が殆んどじゃないですか
・・・体に気を付けて、是非、最後まで頑張って下さい・・・」、と逆に励まされました。
ワーキング・ホリデーの息子さん、娘さんをお待ちの親御さんたちには、自分の子供たちが
どんなことをして頑張っているか、是非、その様子を見て欲しいものです。
辛いこともあるはずですが、みんな、元気に頑張り、考え方もきちんとした素晴らしい
ものを持っている若者たちで一杯です。
結果の良し悪しや周囲の目を気にして、『何もしないで終わる』のだけはやめよう・・・
若い方たちに教えて貰いました。



*平成15年3月7日・・・アデレードにて、知人に宛てた手紙

3月5日(水)〜6日(木)は、「定期バス」を利用して、メルボルンから、グレート・
オーシャン・ロード回りで、ワーナブールというところで一泊し、アデレードへ・・・。
グレート・オーシャン・ロードは、「吠える(南緯)40度」、といわれる、南極方向
からの強風による波で侵食された断崖や奇岩があることで有名です。
「12人の使途」「ロック・アード・ゴージ」「ロンドン・ブリッジ」等々、評判通りの
美しい断崖や奇岩と、海岸が延々と続いています。
「ロンドン・ブリッジ」は、『眼鏡の形』をしていたのが、侵食が進んで、つい最近、
半分が崩れ落ちてしまい、「片方アーチ」になってしまったということでした。



*平成15年3月12日・・・アデレードにて、知人に宛てた手紙

「ワーキング・ホリデーの若者たち」

ユース・ホステルやバック・パッカーズでは、ワーキング・ホリデーの若者たちを
大勢見かけます。
「××××で、ピッキング(果実の収穫)の仕事があるというそうだ」
「時給、××ドルだそうだ。一緒に行かないか・・・?」・・・まるで、
スタインベックの『怒りの葡萄』の主人公たちのようです。
(女の子たちは、ユース・ホステルやレストラン等で働いているようです)
何日間か同じところで働いて、少し資金が出来たところで、次の目的地に移動して
・・・そんなことを繰り返して旅を続けているそうです。
「宵越しのお金も無く?」、「赤茶けた、洗い晒しの、Tシャツ・短パン」・・
鏡の中にも似たのがひとり・・・皆、ひたむきに頑張っています。

「ワーキング・ホリデーの若者たちと、ドライブ観光」

そんな彼等に誘われて、2泊3日のスケジュールで、カンガルー島へドライブ観光。
観光もさることながら、彼等の「超貧乏旅行ぶり」が痛快でした。
まず、ロード・マップを見て、目ぼしいところをチェックし、おもむろに出発。
マークしたところに到着すると、「有料か無料か」を確認します。
「無料」ならば、「入りましょう」、ということになります。「有料」ならば、
入り口で「値段と値打ちを推測」、ほとんどの場合、「ここは大したことなさそうだ」、
という結論にして、次へ向かう・・・という具合です。
食事は、朝と夜は、野宿で自炊。昼は車の中で、パンにバター、ジャムをぬって食べる・・・
磯の岩場で小休止、と思ったら、「天然のアワビのご馳走」が出てきたりしました。・・・
そんな方式です。
小生のような、うさん臭い年寄りを誘ってくれたのも、ガソリン代の割り勘・コスト・ダウン
が目的というところでしょうが、こちらは、若い方たちと一緒で愉快でした。



*平成15年3月14日・・・カルグーリーにて、知人に宛てた手紙

「ナラバー平原越え」

3月12日(水)、20:30 発、夜行バスで、アデレードを出発して、約 15時間。
朝10時30分は、西オーストラリアに近い、「ナラバー」では、8時頃になります。
「物差し(定規)」を当てて描けそうな地平線。
そんな中に、「ここにも生きているんだ!」と主張しているかのように、錆びた鉄骨の
ウインド・ミル(風車)や、タイヤの轍の赤茶けた細い道が、思い出したように姿をみせます。
昼間は、容赦の無い灼熱の渇き・・・早朝に見せた、一瞬の癒し・・・
30時間、2,200km、アデレードからカルグーリーへの移動の中での、ナラバー平原越え
の印象でした。



「カルグーリー到着の夜」・・・「『エマニエル夫人』(飾り窓の女)の家を・・・」

3月12日(水)、アデレード 20:30 発のバスは、ナラバー平原を越えて、
カルグーリーには、13日(木) 23:55 到着の予定であった。
時差があるので、2,200km、実際は、30時間の移動になります。途中、徐々にバスが遅れ、
カルグーリーに着いたのは、14日(金)、午前 1:00 になった。
時間が時間とはいえ、宿泊の予約を入れておいたので、とにかく、ユース・ホステルを捜し始める。
バスを降りた 5〜6人の乗客も四方へ散り、バスもパースへ向かって出発してしま無い。
何処からともなく聞こえてくるのは、酔ったアボリジニの嬌声だろうか・・・
あっちにウロウロ、こっちにうろうろ・・・頼りの「Hay Street」は何とか探し当てた
のだが・・・最初はてっきり「バー」だろうと思ったが、どうも少し違うようである。ピンクの
ライトの奥で、妖しげな恰好をした『エマニエル夫人』(飾り窓の女)が椅子にもたれて座っている。
チラッと横目で見ながら通り過ぎたが、その先は街灯ひとつ無い「暗闇」で、ユース・ホステルなど
ありそうもない。
疲れ果てて、トボトボ後戻り・・・時計の針は、間もなく、2時を指そうとしている。
「止むを得ない!」・・・意を決して、『エマニエル夫人』のところへ・・・
口から出た言葉は、思っていたこととは裏腹、
「Where is the Youth Hostel ?」、であった。
返事があった。
「I don‘t know !」・・・それだけだった。
意味が通じたかどうか解からないが、「How much just sleep ?」
(素泊まりだと、いくら ?)と聞くべきであったか・・・?



*平成15年3月15日・・・カルグーリーにて・・・「オ・コーナーの水」

「地球の歩き方」に、下記のような記載がある。
1,	903年、水道技師・「O‘Conner」が、パースから、カルグーリーまで、
556km の長さのパイプ・ラインを引くことを提案。
およそ、10年の歳月を費やして完成させた。
だが、蛇口を捻っても水は出ず、彼は、人々の失笑を買い、失意の中で自殺をした。
彼の死後、数週間経ってから、突然、蛇口から水が噴き出した。パースとカルグーリーの標高差 
400m、距離556km のパイプ・ラインを水が流れてくるのには、それだけの日時が
必要だった。

3月15日(土)、カルグーリーの町を見下ろす丘に登り、湧き出している、
「O‘conner の水」を飲ませていただきました。多少、生ぬるかったが、空気が乾燥していて、
「サイダー」のような、ホロ甘い味がしました。
記念のモニュメントには、政治家と思しき名前の人たちの下に、遠慮がちに「O‘Conner」の
名が刻まれていました。
ユーカリの葉を撫でる風が緩やかに流れる。
遠くから、電車の警笛と思われる音と、列車を引きずるような音が聞こえる。
いじけたユーカリの潅木が、赤茶けた砂漠に、ポツリ、ポツリ・・・
爪楊枝を連ねたように・・・「動いている!」・・・1,2,3・・・、19,20,21・・・、
51,52,53・・・、いずれも、日本の客車型の長い車輌・・・総数、76輌の大編成である。
何から何まで、スケールの違いに圧倒される。


*平成15年3月15日・・・カルグーリーにて

「インディアン・パシフィック号」到着

大陸横断列車・「インディアン・パシフィック号」が、19:00 に、カルグーリーの駅に到着する
予定であるというので、見に行くことにする。
カルグーリーの駅は、至ってシンプルで、100m ほどのホームがひとつ、映画・「夜の大捜査線」で、
シドニー・ポワチエが降りた駅・・・「ふるさとの駅」の感じです。
到着予定時刻の20分ほど前までは、全く人影も無かった駅に、ホテルからの送迎と思われるバスが2台と、
家族や友人でも出迎えるのか、地元の人と思われる普段着の人たちが三々五々・・・
「遅れることが多い」と聞いてきた列車が、定刻どおりに入線してきた。長い編成である。一体、何輌
連結しているのか・・・8輌目ほどから後ろは、ホームから外れている。
日本人の女の子が降りて来たので、様子を聞いてみる。
「シドニーから、57時間の予定で、パースまで行きます。途中、何回も停車しながら、延々と・・・永くて、
辛く、ここ、カルグーリーでも、3時間ほど停車し、明朝、パースへ到着する予定です」、とのこと・・・
乗りもしないのに、「インディアン・パシフィック号」のプレートのある車輌の前で、カメラのシャッターを
押してもらいました。
子供みたいですね。


*平成15年3月16日・・・カルグーリーにて、知人に宛てた手紙

「カルグーリー」の印象

エスペランスへの路線バスの運行スケジュールの都合で、カルグーリーに、4泊することにした。
カルグーリーの見所は、「露天掘り鉱山観光(ゴールド・ラッシュ・ツアー)で、展望台から露天掘りの現場を
見学するものです。
とてつもない大きな、カタツムリを裏返しにしたような形に掘り下げて・・・都市周辺の超大型の団地造成・・・
の感じです。
工事中のダンプ・トラックやクレーン車が、蟻のように動いています。展望台の横に、ダンプ・トラックのタイヤが、
見本として横倒しにしてありましたが、タイヤの横幅が肩の近くまであり、スケールが大きくて、実感が湧きません。
カルグーリーは、「金鉱、鉱物資源の町」、「水の無い歴史の町」、「水に纏わるエピソードの町」、
「酔ったアボリジニの嬌声」、「公認の飾り窓の女」、「日曜日のゴースト・タウン化」、「シドニーから、
50時間以上走ってきた、『インディアン・パシフィック号』が、パースへの最後の走りをするために立ち寄る町」
・・・そんなところです。



*平成15年3月17日・・・カルグーリーにて・・・「ブロンズ少女の悲話」

カルグーリーのバス・ターミナルの前に、両手でコップを差し出している、等身大の少女のブロンズ像があります。
「水に纏わるエピソード」かなと思って、プレートの文字を追ってみる。
『・・・少女の父親は、敬虔なクリスチャンで、少女と異教徒である恋人との結婚を許さなかった。少女は、
このため家出し、近くの鉱山に逃げて隠れていた。しかし、2年後、父親に探し出されてしまいました。父親は怒って、
少女を裁判にかけ、死刑にしてしまいました・・・』・・・という内容でした。
小生のごとき、「どう祈るかも知らず、何故手を合わせるか、疑問を持ちながら手を合わせる」程度のものにとっては、
理解しがたい行動のように思われます。
およそ、宗教、布教などというものは、エゴイズムの塊のように感じます。
今日、夕方のバスで、エスペランスに向かいます。
「再び、ここに来ることはあるだろうか・・・?」・・・遠いところへ来て、去る時の、あのいつもの感傷がよぎった。



*平成15年3月18日・・・エスペランスにて、知人に宛てた手紙

「西オーストラリアの夕焼け」、「灰色のピンク・レイク」

3月17日(月)、15:25、路線バスでカルグーリを出発して、暫らくすると、一瞬、西の空を焼き尽くす・・・
映画・『風と共に去りぬ』の、アトランタの駅が焼け落ちるシーンを再現するような「夕焼け」である。
ユーカリの木の間を突き抜けて、メラメラと燃え上がりました。
そして更に、バスは、エスペランスに向かい続けます・・・
『エスペランス』というのは、フランス語で、『希望』という意味があるそうです。
何よりも、その響きが好きです。
「エスペランス!」・・・「エスペランス!」・・・「エスペランス!」・・・
前日の到着が、夜遅くなったので、今日、3月18日(火)は、実質的には、エスペランスの初日、休養日・
散策日とした。
エスペランスからのツアーの予約手続きを済ませたあとで、「ピンク・レイク」へ行くことにした。
徒歩で、40〜50分くらいのところだが、生憎の「俄雨」・・・降ったり、止んだり・・・途中、雨宿りをしながら
目的地に着くには突いたが、絵葉書や旅行誌、パンフレットで見た「ピンク・レイク」とは、大分違っていた。
「灰色に近いピンクの砂地」であった。
曇天だと、湖(砂地)の色も、ハッキリしないようである。



* 平成15年 3月19日・・・エスペランスにて、知人に宛てた手紙

「ラッキー・ベイ・ビーチ」

3月19日(水)、エスペランスからのツアーに・・・
エスペランスから、東へ、約 60km、「ケープ・ル・グラン・国立公園」にある、『ラッキー・ベイ・ビーチ』は、
今迄、見た事もない、「白い砂の海岸」。
「ライト・グリーンの海」「眩い波」・・・『本当に美しい!』、のひとこと!
自分の表現力の乏しさに、歯痒い思いがします。
美しい海岸が多い、オーストラリアの中でも、「エクスマウス」「フレーザー島」のビーチと並んで、
最も美しいと言われているところだそうです。



3月20日(木)は、「エスペランス湾・島巡りクルーズ」・・・
「美しいエスペランスの海の島を巡りながら、野生のアシカ、イルカ、ウミワシ等と会えます」、
というキャッチ・フレーズのクルージングです。
ガイド兼操縦士が双眼鏡を片手に、周囲に目を凝らしながら野生の動物がいるところに船を操って走らせたり、
止めたり・・・
「・・・右手、前方にイルカが見えますよ・・・」とでも言ったのか・・・乗客がザワザワと右舷に移動・・・
小生も、「遅れてならじ」と追いかける。
まるで、船と競争でもするかのように、舳先の横を泳いだり、隠れたり・・・一所懸命イルカを目で追いかけて
いるうちに、何だかおかしくなってしまいました。
「シマッタ! 船酔いだ!」。気が付いた時は既に遅く、南極方向からの強風にノッキングをしながら走り続ける
船にどうすることも出来ず、横になってしまいました。
ウッディ・アイランド・ジェッティー、というところでの、正午のティー・タイム休憩も、100人余りの
楽しそうなツアー客の「蚊帳の外」・・・独り、頭を抱え、エスペランスの海の色より青い顔・・・
エマージェンシー(非常事態)。
「大丈夫ですか・・・?」・・・ツアーのオバサン(実際は、小生より若いかも?)達の優しい声も『虚ろ』・・・
「日本の老人は、ヤワだねえ!」の印象を与えてしまいました。






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